傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

やさしさの出力調整

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。実習なしには成り立たない分野であり、いわゆるエッセンシャルワーカー(疫病後突然人口に膾炙した語である)を育てる場でもあるからだ。
 わたし自身はその分野を勉強したのではないし、資格も持っていない。学校事務をやろうと思って就職先を探したら採用してもらったのだ。

 対人サービスで窓口業務があるところには必ずヘビーなクレームが発生する。何をどうやっても発生はする。できるのは減らすことだけである。
 今回わたしが対応したケースはどう考えても防げるものではなかった。
 学生が学校に来なくなると、事務が取りまとめて学年担任の先生に通知する。先生はたいていその前に把握しているが、ともあれ先生は学生にメールを出したり、電話をかけたりする。それらのうち一定の学生は連絡をすべて無視する。
 この事態が続くと、教員側と事務側の双方で、保護者(たいていは親)への連絡が検討される。一人暮らしの学生なら健康なども心配になってくる。とはいえ、学生によっては親に連絡されるとたいへんなことになるので、一律同じ時期に連絡するわけではない。世の中には学生の奨学金を取り上げるようなとんでもない保護者から逃げてきた学生だっているのだ。
 今回のケースでは早い段階で担任の先生が保護者に電話をかけていた。入学時提出の書類に書かれていた、学生のお父さまの携帯電話番号である。先生がかけても出なかったとのことで、事務からもかけた。やはり出ない。
 さらに時が過ぎたが、その学生は学校に来ない。本人も保護者も連絡に応じてくれない。このままでは留年は確実だし、一留で済まない可能性もある。ここまでくるとわたしの職場では書面を送る。
 するとその学生のお母さまから電話が入った。そう、お母さまは何ひとつご存知なかったのである。自分の娘(女子学生である)が学校に行っていないことも、学校が本人や父親の携帯電話に電話をかけていたことも。

 お母さまの言い分はこうである。
 娘が学校に行っていないのに放置していたとはなにごとか。本人に連絡したというが、いつ誰がどのように連絡したのか。連絡に応じられない気持ちになっていると想像しなかったのか。学校に行けなくなった原因について調査したのか。もっとずっと早い段階で、両親の双方に連絡があってしかるべきではないか。学校に行ってもいないのに学費を支払えとはどういうことなのか。
 ところが、「学生対応についてのデータを開示せよ」といった要求をするつもりはないのだという。つまり、要望あっての電話ではないのだ。感情の問題なのである。まあそうじゃないかとは思っていた。
 こういう人はいる。
 大きなできごとがあって自分の感情を処理できなくなったとき、他人にそれを委託しようとするのである。親しい人と話したり海に向かって叫んだりするなどして落ち着き、要望をまとめてから電話してほしいのだが、それをすっ飛ばしてしまう。そして電話口で延々と話し、泣き、怒り、また話す。
 わたしの経験則によれば、こういう人の90%は話せば落ち着き、その後も話はこじれない。5%はぜったいに納得しない。残り5%は一度落ち着いて電話を切るが、その後何かのきっかけでまた感情を昂ぶらせ、電話をかけてくる。

 このお母さまが90%の人でありますように、と思いながら電話を切った。
 一週間後にまたかかってきた。最後の5%のケースだったか。

 「担任に出席状況等について問い合わせたい」というので先生につないだ。案の定、内容は実際には出席のことではなく、わたしの時と同じであるようだった。
 わたしと先生は顔を見合わせた。あのお母さま、「問い合わせ」二回じゃたぶんおさまらないな。

 わたしの勤め先は小さい学校なので、校長がそこいらにいる。わたしと担任の先生で連れだって校長をつかまえ、今回のケースについて相談した。
 うんそれはね、もう慰めなくていいよ。校長はそう言った。次かかってきたら録音して「事務的」な対応して。

