傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

納豆とわたし

 わたしが納豆を食べるようになったのは二十八歳のときである。
 食べ物の好き嫌いの少ない子どもだったのに、納豆だけはどうしてか強く拒否していたらしい。生家は関東だが、納豆を常食する家ではなく、食べなくてもよかった。しかし、小学校の給食で年に一度だけ納豆が出た(なぜ年に一度だったのかは覚えていないが、とにかく絶対に一度だけ出たのである)。小学校一年生の時分から、わたしはそれを拒否していたのだそうである。
 いわゆる「完食指導」があった時代だ。高学年になるとより厳しくなるようだった。それでわたしは納豆の日だけ仮病を使って学校を休むようになった。ろくに風邪もひかない丈夫な子どもだったが、年に一度の給食納豆の日には「熱がある」と言って家で寝ていた。他の日に仮病を使ったことはない。仮病を増やして「ずる休みだ」と指摘され、その結果納豆を食べざるをえないことをひどく怖れていたように思う。クラスの皆にも担任の先生にもぜったいに納豆を食べられないことを知られたくなかったように思う。知られることすらリスクだというような感覚があったのだろう。

 大学生になると、「為せば成る」という若者らしい(?)勢いで、「食べられないものがゼロだったらかっこいいな」と思うようになった。それで夜遊びの帰りなどテンションが上がった状態で吉野家に入り、小さな納豆パックのついた朝定食を注文した。結果、あっという間にテンションを急降下させ、すごすごと店を出た。どんなに高揚した状態でどんなに勢いをつけても、ひとつぶ以上を食べることができなかった。大学二年生のときに二度、そうした無為な挑戦をしたと記憶している。そして「挑戦心で食べ物を無駄にするのは不道徳である」という結論に達した。
 そんなだから二十八歳のときに納豆を食べたのは自分の意思ではなく、事故であった。
 わたしはリサーチ会社に就職し、なかでも質的調査を得意としていた。クライアントの意向に沿ってターゲットにインタビューをするのだが、中には何度もお世話になる相手がおり、そうなるとわたし自身を信頼してもらう必要が生じる。専門用語でラポール形成という。
 あるとき、地方都市の駅前再開発のためのチームが編成され、わたしの会社もそれに加わった。そしてわたしは地域の有力者に何度も話を聞くことになった。彼らはわたしにたいへんよくしてくれて、立派なおうちで手料理などご馳走してくれるのだった。その席で納豆和えが出た。刺身をヅケにして納豆で和えた料理である。
 ノー・納豆・ノー・ラポール
 わあ、おいしそう。わたしは反射的にそう言い、食べた。
 それが本当に美味しかったのだ。「魚は地元の新鮮なやつだけど、納豆は普通のおかめ納豆だよ」とのことだった。
 狐につままれたような気持ちでその地方都市から帰ってきた。そして恐る恐る納豆を食べはじめた。やはりまったく平気で、普通の食品として食べられるのだった。今ではむしろ好物である。

 もともと納豆以外に「食べられない」自覚した食材はなく、あちこちに海外旅行をしても食べられないものはほぼなかった。スパイスや変わった調理法、組みあわせもどんとこいである。ドリアンは進んで食べる気にならなかったが、あれも新鮮ならくさくないと聞くから、いけると思う。まだ本来の、素晴らしいドリアンに出会っていないだけなのである。
 加齢とともに食べる量(とくに脂)は減るが、食べられるものの数は増えるのではないか。子どもの味蕾は苦味を強く感じ、その後はどんどん鈍くなるので、大人になると野菜などが食べやすくなる、という話も聞いたことがある。年を重ねて経験が増えれば「これもいける」という気にもなるだろう。

