傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

「私はいつか嫉妬する」

彼女は四十一歳になった。彼女はカメラマンで、ふたりの後輩を指導しながら、現場でカメラを回している。回すというのは動画を撮るときの表現で、静止画のカメラマンのことはよくわからない、と彼女はいう。
職業的にカメラを回すというのはどういう種類の経験なのか、私は尋ねる。現場に行く前はなにをするのか。どんな人たちと一緒に、どんな準備をするのか。判断しなければならないことはなにか。それによってなにが影響されるのか。
彼女はそのいちいちに答えながら、それらのプロセスで自分が感じることをいきいきと語る。短時間での判断を要求されることが多く、それに自信を持てるようになったら一人前だということ。でも勉強すれば正解が出るわけではないので、「ほんとうはわからないのに断定する詐欺師みたいな度胸」が必要だということ。機材を扱うためには、腕や脚だけでなく、背筋を上手に使わなければならないこと。
ファインダにうつる映像は、一般にモノクロにしておく。ずっと見ているから、情報量が多すぎるともたないのだ。なにしろ彼女たちはファインダの中だけを認識していればいいのではない。撮影現場の状況を認知し、撮れているはずの映像とクライアントが求める絵が整合しているかチェックしている。想定外のおもしろい要素が出たときにすばやく対応する必要もある。
すべてが一回性であることの充実。その裏返しである、失敗が許されない(しかもどれほど修練を積んでも失敗する確率は一定以上残る)ことの、内蔵を苛むようなプレッシャ。撮影に慣れてもプレッシャにだけは慣れないね、いつも背筋がぱきぱきにかたまる、と彼女は言う。
うまくいっているときには、機材はほとんど自分の延長であるように感じられる。あるいは、自分が機材に接続されたべつの機材であるかのように。そういうときはたいてい、状況そのものが自分の手のうちにある、と感じられる。その感覚はちょっとくせになる、と彼女はいう。
ときどき食事をするたびにそういう話をしていて、だから私は、彼女はずっとそうやって生きていくのだと思っていた。
でも彼女はカメラの仕事を辞めるのだという。私がびっくりしていると、私はもう四十一歳になったんだよと彼女は言って、にっこりと笑う。
体力が必要な仕事だから、通常は適当な年齢で現場を退き、新人の指導やオフィスでの業務にあたる。彼女もそのつもりだった。でもあるとき、後輩の指導中に、確信に近い予感を抱いた。
私はいつかこの若い人に嫉妬するだろう。当たり前に現場に出て、この先二十年近くその生活を続けられることに、激しく嫉妬するだろう。そして指導やオフィスの仕事をつまらないものだと感じてしまうだろう。
辞めよう、と彼女は思った。
「私は幸福な仕事をした。私はこの職業で、不幸になるべきじゃない」
彼女は今、カメラの仕事の量を少し減らして、新しい職業のための勉強をしている。