 二人とも、その人にやさしくしてくれてありがとね。でも、そろそろ、やさしさの出力を絞るタイミングだね。
 あのね、そういう人って、「こんなにつらいんだからまたなぐさめてもらわなくっちゃ」って思うの。二回ゲットしたものは三度も四度も手に入ると、どこかで思ってる。だから「問い合わせ」の名目がギリギリ立つうちに、「もらえない」前例を作らなきゃいけないの。

愛されずに育ったが、人生に支障はない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。
 ああ、人がいっぱい死ぬんだ。そう思った。

 わたしは平凡な人間である。当たり前に大学を出て当たり前に働いている。
 そうしてわたしは退屈していた。わたしは本を読みすぎたし、人々の言うような良い場所に行きすぎた。そしてそのすべてに退屈していた。

 わたしの母親は男の子が欲しくて子どもをいっぱい生んだ。四人目までぜんぶ女だった。今の若い人の言うところのガチャである。子ガチャ。
 五人目にようよう男の子が生まれた。わたしが四歳のときである。
 なぜそんなことをしたかといえば、母は無力で、そしてとにかく男が好きなのだ。男というものを見る目が非常に熱心で、女というものはだいたい視界から外れている。

 母は父を愛していた。
 それはそれは深く愛していて、よくお仕えしていていた。
 母は美しい女だった。盆正月に集まる親戚はみんなそう言った。やけに鼻の高いくっきりとした二重まぶたの、「ばあさんが進駐軍に体売ってた」と陰口たたかれた、そういう顔面である。白くて肌理の細かい皮膚、細長くてまっすぐの脚とでかい胸、たっぷりとなびく髪、そうして何より、いつも笑顔でかわいい声の、美しい女。
 そのほかに何もなかった女。

 母にはものごとを考える能力がなかった。
 わたしは七歳のときにそのことを理解した。わたしの母親はわたしの知るかぎり「えらそうでカネを持っている男に媚びる」以外のことに人生を使用したことがなかった。ものを考える能力がないと与えられたルールをそのままやるしかないんだな、とわたしは思った。
 母は自分が産んだ子に対しては(だいじにだいじに育てている男の子でない、はずれくじの女でも)、多少は頭をめぐらせるヒマがあったらしく、わたしはだいぶなじられた。
 あんたはお母さんをバカにしている。
 母は繰り返しそう言った。わたしはほんとうに母をバカにしていたので、黙って床を拭いていた。

 父はわたしをブスと呼んだ。おい、ブス。ブスがくせえな、おい。名前を呼ぶこともたまにあった。でもそれは嬉しいことではなかった。風呂で背中を流せ、簡単に言えば「脱いでちんぽしゃぶれ」という意味だからである。わたしはそんな母みたいなことはぜったいにやりたくなかったので、配膳するときも酌するときも風呂に呼ばれるときも椅子を手に取れるところに陣取っていた。ダイニングの椅子、リビングのスツール、風呂上がりに父が溺愛する祖母の座るための椅子。
 椅子は軽くて手に取りやすい腰高で脚を持ってひっくり返して相手の脳天にたたき落とせば子どもが大人を殺すこともできる、非常に有用な家具である。
 いつもその向こう側にいて、「娘」のくせに父親の所望する「お仕え」をやらなかったのでわたしは玄関に正座して姿見に向かって「わたしはブスです」と百回叫ぶことを毎日の義務とされた。隣家の善良な婦人に聞こえるように正しい発声を心がけた。図書館の本で読んだからわたしはわたしの両親が社会的に正しくないことも、効率的にでかい声を出す方法も、ぜんぶ知っている。
 「わたしはブスです」と鏡の中の自分の顔に向かって何度言っても、わたしは平気だった。
 だってわたしの顔は、わたしの母親の生き写しなのだもの。みんなこれを美人と言うのでしょう。わたしは、母親より二十七歳若いから、資源としてもっとずっと価値があるのでしょう。
 わたしはそれを売らずに生きる。わたしのからだは、わたしだけのものだ。

