傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

鏡の前でうつむいていた女の子たち

値引きされた服をあさっていると、同じお店に親子連れがいた。二十歳くらいの女の子と、そのお母さんという感じの二人連れだ。ふたりには緊迫した雰囲気が漂っていた。女の子は緊張している人に特有の、焦点の合っていない無表情。お母さんは眉間に皺を立てて、あれこれ提案する店員さんに曖昧な返事をするばかりだった。
もったいないな、と私は思った。彼女が試着している服は、ほんとうは似合うはずなのに(色合いが顔立ちにぴったりだし、手足の長さがよく映えている)、本人の違和感がすごいから、服が浮き上がっているように見えてしまう。お店の主な客層もたぶん、彼女より上だと思う。なにしろ三十代の私たちがふつうに買い物をしているのだ。
一緒に来た友だちがワンピースを着て試着室を出てきたので、私は店員さんと一緒に、さっきのよりこっちのほうが似合うとか、中に着るのはこの色でもいいんじゃない、というような感想を述べた。それから入れ替わりにスカートをふたつ持って試着室に入った。カーテンを引きながら目を遣ると、女の子は深くカットされた襟元を一生懸命上のほうに引っ張っていた。
「さっきの親子、私、わかるなあ」
足下にいくつも紙袋を置いてビールを飲みながら、友だちが言う。
「おしゃれに慣れてないんだよね、もう全然。お母さんは外見に気を遣わないタイプで、着るものにお金をかけるなんて、と思っていて、でもなにか買わなきゃいけない事情ができて、それで来たんだろうね」
私はグラス越しに目で相槌をうつ。
「その気がなくても、母親って娘を抑圧するからね。可愛がっていても。可愛がっているから、という場合もあるかな」
うん、おしゃれって、ああいうタイプの母親にとっては「ないもの」にしておきたい感じなんだろうし、と私は応える。あの母親はいかにも無駄遣いが嫌いで、保守的な価値観に従順なタイプの女性に見えた。そういう人にとって、ファッションの機能はことごとく扱いにくいものなのだろうと思う。つまり、美意識の訓練と表現、自己主張、セックスアピール、他者との連帯、べつの他者との差別化、などの機能が。
「でも、そこでちゃんと葛藤して自分なりにおしゃれしてほしいな。できれば親とじゃなくて、友だちと買ってほしい。なるべく気前よく褒めてくれる友だちと」
私は、大丈夫大丈夫、と言う。あの子だってすぐ楽しくなって、いっぱい買うよ、変な服を買ってあとで落ちこんだり、見た目で選んだ靴が足に合わなくてもがんばって履いちゃったりするよ、そうして自分にとって気持ちいい格好ができるようになるよ。
「いつまでも親の言うこと聞いて良い子でいなくてもいいのに。べつの人間なんだし、世代も違うんだから、価値観なんか合わなくて当たり前でしょう。まったくもう、うちの親は、まったくもううちの娘は、ってお互い言ってるくらいでいいじゃない。私いまだに、毎月美容院に一万円以上かけてるってお母さんに知られたら怒られるな、って思うもん」
私は笑って、そりゃすごい、と言う。私、その半額以下だ、怒られない。
「なに言ってるの、コートもブーツも買っちゃったくせに」
彼女も笑って言う。彼女の髪はふわふわで、彼女にとてもよく似合う。