演奏が終わってしばらくすると、彼は私たちの席に立ち寄った。私をその場に連れてきた友だちは彼にあいさつをし、彼に私を紹介した。友だちはカメラマン、彼はトランペットを吹いたり、曲を書いたりして暮らしている。ふたりはいかにも友人同士らしいくだけた会話を交わし、私を自然にその中にとりこんだ。
毎日こういう演奏をしていらっしゃるんですか、と私は訊いた。彼はとても楽しそうに吹いていたし、若手がソロをとると視線で励ましたりして、仲間うちの雰囲気もよさそうだった。
彼はにこにこ笑って、毎日こうなら本当にいいですけど、今日みたいなのはちょっとしかお金が入らないですからね、と言う。お店もそんなに大きくないし、入場料も控えめ、これ以上だとみんな来てくれないですから。今日のは半分部活みたいなもんです。いつもは、そうですねえ、たとえばこの人とは歌謡教室の発表会で知りあったんですよ。撮影と伴奏で。ね。
話を振られた友だちはうんうんと頷き、あれって自分が映ってるビデオを買うんだよ、と言った。だから撮る側は買わない人のところで休憩したりするの。でも私は一生懸命発表している人の撮影をするのって悪くない仕事だと思った、なんかみんなかわいいかんじで、幸せそうで、家族が見にきてたりして。
彼は肩をすくめ、私のほうを見て言う。この人はカメラをさわっていればわりと幸せ、みたいなところがありますからね。残念ながら僕はそうじゃないんです。すばらしいミュージシャンと一緒にやれることもあれば、どうでもいいところで音を出すこともある。音楽であればすべてを愛せるというものではありません。少なくとも僕には大好きな演奏とふつうの演奏とどうでもいい演奏があります。もしかするとそれが僕の限界なのかもしれません。世の中には音が鳴っていればそれで幸せになってしまうタイプの人もいて、そういう人のほうが伸びるのかもしれない。
彼女は、私だって好きじゃない仕事はある、と反論する。医学教材で手術を撮影するのはあんまり好きじゃない、血が出てるのがいやだから。カメラ持つのがいやなときもあるし。
彼はまた私に言う。でもね、聞いてくださいよ、この人はプライベートで一人旅に出たときにも、なんだかえらく凝ったビデオを撮ってきましてね、どう考えても先に構成を考えて素材を集めてる感じで、構図も凝ってるんです。辞めたって撮っちゃうと思うな。
彼女はちょっと意地悪に笑い、彼だって似たようなものだよと私に言う。悲しいときとか、河川敷に出て、夕陽を背にしてトランペットを吹くの。かわいいでしょう。
彼はいささかばつが悪そうに、そんなことはごくたまにしかしない、とつぶやいた。