 そうやって生き延びることを目的としていたから、実際に生き延びると何もすることがない。
 当たり前に十八で家出して奨学金をもらって大学を出て当たり前に働いている。本を読みすぎたし、長じては人々の言う良い場所に行きすぎた。そうしてそのすべてに順当に退屈した。
 退屈したので人がいっぱい死んでいるところに行ってボランティアをしたら気持ちがよかった。
 そこいらに人がごろごろ死んでいて、わたしは死んでいないから。
 でもそういう災害は毎日起きてはくれない。

 そのうちに疫病がやってきた。わたしはわくわくした。みんなうろたえている。みんな死にたくないって思ってる。いいね。すごくいいね。みんなかわいいよ。みんなきれいだよ。どこで人がいっぱい死んでる? わたしそこ行くね、わたし役に立つよ、ねえ、わたしお医者さんなんだよ、みんなのこと助けて助けて助けきれなくてわたし泣くの、だからねえ、みんなわたしの前で、死んで。息を詰まらせてそれでも息を吸おうとして苦しんで苦しんでそれから死んで。そしたらわたし、やっと退屈じゃなくなる。

推しのいない人生

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、メディアでフォーカスされた消費行動が「推し活」である。アイドルや演劇などの舞台をはじめとしたさまざまな趣味に熱中しお金や時間を使う人々について、おおむねポジティブな論調で報道されている。
 私の友人にも熱心に推し活をしている人がいる。新卒から二度ばかり上向きの転職をして華やかな職歴を築き、経済的に余力があり、舞台を大量に観ている。疫病下で飲食店の営業が制限されていた時期に学生時代のような家飲みが復活し、彼女の家によく集まっている。いつ行ってもおしゃれできれいな部屋だ。

 今日も今日とて彼女の部屋に集合した。ゲストは私を含む二名、学生時代から仲が良く、彼女のチケット争奪戦の協力者である。このたび非常に貴重なチケットを入手したということで、その協力のお礼に良いワインを飲ませてくれるという主旨だった。私たちはとくに主旨がなくても集まるので、半分は言い訳みたいなものである。
 私たちは仕事もバラバラ、結婚や子どもといったプライベートもバラバラ、何なら趣味もけっこうばらけているのだが、そのような差異はとくに問題にならず(むしろおもしろい)、話題も尽きない。

 四十万、と彼女は言った。今回のチケットに転売屋がつけた値段。転売屋は悪だよ、ほんとに。
 私たちは黙って頷く。彼女が手洗いに立つ。残されたふたりで顔を見合わせる。四十万、と私は言う。天引きなしの四十万、と返ってくる。二人してひっそりと、四十万は、いいなあ、とつぶやく。
 どんなに行きたい舞台だったとしても、私なら「四十万」のほうに意識が行ってしまう。実際に転売に手を染めるわけではないが(正しくないという以前に、そんな倍率の高いチケットを取ろうと思ったことがない)。
 推しってすごいものだねえ、と私は言う。戻ってきた彼女に言う。いいな。私だってそっちがよかった。

 推しのいない人生を歩んできた。
 私は年に何度か舞台を観る。映画もいくらか観る。ばかみたいな量の小説を読み、マンガを読む。でもそのどれにも「推し」はいない。
 好きな俳優がいないのではない。でも「チケットを毎回手に入れるためにはファンクラブに入ってあれしてこれして」となると、ならいいや、と思う。その程度の「好き」である。いちばん好きな小説にいたっては本を買えば読めるし、絶版でも国立国会図書館にはあるのだから、楽しむために何の熱心さもいらない。水みたく消費できる。