 いや、年をとるごとに食の幅を狭くする人もいる。
 友人が言う。それからかわいそうなものを見る目でわたしを見る。あのね、世の中の大多数の人は、そもそもそんなに食べ物に拘泥していない。あんたはもうちょっと自分のマイノリティ性を自覚したほうがいい。たいていの人にとっては、納豆なんてマジでどうでもいいの。同じものばかり食べて生きているのが人類の多数派なの。何だよ、「食べられないものがゼロだったらかっこいい」って。
 そうかなあ、かっこいいと思うけどなあ。わたしは自分がランダムに世界のどこに放り出されてもおいしいごはんを作って食べられる人であるといいと思うよ。強そうじゃん。

解剖されるシンデレラの夢

 友人の壮行会のような集まりに参加した。配偶者の海外赴任にあわせて職場を辞め、子を連れてついてくのだそうである。なにしろ人づきあいの多いカップルなので、集まれる人は集まってくれたほうがラク、とのことだった。
 そんな場なので、出席者の半分は顔見知りである。ひとりが寄ってきて、言う。あの、僕、こないだ彼女できて、今日きてるんで、紹介したいです。はい、とわたしはこたえる。
 彼はわたしよりだいぶ若年だが、それにしたって顔をあわせるたびにわたしに本をすすめてほしがり、次に会えばその「課題図書」について議論したがるので、変な青年だと思っている。先生っぽい年長者を複数確保しておきたいのだと言っていた。勉強が好きなのかもわからない。変わっているが、感じの良い人物ではある。

 彼の彼女もまた、感じの良い人物だった。結構な組みあわせだ、とわたしは思った。彼らは長く一緒にいるだろうと思った。つきあいたての浮ついた気配を残しながら、からめた十本の指の中に永遠があるような仕草で手をつないでいる。
 壮行会の主役がこちらに手を振る。彼は手を振り返す。それから言う。
 あの人は、すごくいい父親だし、リモートでできる副業もあるし、海外赴任についていっても、大丈夫ですよ。いいなあ。
 彼はそのように言う。
 きみだってどこででも働けそうだし、何でも食べられそうだし、たいていのことは大丈夫に見えるよ。わたしがそのように返すと、彼は少しうつむいて笑い、言う。いえ、まだまだ修行が足りないです。いざというときノータイムで彼女についていけるようになりたい。
 彼の彼女はそれを聞いてはじけるように笑う。ついてくるのが前提なの? ついてこいっていうのはないの?
 彼は彼女に目を向け、恋人の顔してほほえむ。それからわたしに向き直る。僕が思うに、この界隈の男はだいたいそうなんです。自分ひとりでどこにでも行けるけど、その上で「彼女が起こした何かに巻き込まれたい」という欲求があるんです。そうじゃなかったら人生に退屈してしまうんです。だからやたらと突破力がある女の人とくっつく。
 彼はそのように言い、離れたところで別の人とおしゃべりしているわたしのパートナーに目をやる。なるほど。
 つまり、とわたしは言う。あなたがたは、人任せにしたいわけではない。でもときどき思いもよらない何かが起きてほしい。それなら、あなたがたが、その何かを起こす相手を選ぶのは、うん、理屈に合っている。わたしの好きな作家が「人はそのとき自分が必要な人を好きになる」って言ってた。あなたがたは、「この人は自分の人生に必要なダイナマイトを持っている」と直感するのかもね。だとすれば、その相手と人生のユニットを作るのは、ひとつの解だわね。くっつく方法が恋愛である必要はないとわたしは思うけど、きみには、恋愛のほうが、手っ取り早いのかな、異性愛で、異性に人気がありそうだから。
 いえ、おれはただそういう欲求が恋愛的な回路と深く結びついているだけです。そんな、モテてはいないです。彼はそのようにこたえる。そうかい、とわたしは言う。彼の彼女はなぜだかずっと可笑しそうに笑っている。

