傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

腰痛のしくみ あるいは、我慢は努力ではない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにもっとも影響を受けたのが医療機関である。わたしの職場は感染症とは直接関係しない科なのだが、それでもえらい目に遭った。長いこと、プライベートでは夫と子どもにしか対面しなかったし(疫病流行以降、一気に広まった語であるところの「同居家族」だけということだ)、その後も対面では親族としか会っていない。同じ都内に住んでいる両親を自宅に呼ぶにも食卓にアクリルの衝立を置いていたものである。
 近ごろは会食なしで短時間会うことは問題でなくなったので、友人たちとも会うことにした。画面越しでなく会うのは二年半ぶりのことだ。

 対面はすごい。なんかこう、身体の存在感がすごい。わたしはしばし感動してお茶を飲む友人を眺めた。
 仕事で相対するのは患者さん(近ごろの病院では「患者さま」だが、医療従事者にとってはそれぞれが「〇〇さん」なので、わたしの中では集合としても「患者さん」である)、それに医師とか看護師とかの役割を持った人間だ。わたしもそのひとりである。病院にある身体はすべて何らかの役割と目的を持って動いている。だからわたしにとってはあまり生々しくない。もちろん、相手はこのうえなく人間なのだけれど、適切な手順にのっとって接触する、不規則さの少ない存在である。
 そこへいくとカフェに座っている友人はめちゃくちゃ存在感がある。次に何をするかわからないし(いやそんなに突拍子もない人ではないのだが)、伝達内容が多彩だ。画面越しだといかに身体表現の情報が欠けるかを思い知らされる。わたしたちはひとしきり近況を話す。たがいの仕事と共通の友人の話がひと段落すると、友人が言う。最近腰痛が出ちゃってさあ、と友人が言う。

 それは我慢しないほうがいい、とわたしは言う。専門じゃないし診療場面じゃないから断定はできないけど、その症状なら街中のペインクリニックでブロック注射の適応になると思う。要するに局所麻酔を打つの。すぐ楽になるよ。
 友人のからだがちょっと後ろに傾く。そして言う。ペインクリニックって、痛み専門てことよね。いやそれほどじゃ。麻酔かけるような痛みでは……ねえ。
 わたしは言う。そんならいいんだけどね。もし強く痛むようになったら考えてみて。あのさ、腰痛の痛みをずっと感じていると、どうなると思う?
 友人は思案する。どうだろ。慣れちゃう?
 わたしは宣言する。ううん。もっと痛くなるの。どんどん痛くなるの。

 これは端的な臨床的事実だ。
 たいていの場合、痛みの原因が消失したら痛くなくなるのだが、そうではないものもある。ある種の腰痛はその典型だ。痛みを感じた神経が過敏になり、さらに強く痛みを感じる。痛みの悪循環、などと説明される現象である。これを治すにはどうするかといえば「いったん痛くなくする」。そのための局所麻酔だ。その場をどうにかするための痛み止めではなく、痛みのサイクルを切断するための措置なのだ。
 友人はほわーというような音声を発し(こういう音声もオンラインだとどういうわけか減ってしまうな、とわたしは思う。オンラインではみんな明瞭なことばを話す)、じゃあそれやるわ、と言った。我慢しても意味ないんじゃん。
 そうなの、とわたしは言う。我慢は努力ではないの。我慢が努力になるのは、「こういう理由でいついつまで待たなければならない」とわかっているときだけなの。
 「我慢は努力ではない」。これはわたしの学生時代の指導教員のせりふで、わたしがわりとだいじにしているものである。わたしはそれを素直に受け取り、待つべき理由があるとき以外、闇雲に我慢しないことを決めた。仕事でも夫婦関係でも子育てでも親戚づきあいでも、「わたしが我慢すれば」という発想を持たないようにした。
 だからわたしは夫の親族の一部から生意気で気が強い女とされている。わたしが思うに、生意気とか気が強いとかいう語彙はそもそも相手を下に見ていなければ使わないので、たとえ生意気でなく気が強くないようにふるまっても別に好かれない。我慢して控えめに楚々とふるまってハイと頷いて顎で使われても、夫の親族の一部から雑に扱われることに変わりはない。なんならエスカレートする。だから「わたしはそんなふうに扱われるべきではない」と示したほうが、わたしの存在が傷まない。手間暇はかかるし夫もたいへんだろうが、そういうコストが発生することを承知の上で一緒になった仲である。