 結局のところ私はカネ払って芸を観たいだけの人間なのだ。
 私は、観たいものにつけられた定価以上の対価を何も支払いたくない。受け取りたいという欲望もない。ファンサービスとかファン同士の交流とかに喜びを見いだせない。私は推し活文化から見捨てられた人間なんだと思う。現代のコンテンツ消費パーティへの招待状が届かなかった人間なんだと思う。
 私だって熱狂したかった。アイドルや俳優を好きになってきゃあきゃあ言ってみたかった。私が特別に好きになるのはキラキラしてないそこらへんに落ちてる人間で、きゃあきゃあ言うようなもんではない。普通に話をする。世の中にはスターがいっぱいいて、入り口になる映像は無料で観られる世の中で、私だって芸事は好きなのに、きゃあきゃあ言う相手が見つからない。どうしてだろう。
 私はそのような話を、ぼそぼそとする。

 いいじゃん。推し活をやる友人が言う。それはそれでいいじゃん。俳優ばかりを消費することに苦言を呈する舞台人だっているよ。そういう人にとっては、「定価でチケット買って芸を観たいだけの人」は望ましい存在だよ。わたしは、推しが出てる中でも厳選した良作だけを紹介してるから、手放しにいいねと思ってくれているんだろうけど、世の中にはマジで観た後に虚無になる舞台だってあるんだからね。そういうのも観ちゃうんだよ、推しがいるという理由で。そういう側面はまったく健全じゃないとわたしは思うよ。わたしたちみたいなのばかりだと虚無舞台が増えかねないから、あなたみたいな客もいたほうがいい。
 私はしょんぼりする。私は虚無(すごい言葉である)でも観たいと思うほどの熱意が自分に発生しないことがさみしいと、そう言っているのだ。舞台文化全体にとってプラスだと言われてもあんまり慰めにはならない。
 私にもそのうち推しができないかな。未練がましく私はつぶやく。五十歳とか六十歳とかで突然さ、運命みたいに。

 友人は苦笑する。そんなことは起きないと、たぶん思っている。私の知らないその理由を、彼女はたぶん知っている。

通り魔と気が荒くてしつけがなってない犬

  疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために、以前よりは近所で過ごすことが増えた。わたしは落ち着きのない人間で、疫病前は休みがあれば旅行に出ていたのである。
 疫病流行の最初の年、運動不足を解消するためにジョギングをはじめ、それがなんとなく続いていて、週に三日は家の周辺を走っている。そのエリアの中によく行くスーパーマーケットとドラッグストアがあり、たまに行くカフェがあり、最寄りの地下鉄の駅がある。
 小さな児童公園もある。夏場にはそこにある水道でばしゃばしゃ顔を洗ったりしている。今日もそこから出ようとすると、出入り口(車止めのようなものがある)に一人の男性が近づいてきた。手にスーパーマーケットの袋を提げている。
 わたしはその人をよけた。すると男はまっすぐ前を見たまま平行にからだをずらしてわたしに身を寄せ、素早く肘を突き出した。二度。そしてさっと歩を進めた。

 わたしはそういうとき、とっさに「あア?」みたいな声が出てしまう。
 正義感が強いのではない。育ちが荒いのだ。中学校がとくに荒れていて、温厚なインドア派だったわたしも「なめられたらいけない」と当たり前のように考えていた。すれ違いざまにぶつかっていやがらせをするような連中は、反撃しないともっとひどいことをするのである。世の中をなめた中学生は簡単にエスカレートする。だからわたしは黙っていなかったし、目の力を磨いて(悪い目つきを習得して)防御力を高めた。高校に進学したら誰もガンすらつけてこないことに驚いたものだ。
 そのような環境で育ったので、加害されると反射的にガラの悪い反撃をしてしまう。頭ではわかっているのだ。毅然と抗議し、場合によっては警察を呼ぶほうが適切であることを。相手をスマートフォンで撮影するといった対処だってできることを。そして、これはわたしはしたくはないのだが、一般的には自分の安全のために黙ってがまんして通り過ぎたほうがよいことを。
 でもできない。意識してやってることじゃないのだ。わたしは「あア?」のあと、「ぐらあ」みたいな音声を発した。わたしに肘鉄をした男は小走りで逃げ、振り返って「ごあっ」というような音声を発した。わたしにはわかる。あれは捨て台詞、「逃げたわけじゃねえぞ」という意味の音声である。けっ、逃げたくせに。次見かけたらタダじゃおかねえ。

