傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

フィービーはそこにいた

十代の時分、「サリンジャーが好き」と言うのは、けっこう勇気のいることだった。サリンジャーは若者たちに熱狂的に支持され、少数の作品だけを残して隠遁し、伝説的な人物になっていた。そういう作家を好きだと公言するのはあまりに典型的ではずかしいこと、または少々の覚悟を必要とすることだった。
だから彼女が「なんだ、サリンジャー読むの」と訊いたとき、私はあわてて『ナイン・ストーリーズ』を書棚に戻した。私は小さい大学に通っていて、だから書籍部をうろついているとしばしば知りあいに会ってしまうのだった。
えっと、まあ、うん、嫌いじゃないよ、こないだ『フラニーとゾーイー』を読んでね、それで、わりと好きだなと思って、会話がおもしろいから、私は会話文が好き、というふうに、歯切れの悪い言葉遣いをした。そしてうつむいて、粗雑に掃除された生協書籍部の床をみつめた。書籍部の人たちは床のことをあんまりちゃんと考えていないのかな、と思った。
床はとてもだいじなのに。私たちは歩くためにしょっちゅう床を見るのに。みんな靴底ごしに床に接しているのに。ちゃんと掃除をして正しい方法でワックスを使って綺麗に磨きあげておけば、きっと誰かが喜んでくれるのに。きたないって言ってぞんざいにあつかうのは間違っている。私は私のアルバイト先でもっと綺麗に床を磨いている。
そういうことを考えて、でもいつまでも床について考えているわけにもいかないので、目の前の人を見る。本を選んでいて偶然に会った同級生。英語のクラスが同じで、そのほかいくつかの講義でも顔をあわせる人。髪が長くて背が高くて目つきのきつい、おとなびた人。
彼女はいつも私をうつむかせ、はずかしがらせる人だった。彼女は自信に満ちているように見え、やけに女っぽく見えた。私は棒きれみたいなからだつきで、短いスカートをはいてもちっとも色気がでなかった。私たちは十八歳だった。
彼女はにっこり笑って、わたしシーモアが好き、と言った。わたしシーモアと話がしたい、でもシーモアはわたしと話をしてくれないと思うな、と言った。
彼女がおなかすいたと言うので、私たちは近くのモスバーガーでお昼ごはんを食べた。彼女は楽しそうにいろいろなことを話した。私はうなずきながら、ハンバーガーにはさまったトマトが落ちないように、それからたっぷりしたソースが服につかないように、いろいろな工夫をした。ナイフとフォークを使ったほうがどれだけましかわからない、と思った。囓って食べるものとしては最低の設計だ。わりと美味しいけど。
でもねわたし『ライ麦畑』は嫌いなの、と彼女は言った。私はもぐもぐ口を動かしながら彼女を見返した。彼女は膝をそろえ、背筋をきっちり伸ばしていた。
ホールデン・コールフィールドなんてろくな人間じゃない、と彼女は言った。自分は邪気のない綺麗な人間だってことを、長編いっぱいかけて世界中に示したがってる。これ見よがしにね。わたしは思うんだけど、あんな男の子は世界中のイノセンスに見捨てられた人間につばを吐かれる。わたしも吐く。一年分くらい吐くよ。
私はそうかあ、と間の抜けたこたえを返した。一年分ってかなりのものだね、ホールデンもがんがん吐きかえすだろうね。
彼女は派手に笑って、それからうつむいた。はじめて見た。彼女はいつも傲然と前を、あるいは虚空を向いていたからだ。
みんなにはフィービーがいる、と彼女は言った。みんなのなかにはフィービーがいて、なにかあると助けてくれる。対策みたいな意味じゃなくって、つまり、わかるよね、くだらないものに絡めとられないための命綱として。でもわたしにはフィービーがいない、最初からいない、わたしは、気がついたらイノセントじゃなかった、だからわたしは、ホールデンが嫌い。
彼女は十八の女の子に特有の唐突さでそう言い、私はおなじく十八の女の子として、まるでそういう台詞を日常的に聞いているみたいにこたえる。
フィービーなんかいなくてもいいよ、イノセントとかどうでもいい、私にだってそんなものないよ、ずっとずっと前からない、だいじょぶ、そんなのどうってことない、ホールデンむかつく。私がそう言うと彼女は可笑しそうに顔を歪めた。私は彼女が自分にはフィービーがいないと言い張る理由をうっかり推測してしまわないよう、ポテトにハンバーガーのソースをつけて食べることに集中した。やけに早熟でへんに色っぽくて、いつも傷ついた直後のように眉のあいだをこわばらせていた、私の同級生。
あれから十数年が経った。彼女はもう、シーモアと話すことができなくなった。シーモアは死んだ。べつの作家の言うとおり、ありとあらゆる意味で。彼女がいまでもシーモアとの会話を求めているか、私は知らない。でも彼女のなかにはちゃんとフィービーがいたことを、私は知っている。