 注射、痛いけどね、とわたしは言う。それな、と友人も言う。わたしたちはうふふと笑う。

マスクつけなきゃいけないんだよ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために娘の小学校生活はマスクや分散登校とともにはじまった。親は、それはそれは、それはもう、たいへんだった。疫病禍のほか、いわゆる小一の壁・小二の壁がある。わたしのまわりで親が仕事を中断したり辞めたりせずに済んだのは強力な祖父母があった者だけである。
 そのような(親の)綱渡りを超え、この春、娘は三年生になった。毎日楽しそうに学校に行っている。行事などもそれなりにできるようになり、今年はもっと疫病前に近いかたちで期待している。

 当の娘にとって、疫病禍は気がついたら存在していた所与の環境のようなものであり、「保育園のときには誰もマスクをしていなかった」という記憶はあるものの、マスクをするのがイレギュラーな状況だという感覚はもはやないようだ。六歳から八歳の二年間はとてつもなく長い。大人の二年間とはわけがちがう。
 六歳から八歳といえばルールを守ることを教えこむ時期である。娘はよくも悪くも素直なタイプで、わたしとしては今は教育しやすくてラクだが、ルールの根拠や妥当性に興味を持ってほしい年齢になったら少々苦労しそうだとも思う。ともあれ今のところ娘は正義の子である。
 そんなだから娘はマスクの着脱に厳しい。道を歩いていてマスクをしていない人を見ると眉間にしわを寄せる。それを黙っているのもストレスになるようなので、夫が策を練った。他人のマスクについてあれこれ言いたくなったら親の手を握る、というものである。「あれはどうなんですか」なら二回、「よくないと思います」なら三回。親のほうは「あとで考えましょう」なら二回、「よくないですね」なら三回である。
 娘はひとまずこれで満足しているようである。娘はわたしの手を握る。きゅっきゅっ。わたしは彼女の手を握りかえす。きゅっきゅっ。
 娘の知的な発達は標準の範疇なのだが、わたしが思うに精神が年齢よりすこし幼くて、「いけないんだよ」という感覚を誰かに伝えてそれに同調してもらわないと、内なる葛藤(自分が学んだ基準で「いけない」ものが堂々と道を歩いていること)を上手に処理できないようだ。
 
 娘がたとえばニューヨークシティに行ったらものすごく驚くだろう。多くの人がマスクをしていないから。そしてそのほうが世界の都市としては標準的だから。でもわたしたち親は、少なくとも今は、「外国だともうみんなマスクしないんだよ」とは言わない。
 疫病禍において小学一年生(当時)の小さな頭に何を優先して詰めるべきかを検討したとき、わたしと夫は一致して「科学」とした。小学校の科目区分でいえば「理科」的側面を重視するということである。生命と健康が何より重要だから、まずは科学的な事実とそれに基づいた予防について理解してくれればよい、という考えだ。
 このときわたしたちが後回しにしたのが、科目名でいう「社会」である。たとえば、マスクは感染対策であると同時に社会的な合意を得た(近年まれにみる急ごしらえの)文化であること。日本ではそうした「マナー」がいわゆる同調圧力によって過剰になりやすいこと。自分はマスクを取ってもいいと考える人とそうでない人には、考え方だけでなく、背景や属性の違いがあることーーざっくり言えば「弱い」人間はより用心してマスクをするだろう、というようなこと。そこにはさまざまな権力関係が働き、理不尽に感じたとしても、実生活上はものを言わないほうが安全な場合もあること。
 そういう「社会」の教育については後回しにして疫病禍を過ごしてきた。