 わたしはシンデレラドリームという言葉が嫌いである。だってそれって、王子さま(王さまの息子、すなわち生まれついての権力者の男)が美しい女に一目惚れして女の人生を変える、その「美しい女」でありたいというドリームでしょう。そんなの嫌いに決まってるじゃん。十歳のときから嫌い。忌憚のない私見を述べますと、キモい。「王子さま」などという理不尽な権力勾配を所与の前提とするなんてわたしの人生観ではありえないし、そこにあぐらをかいて平気でいる「王子さま」の何が魅力的なのかわからない。さらにそいつは男で「見初められる」のが女なんだから、うんざりオブうんざりだよ。わたしは権力者の付属物になるのではなく闘争して権力を勝ち取りたいのだし、人間の美は生まれつき財力やら何やらを持った輩のためのものじゃなくて、その人自身のものだ。
 そう思う。
 しかしこのシンデレラドリームを解剖したときにひとつの臓器として出てくるであろう「出会いによって人生を変えられたい」という欲望については、キモいと思わない。わたしの中にもあるが、自分で「おおいやだ」と思うことはない。わたしは「くさくさするなあ」と思ったら外国に行ったり、職場を変えたり、知らない人と話したりする。それはその臓器によるはたらきで、わたしに必要な栄養素を与えているように思う。

光る丘の向こうに消える

 皆で草原を歩く。彼も皆と話しながら楽しそうに歩く。それから、ふとそこを離れて、草原の向こうに何かを見つける。いくらか離れる。わたしはその姿に声をかける。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿がいくらか抽象的な彫像のように見える。
 彼はわたしより少しだけ早い足取りで歩いているのだろう、追いつきそうで追いつかない。足元は傾斜していてわたしの足はいつもより遅い。わたしが声をかけても彼は、振り返って手を振るばかりで、わたしから遠ざかるばかりで、戻ってきてはくれなくて、遠い顔も高く挙げた手も上機嫌なかたちをしているのに、どうしてかわたしは、ひどく不安になる。あの丘の向こうが巨大な穴で、楽しそうに笑って手を振る彼だけがそれを知らずにいる。そんなふうに思う。

 あれはなんだったんだろう。
 わたしは言う。いつだったかな、けっこう前のことだと思うんだけど、ほら、ちょっと異界みたいな雰囲気の、草原と低木の山の、その草原の中を、何人かで歩いたことがあったでしょう。島でキャンプしたときだったかな。あのとき、あなたは視界の中にいるのに、あなたがいなくなるような気がしたのよ、それで急に怖くなったのよ、ちょっと離れて散歩するなんてよくあることなのに。
 結局もちろんなんでもなかった。でもあのときのことわたしときどき思い出すの。
 彼はこたえる。
 それはいま、海辺にいるからでしょう。
 あなたの言うのは、たぶん島でのことではなくて、阿蘇の草千里を歩いたときのことだよ。浜とあだ名のつくような景色だから、海っぽいところにいると思い出すし、島での話だと思ったんじゃないかな。皆でキャンプした島にはそんな丘はなかったよ。そして僕とあなたとそれ以外の大勢で広々とした自然の中を歩いた経験は他にはないよ。あとはぜんぶ二人でか、せいぜい二組での旅行。
 わたしたちが一緒に行った旅行と一緒に行った人々の名前を、古いほうから順繰りに挙げてみせて、彼は少し笑う。
 よく覚えているなあ、とわたしは思う。わたしたちはしょっちゅう二人で遠くへ行くし、お互い一人旅もするし、互いの友人たちとも旅行する。だからわたしは誰とどこへ行ったかあっというまに忘れてしまう。このたびの海だって、何度目の海かわからない。ビーチ。浜。磯。港。干潟。船。青。白。灰色。さざなみ。白波。朝の海。夜の海。
 よく行きたくなるくせに、わたしはほんとうは、海がそんなに好きではない。怖いからだ。街の怖さや山の怖さは知識と用心で確実に削減できる怖さだ。うまくつきあうことのできる怖さだ。海の怖さはそうではない。海は、中に入らず横目に見ながら歩いているだけで、どんなに穏やかなようすでも、何かが怖い。