 帰って夫に「このようなことがあった」と話すと、彼はため息をつき、心配だからできれば泣き寝入りしてほしい、と言った。世の中にはおかしなやつがいっぱいいるんだ、刺されたりしたらどうするんだ、泣き寝入りしてほしい。
 できないんだよとわたしは言った。もうね、反射で出ちゃうの。
 犬じゃん、と夫は言った。気が荒くてしつけがなってない犬のすることじゃん。すれ違いざまに他の犬に唸りかかってその犬に噛まれそうになって捨て台詞みたいな鳴き声出した犬、おれ見たことある。

 あのね、と夫は言う。そういう連中はあなたが抗議しなくてもそのうち勝手に破滅しますよ。近所をしょっちゅうジョギングしてる身長170センチ近いおばさんに加害するなんて、よほど追い込まれているにちがいないよ。
 そんなことは絶対にないけど、仮におれが「むしゃくしゃするから誰かを加害したい」「相手は女がいい」と思ったとしよう。理屈で考えたら、大きい駅に行く。実際、そういう動画ってでかい駅で撮られているだろう。近所ではまずやらない。特定されたら大変だ。駅より近所のほうが、被害者が警戒して通報したり人に話したりして対策する可能性が高い。しかもここは近所づきあいが密な下町ですよ。おれたちのパパ友ママ友だけで特定できるかもわからない。
 そういうこと全然計算してなくて、たぶん行きつけの、駅前のスーパーの袋を提げたままやっちゃうんだから、もうそれ以外に何のストレス解消法もないんだろうよ。でかくて元気そうな女はやめておこうとか、どうせ触るなら若い子がいいとか、そういうことすら考えていない。考えられない状態なんだと思う。ストレスがパンパンに膨れ上がって内側からそいつを食い破ってる感じ。認知症かもわからない。

 そこまで言われると、あの肘鉄男が心配になってきた。認知症を疑うような年齢には見えなかったけど、たしかにまともな振る舞いではない(わたしに言われたくはないかもしれないが)。民生委員の小諸さんとか町内会長の白井さんとかに話しておこうかしら。

死ににくい年代と死にやすい病気

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。いまだそのさなか、わたしはがんになった。

 医者はいかにも隠しきれない、うきうきしたようすで、わたしにそのことを告げた。わたしは典型的な文系で、職業もマイナーな言語二カ国語とときどき英語のビジネス翻訳、頼まれれば(あまり儲からないタイプの)書籍の編集をしているのだが、身内にいくらか医療者があり、日本の標準医療に信を置いているので、医師とコメディカルの言うことは基本的によく聞くのである。
 それにしたってうれしそうなのは解せない。がん告知だろうに。

 その後あれこれ調べて知ったのだけれど、わたしのかかったがんは非常に予後のよいタイプで、それが超早期で見つかったので、医師は心から喜んでいたのだった。
 わたしは三十五歳を迎えて以来、二年に一度人間ドックを受けている。今年もその結果をもらいに行ったら、「たぶんなんでもないとは思うのですが、ぜひ、ぜひ検査に行ってください」という、たいそうきっぱりしているのにやけにあいまいな物言いをされて、それで検査に行ったら、要するにがんだったのである。

 わたしは四十二歳である。がんになるには早いように思う。しかし、わたしには去年胃がんになってあっというまに死んだ同世代の知人もいるのだ。
 そのときにわたしは思った。
 人間は思春期を超えたらみんな死に向かっている。

