傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

もっと親切にしたのに

休日のスーパーマーケットできゅうりを選んでいると、外国人の女性が私の横にいた女性に話しかけた。女性は戸惑って片手を振って立ちさった。外国人女性は私を次のターゲットにさだめ、いささかわかりにくい英語で、でも決然と言った。ここでテレフォンカー…

怖くて安心

空港で保安検査の列に並んでいるとき、あるいはイミグレーションでパスポートを検分されているとき、私はいつも怖い。 私は飛行機に乗れないような、あるいはその国に入れないような欠陥を持っている。彼らはそれを発見する。私にはひとこともわからないこと…

シャワーヘッドとゾンビの映画

彼女はずらりと並んだシャワーヘッドを軽く撫でて、世の中にはたくさんのシャワーヘッドがあるんだね、と言った。私たちはちょっとした贈りものを選ぶために東急ハンズに来ていた。そしてやたらと陽気になり、贈りものとはぜんぜん関係ない商品まで見てまわ…

「いつも正しい」は怖い

久しぶりに会った知りあいに、やせたね、と言うと、彼女はにっこりと笑い、まあね、でもやせたことより健康になったことのほうがうれしい、私いまマクロビやってるの、と言った。そして玄米なんて食べる?と訊くので、食べるよと私はこたえた。すると彼女は…

あなたはなにひとつ持っていない

隣のテーブルの声を聞いて、私と友だちは顔を見あわせた。私たちにも話すべきことはもちろんあったけれども、さしあたりそれは保留にし、隣の会話を聴いた。 あなたといると私はとても苛立つの、と、隣のテーブルのひとりは言った。おそらく二十代後半の、ち…

偶然が好き

歩いているとチラシを配る人がいた。マンションを買いませんかというようなことを言っていた。 私はその人の横を通りすぎてから、ねえ道ばたで呼び止められてマンションを買う人っているのかな、と訊いた。「ふむふむ、この立地で坪単価百五十二万円ですか、…

何者でもなくても

春なのにデートもしないの、と彼女は小さい声で歌った。それから携帯電話を見て、まだかなあ、おなかすいた、と言った。おなかがすいて死にそうなの、と私も小さい声で歌った。私たちはもう一人の友だちが仕事を終えて合流するのを待っていた。 彼女は最初に…

「つまらないからまた飛んだ。」

つまらないからまた飛んだ。 彼はそう言い、私はまた、と訊く。うん、また、と彼はこたえる。 彼は退屈すると郊外の小さい遊園地に行く。そこにはバンジージャンプのための塔が立っている。美しい塔とはいえない。最低限の耐久性だけはあるというような、粗…

三月のダルク

それでは三月のダルクをはじめます、と彼は宣言した。私たちはめいめいのグラスを掲げた。乾杯。 私たちは二ヶ月に一度集まる。全員揃えば六人、今日は四人。特別なことをするわけではない。ただ一緒に食事をし、誰かが話して、みんながそれを聞く。要するに…

はずかしさを否定しない

息子が発表会に来ないでほしいって言うんです、と彼女は訴え、長いため息をついた。 彼女の四歳の息子はそれまで楽しそうに保育園に通い、発表会で披露する踊りを踊っていたんだけれども、ちかごろ練習をいやがるようになり、保育士が尋ねても理由を言わない…

いつも迷子

そろそろどこへ向かっているかわかってもいい頃だよ、と彼は言った。私はあたりを見わたした。 時は夕暮れで、場所は駅から少しだけ離れた道ばたで、歩いている人々はみんな確信をもってどこかへ行こうとしているように見えた。みんな自分がいる場所を知って…

たぶん夫

彼女が記念写真を見せてくれたので、この隣の人が結婚相手だよね、と訊いた。たぶん、と彼女はこたえた。たぶん? 彼女はいくぶんぼんやりした顔で話した。彼と知りあって数ヶ月しか経っていないこと、すぐに恋人になり、相手の家の事情で急いで結婚したこと…

彼の大切な悪口

彼の悪口を聞いていると楽しい。内容がやけに的確な上、ことばの使い方がきれいで、独特のおかしみがあるのだ。それに、「いやだな」と思ったとき、「いやだった気持ちをわかってほしいな」と思ったとき、絶妙なタイミングでいやだと思った相手を罵倒してく…

脆弱と邪悪

繁華街を歩いていたら、尋常でない声が聞こえた。立ち止まると、五十がらみの男性がひとまわり年下の男性を怒鳴りつけていた。ふたりとも控えめなデザインの上等なビジネススーツに身をつつみ、きれいに磨いた靴をはいていた。そんな状況でなければ、いかに…

親切の単位

私はそのとき十八で、雨の住宅街を歩いていた。通り過ぎた家から、白い髪の小さい女の人が出てきて、待って、と大きな声で言った。私は立ち止まって彼女を見た。彼女は右手で綺麗な模様のついた小さい傘をさし、左手に、彼女が持つとずいぶん大きく見えるビ…

欲望の形式

「肉を食べませんか」というメールが入ったので出かけた。彼はふだん、食べものに関心がない。ごはんはどうしているんですかと訊くと、文字通り米飯の意味にとったらしく、ごはんはサトウさんに炊いてもらいます、と答えた。たまに食べますよ、ごはんはいい…