 彼は言う。
 でもあなたの記憶は書き換えられている。草千里を上機嫌で歩いて行ったのは、僕じゃなくてあなたのほうだ。だって僕はその前に丘をかけ登る競争に加わって全力疾走してぜえぜえ言ってたんだから。あなたは走らずにのぼってきたから余裕で、走り疲れた僕らを置いて灌木の花を見に行ったんだよ。
 そうとも。
 歩いて行ったのはあなたです。不安になったのは僕のほう。追いかけたのは僕のほう。賭けてもいい。あのときはまだ今よりは若くて、草が生えている傾斜があると走ってのぼってたんだから。どうしてかそうしたくなるんだよ、体力が追いつくなら今でもそうする。あなたは昔からそういう、晴れた日の犬みたいな人間じゃなかっただろう。
 だから僕はどうにか息をととのえてもう一度走ったんだ。あのときはしんどかったなあ。
 どうしてか不安になってね。

 そうだったろうか。
 そのような気もするし、そうでないような気もする。

 彼はあのとき不安になったのだと言う。
 それならいつもは不安ではないのだろうと思う。わたしはそうではない。わたしはいつもどこかで薄く、この人が突然いなくなると思っている。もうずっと一緒にいるのに、そう思っている。ずっと一緒に暮らしているのに、そう思っている。向こうに目を遣ると、棒きれみたいに細長い、昔の姿の彼がいて、そのころよく着ていた、生成りの麻のシャツが揺れる。あのシャツはいつだめになったのだったかしら。彼はあんなに足が早かったかしら。わたしと手をつないでいなかったかしら。もうあんなに遠くにいる。手を振って笑って、でも足を止めてくれない。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿は、いくらか抽象的な彫像のように見える。

ウニ丼と無思考

 三家族の大所帯で海辺の町を旅行し、帰る日のお昼に名産のウニを載せた丼を食べた。
 帰宅して洗濯機を回しながら家族が言う。さすが生産地、質の良い海胆だったね。ちなみにどうやって食べた。
 わたしは自分の昼の行動を思い浮かべる。通常の丼ものはおかずとごはんの配分を均等にして食べるが、海鮮丼は例外である。酢飯でない普通のごはんとあわせるとき、たいていの刺身は単体かごはん少なめのほうが美味しい。だからまずは海胆をつまみ、海胆と少量の米飯を試し、わさび多めと海胆の組みあわせにごく少量のコメを「このたびのベース」と決め、半分食べたところで、中央に落とされていたうずらの卵を慎重に拾ってミニ卵かけごはんゾーンを作成、香の物とともに気分転換ポイントとし、その後、海胆に戻った。
 わたしの話を聞き、彼はおお、と嘆息した。わがベターハーフよ。さすがだ。おれもまったく同じことをした。愛をあらたにした。
 うずらの卵一個であらたまるとは安い愛である。二十円くらいだ。

 わたしは尋ねる。まさかあなた皆が何の疑問も持たずにうずらの卵と海胆を混ぜて食べているのを見て何か言ったのではないでしょうね。
 彼はなぜかドヤ顔をする。言ってない。おれにも社会性というものがある。でも心の中では、とりあえず無批判に卵黄を載せる昨今の風潮はいかがなものかと思っていた。あとチーズのっけるやつ。安直に脂質と塩分の魔力に頼るな。無思考そのものだ。
 そうだね、とわたしは言う。でもそういう考え方は、まったくもって普通じゃないんだよ。わたしたちはグラム98円の肉を調理するときも近所の居酒屋に行くときも星つきのレストランに行くときもバカみたいにものを考えてめちゃくちゃしゃべるよね。マンション買うときの決め手のひとつも食生活の豊かさだった。そんなの大半の人にしてみたら気持ち悪いんじゃないかと思う。
 そうだなあ、あなた基本ユニクロで服買ってたまにアローズでしょう。それは無思考なんじゃないの。わたし学生時代におしゃれな友だちから「セレクトショップで揃えたらそこそこおしゃれにまとまるに決まってるだろう。若いうちから美意識のアウトソーシングに頼りきりになるとは何という怠惰」って言われたよ。本当だなあって思った。で、年とるまでそのまま怠惰にやってるんだけども。