 もちろん、思春期は死に近い。少年少女。皮膚とからだの薄い、よく笑う不安定な生き物。あいつらすぐ死ぬ。自殺とかする。それから三十過ぎても思春期をやっている連中は「事故」で死ぬ。向精神薬と強いアルコールを同時にやって家の中で階段を踏み外すというような、自殺にかぎりなく近い、事故で。
 早いタイプで十五歳、もう少し遅ければ二十代で、遅い人なら三十すぎに、人間は大人になり、健康に気を配って社会生活をやって、しばらくは死なない。
 そう、わたしが直接知る人たちは、三十代では死なかった。しかし、四十過ぎたらまた死ぬのである。
 知人が、というだけではない。
 わたしがそうなのかもしれなかった。

 まあしかし入院開腹手術成功そののちの、予後は非常に良いということだから。
 わたしはそう思う。落ち着こう。まずは入院の手配をしなければならない。

 この入院の準備が非常なストレスだった。「入院します」と連絡したら、会社はやけに騒ぐのである。社内でわたししかわからない言語を扱う仕事の予定が入ったところだったのだ。
 知ったことではない。わたしは入院して腫瘍を取るのである。
 しかし世は疫病下、わたし自身がそれに罹ったら悪性腫瘍を抱えていたって入院できない。入院前の二週間、わたしはぴりりぴりして引きこもって暮らした。
 そうして、わたしは鳥をどうにかしなければいけないのだった。わたしは大きいオウムと暮らしていて、少女のころ親に買ってもらって自分で育てていたのを、独立したときに連れて出ていたのだが、このオウムはどうかすると五十年生きるので、まだぜんぜん中年である。よくしゃべるし、その相手をしてやらないと拗ねるし、ストレスが溜まると羽根を抜くし、もちろん毎日の放鳥も欠かせない。
 この鳥を預けるところが、どうにも見つからないのだった。身内に頼むには期間が長すぎる。都内に住んでいて、飼っているのが犬であれば、大型犬でも高齢犬でもどうにかなる。でも鳥はそうではない。
 両親がこの鳥を買った鳥専門のペットショップに行き、買った鳥について相談するとひっそりとホテル業務について開示してくれるという、禁酒法時代に酒を飲みたい人が違法営業バーに行くみたいなルートで、わたしは鳥を預けた。自分でもびっくりするくらい、「わたしはしばらく家に帰れないし、わたしが寝ているこの部屋にわたしの鳥がいない」ということに落ちこんでまった。
 そういう人間ではないつもりだった。
 そういう人間であることは、悪くなかった。

 わたしは今後いくらかの検査を受けたのち、生活にまったく制限のない健康体の四十代として世に放たれる。
 それでもわたしは鳥に言う。病気になって悪かったね。わたしたちはいつもとても幸福だね。それを毀損してほんとうに悪かったと思うよ。それだからわたしはおまえが死ぬまで健康でいて、飲みに行って遅くに帰っておまえに叱られたりするからねえ。ええ、今日も行くのですよ。今日はモダンスリランカだよ。おまえのご先祖さまのいたところのように暑い土地の、人間の料理だよ。
 わかるかい。わからないかい。わからないねえ。おまえの胡桃のような脳みそには、とうとうわからないことだねえ。

見よ、わたしの伯母力を

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにホームパーティもだいぶ減ったのだが、二年半も経てば「そろそろいいのではないか」という感じになる。基準もなにもない、気分の問題だが、わたしが思うに大半の人間は気分で疫病対策をやっている。
 わたしがこのたび呼ばれたのは妹の家でのハロウィンパーティで、去年は妹家族とわたしだけでやったのだが、今年は大がかりにやることになった。子どもの参加者は総勢七名にのぼる。上の妹の子ひとり、下の妹の子ふたり(わたしたちは三姉妹である)、妹の友人の子ふたり、妹の家の近所の子ふたり。年齢は三歳から七歳まで。もはや保育所か学童である。

