傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

三月のダルク

それでは三月のダルクをはじめます、と彼は宣言した。私たちはめいめいのグラスを掲げた。乾杯。
私たちは二ヶ月に一度集まる。全員揃えば六人、今日は四人。特別なことをするわけではない。ただ一緒に食事をし、誰かが話して、みんながそれを聞く。要するに、飲み会だ。私たちは同業で、同じ会社にいる人もいるし、そうでない人もいる。
世間話が一段落すると、この春に異動が決まった一人が引き継ぎ相手とのちょっとしたトラブルについて話した。残りの三人はうんうんとうなずきながら聞いた。私たちはつねに相手にわかるようにきちんとうなずきながら話を聞く。コメントは相手の話がぜんぶ終わってからだ。
私たちは話した人に役に立つことを言えるわけではない。職業的な文脈を共有しているから、その部分については相手を理解しやすいというだけだ。私たちはただこの場で、互いの話を理解する。そして理解していることを表現する。私たちがすることはそれだけだ。
誰が決めたわけでもない。けれどたぶん私たちは、最初に私たちを結びつけた彼の真似をしている。彼は私たちのそれぞれに、ねえ愚痴聞いてくれない、と言った。最近こんなことがあってさあ。いやあ、聞いてもらうとすっきりするね。また誘うよ。同じ仕事してる友だちがいるんだけど、連れてきてもいい?
そんなふうにして、私たちは知りあった。六人が揃ったのは一年ほど前だ。そのときはお互いに初対面の相手が含まれていた。そのとき彼は冗談めかして言った。ここで僕の愚痴を聞いた人は口外してはいけません。この場には守秘義務が発生します。
それ以来、私たちの飲み会はダルクと名づけられ、奇数月ごとに開かれている。ダルクというのは薬物依存症患者の自助グループの名称だそうだ。口外しない約束で体験談を語るのだという。名づけた人は言った。
薬じゃなくっても、みんななにかに依存しているはずだよ。仕事はもっとも依存しやすいもののひとつだと思う。そこから逃避するためのものにも依存しやすいしね。それに、後ろめたいのは違法な薬物を摂取している人だけじゃない。みんな後ろめたいし、みんな焦っているし、みんな寂しい。閉じられた場でただ話すことは、誰にでも必要なんだと思う。
王さまの耳はろばの耳、と私は言った。名づけた彼女はにっこり笑って繰りかえした。王さまの耳はろばの耳。
私は彼女と、その場以外で会ったことがない。それは他の人たちも同じなのだそうだ。もともと知りあいだった人以外とは、個別に会うことがない。誰が決めたわけでもなく、私たちはそうしている。