 彼は視線を下げる。そして言う。そうだね、おれの服装は、食い物でいえばふだん吉牛食ってたまにロイホ行く人だね。
 牛丼チェーンに行ってファミリーレストランに行って買い物帰りに駅ビルで食事する人のことどう思う。
 わたしは尋ねる。彼は即答する。貧しいなって思う。それから天をあおぐ。おれだ。それ、おれ。ファッションにおけるおれ。ぜんぜん貧しくない。
 でもさあどうせ新宿にいるなら駅ビルじゃなくてちょっと歩いて三丁目とか地下鉄で荒木町あたりまで出たいし、池袋駅前にいたら要町あたりまで行くほうがぜったいいいじゃん。気分でいろいろ選べるしさあ。
 わたしはおしゃれな友人を憑依させる。ユニクロいいよね。でもいつも無条件で同じサイズを買うのはどうかな。いま着てるそのシャツならワンサイズ下がいいよ。サイズ別に試着してから買った? あと靴下が黒なのが、うん、ちょっと、わからない。今日の組みあわせならどう考えても茶系だし、足首の見え加減を考えたらその長さじゃないよね。もっと合うアイテムを持ってるのに選ばないのはどうして。持ってるものを組み合わせるだけでしょ、お金もかからないよ。
 彼は言う。うん、そういう人がいつもおれの目の前にいて思ってることぜんぶ口に出したら、おれは呼吸しかできない生き物になります。吸って吐くだけ。無思考で黒の靴下はいて、息吸って息吐いてるだけの人。

 わたしはろくに映画を選ばない。わたしの好みを知っている人がすすめてくれた映画を何も考えずに観ている。映画選びにおいても「セレクトショップ」に頼りきりの無思考パーソンである。何なら大半のものごとにおいて無思考パーソンである。というか、だいたいのことに関して無思考なのではないか。
 食べ物はねえ、と彼は言う。世間で「食べ物についてよく考えるのはいいことだ」「文化的なことだ」みたいな風潮があるから余計によくないんだと思うね。だからおれとかが図に乗りやすいんだよ。ちょっとでもえらそうにしたらおしゃれな人が来て頭のてっぺんからつまさきまで眺めまわして率直に意見を述べてくれるシステムがほしい。

自分ひとりの皿

 仕事やめたんだあ。
 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。
 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷河期世代とはせつないものである。資格職外資大学院入りなおし中途採用公務員、そんなのばかりである。
 しかし、五十近くともなると職が落ち着き、転職がぐっと減った。だから仲間うちで仕事を辞めたという話が出るのは久しぶりなのである。
 退職したという友人は、失業保険ねえ、とつぶやく。めんどくさい。
 皆がいっせいに、もったいない、と言う。もらえもらえと言う。

 しかし、よく考えればこの女には昔からそういうところがあるのだ。
 彼女はふだんはパワフルだ。早くにできた子どもが二人いて、若くして配偶者を亡くし、親類や友人や、もちろん自分の能力と時間も含め、手持ちのリソースをフル活用して子育てしながら労働する、丈夫な働き者だった。子どもたちの教育費も自分の稼ぎでまかない、下の子が高校生のころまでは毎日のお弁当も作っていた。そうしておしゃれで、おしゃべりで、たいへんな料理上手で、外食も好きで、友だちが多く、地域のバレーボールサークルの主力でもあった。エネルギーの総量がとても高い。
 でもこの人は突然何もかも面倒くさくなることがある。何年か前、上の子が独立し、下の子が修学旅行に出ていて一人だというから、自宅に遊びに行った。すると彼女は午後三時にカップ麺の素うどんを食べていた。素うどんが悪いとは言わない。わたしも家でよく素そばを食べます。でも午後三時がその日最初の、おそらく最後の食事なのは健康的とはいえない。
 めんどくさいんだよう、と彼女は言った。あなたの言う素そばって、乾麺をゆでるんだよね。えらいなあ。