 そろそろですかねえ、と夫が言う。
 そろそろだと思いますねえ、とわたしはこたえる。
 気が進まないけれど話さなければならないことがあるとき、わたしたちはなぜだか敬語になる。
 この春、政府は「屋外で会話しないならマスクは不要」という通達を出した。科学的には最初からそうなのだが、社会的にはとにかくずっとつけていろ、ということになっていた。それを緩和するようにという、そういう通達である。
 屋外に出る。マスクを完全に外している歩行者は稀である。しかし鼻マスクやあごマスクは散見される。人が一メートル以内に近づくとさっとかける者もある。あの人だって「口をきかないならかける必要はない」くらいは知っているだろう。でもかけるのだ。たぶんより安全に過ごすために。
 これからじわじわと路上でマスクをしない人が増えていくだろう。だから娘に疫病の「社会」の側の話をしなくてはならない。夫もわたしもそんなこと上手にできる気がしない。しないけど、やるしかないんだよなあ。

素直で笑顔で気がきいて

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの職場にもリモートワークが導入され、出社しても顔を合わせる会議は最低限になった。飲み会はもちろんない。そのためにわたしはしばらく水木さんにつかまらずにすんでいた。
 水木さんはわたしの同期であって、とてもいい人である。やわらかな笑顔を絶やさず、細やかな気遣いをみせ、辛抱強くがんばりやで、後輩の面倒見もよい。
 でもわたしは彼女とあまりかかわりあいになりたくなかった。

 十年と少し前、わたしと彼女はともに新入社員だった。一年目はなにしろわけがわからないものである。だからたいていのことはいったん「そういうものか」と受け取って、あとで検討することにしていた。
 わたしは仕事が終わると毎晩「私的日報」と名付けたファイルをひらいて、その日に覚えたことのほか、確認検討すべきことを書き留めた。たとえば「隣の部署のお茶出しを頼まれた。要確認」というぐあいである。それからしばらくして、前回お茶出しを頼んだのと同一人物(わたしの上司ではない)がやってきて、ちょちょっと手招きし、「お茶ね」と言った。
 わたしははーいと元気よくこたえ、わたしと同じ新人の男子に「お茶出しの仕事があるんだって」と声をかけた。彼は得意げにお茶の入れ方と礼儀正しい出し方の模範演技をしてくれた。
 わたしはその後、お茶出しを命じた人(わたしの上司ではない)に呼び出され、多くの抽象的な語を費やして「あなたは社会人としてなっていない」というようなことを言われた。「水木さんのように素直で気が利く人が近くにいるんだから見習いなさい」とも。

 わたしの職場ではお茶出しは来客を迎える者がするのであり、来客に関係のない第三者にさせるのは適切でない。しかし何か理由があったのかもしれない。そこで同じシチュエーションで新人の男性に声をかけたのである。そうしたら別室に呼び出されて説教されたので、お茶出しを命じた人は「女の子にお茶を出させる」をやりたかったのだとわかった。
 わたしは新卒三年目くらいまで、そのように雑用のひとつひとつを記録し、検証し、すべきものはシステム化して不適切なものは断った。わたしの上司はわたしの本務とあわせ、雑用の明文化を評価してくれた。
 その後、わたしは産休・育休を取り、復帰した。戻った直後はだいぶ苦労したが、半年後には諸々整えて仕事を進めることができるようになった。
 複数ではなく一対一で水木さんにランチに誘われるようになったのは、育休後の仕事が落ち着いてしばらく経ったころである。

 お茶出しはいつのまにかなくなったね、今はペットボトルで出すから合理的よね。水木さんはそのように言った。そうねとわたしはこたえた。
 水木さんはそのほかの雑用の話もした。わたしが担当したことがなく、だからわたしが明文化して割り当てを決めることを上司に提案していない雑用もたくさんあるようだ。そういうのはリスト化して担当を決めるように交渉するといいですよ、とわたしはこたえた。そのほうが助かるって上司も言ってたし。