 妹から誘いのLINEが入った段階で、わたしは子どもたちの最近のハマりごとを尋ねた。子どもというのは移り気なものである。よく会っている妹の子でも確認する必要がある。
 妹は参加者の親全員にリサーチをかけ、結果をわたしに教えてくれた。ふむふむ、恐竜、虫、ディズニープリンセス、スパイファミリー、ドラゴンボールね。今の子は最新のアニメだけじゃなくて昔のにもはまるね。ポケモンはいない? 今たまたま全員ブームを脱している? 了解。
 わたしは近所のスーパーと百均とおかしのまちおかを行脚し、彼らの好きなものが描かれたパッケージの菓子を揃え、その他の菓子も仕入れた。それらをハロウィン模様の袋に詰め、彼らが好きな色のリボンをつける。わたしの家にはよく会う子どもたちが好きな色のリボンがひととおり揃っている。タブレットにはアニメをダウンロードしておく。

 当日、ご馳走をひととおり食べてはしゃぎまわった子どもたちが疲れてアニメを見始める。わたしのタブレットは妹のテレビとペアリングしてあるのだ。七歳たちは集中している。おちびさんたちは寝そうである。それを見て妹の友人が言う。トモコさん、相変わらずすごい腕前です。伯母力に磨きがかかってる。

 わたし自身は子を持たない人生を選んだ。それはそれとして子どもは好きである。見ていておもしろいと思う。そのために積極的によその子の相手をしてきた。上の妹の結婚がとても早く、もう子ども向けのパーティには来ない十五歳の甥がいる。すなわちわたしの伯母歴は十五年。下の妹の子や親しい友人の子にも定期的に会っているから、カメラロールはよその子だらけだ。バブバブから小学生までどんとこいである。
 一度に複数の子どもを相手にするにはこつがある。まじめな人はひとりひとりに真剣に応対してしまうし、子どもの言うことをそのまま受け取って律儀に会話を続けてしまう。そうすると残りの子の相手ができない。てきとうにあちこちに相槌を打ちながら集団としての方向性をつけ、しばらく飽きずにできる遊びに誘導することが肝要である。そうすれば子ども同士で遊びはじめるので、大人が食事や飲酒に集中できる。もちろん、がっちり遊んであげるときの手札もたくさんあるし、様子を見て一人の話をしっかり聞くこともある。
 わたしのそういうスキルを、人は伯母力と呼ぶ。わたしが女で甥姪が妹たちの子だから伯母力だが、叔母力、伯父力、叔父力というのもこの世にはあろう。
 わたしは思うのだが、世の親御さんは赤の他人の「おばおじ力」をもっと使ったほうがいい。子どもはたいてい、たまに会ってかまってくれる大人を好きである。そしてその相手をするのが好きな大人もけっこういるものである。わたしなんかは相手する子が自分と血がつながっていなくてもまったくかまわない。たまによその子どもをかまうのは、わたしにとっては娯楽のひとつ、趣味のひとつなのである。

 子どもたちがアニメを見終える。妹が時計を見る。そろそろデザートの時間だ。わたしは準備してきたパフェセットを出す。切り落としのカステラ、カットフルーツ、アイスクリーム二種、ホイップクリーム、ミニクッキー、チョコスプレー、アラザン、そして脚つきのプラスティックのグラス(子どもは脚つきグラスが好きである)。
 何かを察した子どもたちが、呼ぶまでもなくやってくる。好きなのを好きなだけ入れるんだよ、とわたしは言う。飾りつけも好きにやろう。
 ぼく、ピンクがいい! ひとりがそう叫ぶ。わたしはこたえる。ピンクのお星さまのクッキーは全員分ありまーす。
 子どもにパフェを作らせると個性が出ておもしろい。それにケーキよりずっと安く上げられます。お試しあれ。