 めんどくさくなるときって。考えながらわたしは言う。自分だけのときだよね。
 彼女はしばらく視線を斜め上にやる。それから、そう、と言う。受け答えの速度までいつもより遅い。
 それからつぶやく。下の子も大学を出て独立したし、もう、いいよねえ。

 それからわたしたちに「これ要る?」と何枚かの写真を見せる。いくぶん高価そうなかばんがいくつか、ゴールドやプラチナのアクセサリー。これよくつけてたじゃない、と誰かが言う。うん、と彼女は言う。なんか、もう、めんどくさくて。
 装いをこらし、美味しいものを作り、友人たちに、たとえば「上海蟹の季節だから食べに行こう」と呼びかけてツアーをやる気力はもう出てこないのだというようなことを、彼女は言うのだった。そうして、幸いみんな元気だしねえ、とつけ加えた。
 そういえばこの人がイベントを企画するのは、誰かに何かあって少し元気がなかったり、気分転換を必要としているときだった。わたしの知らない他のコミュニティの友だちに対しても、そうだったのかもしれなかった。子どもたちに対しても、教育やケアが必要な時期だったから、あんなに細やかだったのかもしれなかった。

 これからは自分を楽しませたら、いいのではないの。誰かが尋ねる。彼女はそれに直接回答しない。うーん、しばらく無職やって、あとは自分の食い扶持だけ稼げばいいかなーって思う。食事? 大丈夫。カップうどんを箱買いしてる。
 カップうどん、好きすぎだろ。わたしがそう突っ込むと、だって、と彼女は言うのだった。美味しいものって、疲れるじゃん。情報量が多いっていうか。ひとりでそんなの食べてもしょうがないじゃん。

 わたしは衝撃を受けた。わたしはひとりで凝った料理を作って食べるのがとても好きである。一人旅も好きだし、読みたい本も無限にある。もちろん人に何かを振る舞ったり一緒に楽しむのも好きだが、基本的に自分のために何かしている。
 この人はそうではないのだった。
 それは才能だよ、と彼女は言う。わたし、ひとりで何がしたいかって訊かれたら、寝てたい。おなかがすくのもめんどくさいからできるだけ空かないでほしい。

 思い返せば彼女はいつも、誰かのために何かをしていた。そうして今、子どもたちは立派な大人になり、両親は感じの良い老人ホームに入っている。友人たちも元気で安定している。経済的にも困っていない。
 それはとても、いいことだ。彼女の人生の果実だ。
 でもわたしたちの寿命はきっと長い。この人はその年月に飽いてはしまわないだろうか。そう思って、少し怖くなった。彼女抜きで友人たちと会議をしようと思う。彼女には何かが必要だ。食べたいものを選んで皿の上に盛りたくなるような、何かが。

愛していないと言ってくれ

 友人が、わたしのことをうらやましいと言う。
 わたしにとってここには二重の、いずれも非常に大きな驚きが含まれている。第一にわたしには友だちがいなかった。だいぶ大人になってから、何人かの友だちができた。本当に嬉しいことだし、何度でも驚く。第二に、わたしは友人からうらやましいと言われるような人間ではない。まったくない。謙遜だとか、そういう水準の話ではない。わたしは愛されずに育った。今でも、愛しやすい人間ではない。
 仕事をして自分を食べさせているのは、働けない事情のある人にはうらやましいかもわからない。しかし友人たちはみんな働いている。わたしをうらやましいという要素は、だからない。

 あなたは大人気になるタイプではない、と友人が言う。でもわたしは、あなたがとてもうらやましい。人生の早い段階で明確な方針を立て、逆境の中で的確な努力をしてきた。今でもしている。そして、十代のうちに親をきっぱり諦めている。これが何よりうらやましい。親に恵まれなかった人間はそれぞれの困難を味わうものだけど、その中でもものすごく予後がいいんだよ、早々に諦める能力があった人は。
 予後、とわたしは言う。予後、と友人も言う。病気でないのに、とわたしは言う。友人は少し笑う。

 わたしの主たる養育者は母親だったが、薄ぼんやりした自我が芽生えた時点で、わたしはその人を、「保護してくれる存在」として見てはいなかった。わたしの中には幼いころから母親に対する軽蔑の念があった。だからこそ彼女はわたしを愛さなかったのかもしれないが、それ以外にも彼女がわたしを愛さない理由はたくさんあった。中でも容姿は大きな要因だった。幼心にもわかるほど明確に、母はわたしが醜いから、わたしを好きになれなかった。
 わたしが特段に軽蔑したのはその愚かさと卑しさである。
 母はその容姿の美しさと、父親の機嫌を取ることだけで生きていた。子どもはその道具だった。わたしという道具の出来がよくないから自分は不幸だと思っていた。そんなのは本人の行動を見ていればわかることである。
 わたしは図書館に行って本を読んでものを考えてそのように結論づけた。この人は、ものを考えていない。強い存在、カネを持って帰ってくる存在に媚びて生きることしかしていない。自分が強くなろうとは思わない。一般的な正しさーー子どもは分けへだてなく愛するものだーーに沿った演技をするための労力すら払わない(そうしているふりをすると有利な場ではそうする)。
 わたしはそう思って、彼女を軽蔑した。それが間違っていたと思わない。

 それができない人間が多いんだよ。友人が言う。わたしもそうだった。うちは過干渉だったんだけど、三十過ぎまで「でも母は母なりにわたしを愛していたのだから」と思っていた。でも過干渉は愛ではないの。あなたのおうちと同じように、子どもを道具にしていたの。わたしはいい年になるまで、そんなこともわからなかった。母を諦められなかった。母に愛されている自分でいたかった。問題は愛し方や相性なんだって、そう思っていたかった。そこで停止していた。だからわたしの問題はこじれにこじれてちっとも解決しなかった。
 それは、とわたしは思った。わたしの家とは違って、そのひどさが明確でなかったという、それだけの話じゃないのだろうか。友人の母親は、話を聞くかぎりわたしの母親ほどあからさまにひどくはなく、友人は少なくともわたしのようにわかりやすい欠点を抱えてはいない。
 それは違うと思う。友人は言う。あなた自身に関するあなたの認識の正誤や是非はさておいて、世の中には殺される直前まで養育者を諦めない人もいるんだよ。「愛してほしかった、しかし愛されなかった」と認めるのは、誰にでもできることではない。あなたはやってのけた。冷静に、ひとりで、やってのけた。本当にすごいことだよ。

 すごいのだろうか。すごいかもしれないが、それは「すごく冷酷だ」とか「すごく常識知らずだ」とか、そういうすごさではないだろうか。
 そう思う。でも、言わないことにする。口にすれば、わたしはこの友人を、「そうでない」と言われたい自分の道具として扱うことになる。そのように思う。わたしはただこの友人の好意を受け取り、「そう考える人もいるのだ」「ありがたいことだ」と感じるままにしていればいいのだ。そう思う。
 このように考える自分を、時間をかけて、わたしは育てた。
 愛していない人がみな、愛していないと言ってくれればいいのにね。わたしはそう言う。友人はうつむいて少し笑い、ほんとうにね、とつぶやく。

自由意志と家の中に落ちている靴下

 同僚ふたりが目の前で次々に話題を繰りだす。わたしたちはいずれも四十代の女で、ひとりは娘が小学六年生、もう一人は子どもなしの二人暮らしである。彼女たちはふだんから早口なのだが、退勤後に食事やお茶に行くとさらに早口になる。言いたいことがたくさんあるのだ。
 彼女たちの話題はめまぐるしく入れ替わる。職場の人事異動について、担当したプロジェクトについて、今後の組織改編について、それから私生活について。彼女たちは何に関しても明瞭な意見と長期的な方針を持っているように見える。ふたりがふとわたしを見て、「この人なんで黙ってるんだろう」という顔をする。仕事の話や趣味の話や食べ物の話をしている間は、わたしもよく話すからだろう。わたしはいくらか目をふせて、しょうことなしに少し笑う。