向上心の範疇

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人と気軽に会う機会がぐんと減り、代わりにインターネット上でのコミュニケーションが活発になった。たとえば学生時代のサークルのグループLINEがそうである。
 以前はたいていしんとしていて、誰かの節目にメッセージが飛び交い、またしんとするという、なかなか良いものだった。つまり、煩わしくなかった。わたしのようなずぼらな人間は何も発信しなくていいし、返信もてきとうでかまわないし、しちめんどくさいSNSをやらなくても誰かの節目を知ってお祝いに参加することができるのだ。グループ経由で個人あての連絡が来れば「マルチ商法とかかな」と思っててきとうにかわせばよかった。

 それがこの疫病下の二年ではぽつりぽつりと連絡が来る。必ずしもマルチ商法じゃないやつが来る。わたしとて相手によっては旧交を温めるにやぶさかではないのだが、たいていはぴんとこない相手から来る。
 近ごろ未読スルーにしているのはそのような連絡のひとつである。何か害のあることを言われたのではない。ただの情報共有、だそうである。でもその背後にあるものがわたしにはどうも受けつけない。なんというか、彼女の(学年がひとつ上の同性の先輩である)「向上心」がわたしには快く思われないのだ。

 彼女はもともとファッションや美容に関心の深い人だった。飲み会の当たり障りのない話題としてわたしも乗っかっていたように思う。アドバイスのようなことを言われて、「さすがです」というような返事をしたこともあったように思う。
 しかしわたしとてもう四十である。卒業後だれかの結婚式の二次会でしか会っていない先輩からファッションについての情報をもらう必要はない。しかし彼女は熱心にわたしに「向上」を勧めるのである。
 わたしと疫病以降に会った友人がSNSにわたしと撮った写真を投稿して、先輩はそれを見たのだそうだ。そして「あきらめないで」と言うのである。彼女はわたしの容姿の変化がいたく気になるようなのだ。具体的に言うとわたしが太ったことに同情しているようなのである。
 学生時代、わたしはガリガリだった。子どものころからそうで、食欲旺盛なのに背ばかりひょろひょろ伸びて太れなかったのだ。夢はでかい胸をばーんと張ってセクシーな服を着ることだった。年をとって少し太って妊娠して胸のサイズが変わったときには大喜びで部屋の中でひとりでビキニを着てグラビアアイドルポーズの写真を撮った。なんなら第二子のときもやった。夫や友人に見せたら、みなアルカイックスマイルを浮かべ「よかったね」と言った。
 そのようなわたしが中年になってもう一段階太った。人並みのサイズになった。わたしはそれがかなり気に入った。肌がかさかさしないのでメイクも楽しい。疫病下で出かける機会も少ないのにしょっちゅう服を買っている。

 しかし先輩は「シンデレラ体重だったのに」と言う(LINEで)。「あなたと身長が近くてあなたと同じイエベ春骨格ウェーブの美容系YouTuberがいます」「この人はボディメイクの詳細を公開しているので、ぜひ見てね」「食事もワークアウトも参考になると思う」と言う。
 わたしは肌だの骨だのをタイプわけすることに関心がない。そういうのが好きな人はやったらいい。でも自分が他人からあれこれ決められるのは好きではない(しかもみんなバラバラのこと言う。どうでもよさにもほどがある)。シンデレラ体重とかも心の底からどうでもいい。そもそも人の体重をどこで知ったのか。見て判断したのか。しかも覚えてるのか。対面したのはだいぶ前で、しかも大勢でなのに。ちょっと怖いんですけど。
 彼女にとって身体は常に向上させるべきものであるらしく、そしてその「向上」には明確な指標があり、お手本があり、そのとおりにすると同じような仕上がりになるものらしい。
 わたしにとってはそうではない。
 彼女はそのことを理解しない。「いやわたしそういうのいいんで」とはっきり返信したのに、返ってきたのは「あきらめないで」である。わたしがあきらめたいのはあなたとの関係である、と言いたい。

 でも言わない。放っておけばいいやと思う。
 「向上心」はご自身にだけ向けてもらいたい。その「向上」はわたしの向上ではない。わたしの容姿はあなたの価値判断のもとにない。そう思う。でも言わない。めんどくさいから。