 家庭の話になるとわたしはあまり話すことがない。子どもはひとり、もう大人で、家を出ている。夫とふたりの生活には変化というものがない。家事は昔に比べてたいへんではない。全自動洗濯機もロボット掃除機もある。食器洗い洗浄機は必要ない。家族の数が少ないと、皿洗いは手を洗うほどの手間でしかないようにわたしには思われる。
 立派だなー、とひとりが言う。ロボット掃除機だから掃除の手間がないなんてことないでしょ。ロボット掃除機を掃除する必要がある。夫はそこのところをぜんぜんわかってないの。それでこの前おこっちゃった。あの人、ようやく自分の洗濯物を自分でまとめて自分でたたむようになったんだけど、なにしろ独身のころから買ってきたものを食べて掃除もろくにしない人でね。わたしはまあ、わかってて結婚したからいいんだけど、でも今はわたしだけの問題じゃなくて、娘の教育によくない。同じように働いてるのに男のぶんまで家事するのが当然だなんて、娘には思ってほしくない。だからこの人の家に娘を連れて行ったりしてるの。料理してる男性を見せたくて。
 そう言われたほうの同僚は、ことのほかつんとした顔をつくってみせる。彼女のパートナーは家のことを何でもする人なのだそうである。助け合わない人間と一緒に生活する理由はない、と彼女は言う。わたしは、障害があるのでもないのに自分の身のまわりの面倒も見ない大人は、生理的に無理。でもあなたはとにかく相手の顔が好きで結婚したのだから、いいじゃない。その信念の強固さについては、わたし尊敬してるんだ。面食いもそこまでいけば立派なものだよ。
 ふたりはパートナーシップのあり方について侃々諤々と話す。それからまたわたしを見る。わたしは今度は目を伏せずに笑う。そして言う。ふたりとも立派だね、ちゃんと考えて人生を決めていて。

 わたしは親同士が仲の良い近所の子どもだった人と、今でも一緒に生活している。好きだったのかと言われれば、もちろん嫌いではなかった。しかし絶対にこの人がいいと思っていたのでもなかった。まして、この人が好きだからこの人のぶんまで家事をやろうと思ってしてきたのではない。ただ大きな波が来て交際して結婚して二人分ないし三人分の食事をつくって皿を洗って脱ぎ捨てられた靴下を拾って生きている。子どもだって作ろうと思って作ったのではなくて、できたから学生結婚と休学と出産をした。そうしてずっと、生まれた町の、自分と夫の両親の家の近くに住んでいる。
 それだけである。

 意思がない、とわたしは言う。わたしの意思で結婚して子どもを持ったのではない。誰かと戦って何かを勝ち取ったことがない。ただ許された環境にいて運良く食い扶持を稼ぐことができて、それなりにキャリアを築くことができた。それがわたしの意思だったのかと言われると、そうじゃないと思う。わたしは勉強しろと言われて勉強して、職場で求められることをして、家事も育児もわたしがするものだと思ってた、ううん、思ってさえいなかった。ただしていた。そのための努力はしてきた。でも、努力しようと意思してしたのではない。わたしはただ、たまたま睡眠時間が少なくても平気で、体力があって、それで。

 そうだろうか。
 ひとりがつぶやく。
 あなただけ意思がないなんてことはない。わたしだって、職場でできることをしているだけの人間だよ。家族だって、なんだかよく家に来て、長く居て、居ると気分が良くてラクで、だから一緒にいて、今もそうしているだけだよ。子どもがいないのも子どもがやってこなかったからで、いたらいたで育てていたと思う。わたしは、こんなに主張の強い声のでかい人間だけど、でも、ほんとうは環境の変数の合計にすぎないんだと思う。
 わたしはもう一度目を伏せる。そんなことはない、と思う。