 水木さんはほほえんだ。わたしは彼女のことばを待った。水木さんは話題を変えた。そしてランチの終わりまで当たり障りのない話をした。

 その後、水木さんはわたしを何度もランチに誘った。わたしはなんとなく気が重くなり、二度に一度は断った。
 水木さんは自分の持ち帰り仕事の多さについて話をした。水木さんは直接の上司でもない者が(いまだに)何かと頼みごとをしてくることについて話した。わたしはそのすべてに対し、「わたしなら交渉します」「わたしなら断ります」と言った。水木さんは必ずほほえんで黙った。わたしはなんとなくしんどくなり、ランチの誘いに乗らなくなった。
 水木さんはある日廊下でわたしをつかまえ、「昇格するってほんとですか」と言った。わたしはうなずいた。水木さんはうつむいた。小さい小さい声で、どうして、あなたが、と言った。胸が痛くなるような声だった。
 どうして。わたしこんなにがんばっているのに。

 水木さんはわたしをがんばっていないと思っていたのだ。わたしは業務内容について交渉し、昇給について交渉し、産休育休後の復帰体制について交渉した。それは彼女にとっては「がんばり」ではない。たぶん「わがまま」に近い。
 その後、水木さんは会社を辞めた。
 彼女は交渉しない。お茶と言われればお茶を出す。笑顔でがまんする。それが彼女の世界では正しいことで、それが評価されないことが、ほんとうにつらくてたまらなかったのだろう。

彼女の誤りを聞きに行く

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしがこの友人に会うのは二年ぶりである。このたびはどうしても対面でこの人に話を聞いてもらいたくって、機会をつくった。

 わたしはろくでもない家庭で育ち、家を出て十年以上たつ今でも母親に執着されている。手紙を無視していたら、とうとう自宅にあらわれた。
 母親はわたしの戸籍の附票を取り寄せることでわたしの住所を把握している。もしこれを防ぎたければ自治体に過去の被害を申し出て閲覧制限をかけてもらえばよい。しかしわたしはインターネット上で所属がわかる職業に就いている。自宅に押しかける人間は、自宅がわからなければ職場に突入する。それなら自宅のほうがましである。

 わたしはその話をする。彼女はわたしの成育歴をある程度知っており、わたしの親に腹を立てている。彼女は深刻な顔で話す。

 執念深いね。戸籍の附票をしょっちゅう取ってる段階でストーキングだって思わないんだろうか。よくそれで社会生活が成り立ってきたと思う。
 手紙を送り続けるのも異常だけど、なぜ今になってあらわれたんだろう。ネットであなたの仕事を知って、自分にもおこぼれがほしいと思ったのかも。金をたかられてもぜったいにやっちゃだめだよ。
 他のきょうだいにも見捨てられておかしくなったという可能性もあるな。弟さんは甘やかされて特別扱いされていたということだけど、甘やかすのは愛情とはちがう。大人になってそのあたりに気づいたら親を嫌いになって離れるんじゃないかな。そういう状況なら、先にいなくなった娘がよけいに惜しくなって、手紙じゃがまんできなくなってわーっと家に来るのもわからなくはない。いや、わからないけど、きっかけとしては理解できるというか。

 わたしは彼女の話を聞く。彼女の話はおそらくすべて間違っている。
 わたしの母親は明確な目的をもってそれを達成するために努力するといったことができる人間ではない。そもそも自分の欲望をわかっていない。「稼ぎのよさそうな娘からむしりとってやろう」というような明確な考えを持っているとは思われない。とても漠然とした、「自分は娘を経由して何かしらのいい思いをするべきだ」という感覚がある、という程度だろう。そしてその感覚はとてもとても強く、自然法則のように感じられていることだろう。
 毎月戸籍の附票を取り寄せるという行動が異常だという自覚もないはずだ。そんなことをしないと住所を把握できないことに漠とした被害感情を持っており、それは不当だという感覚を持っている。おそらくそんなところだ。自分が加害者だというのは彼女にとって娘による「誤解」「思い込み」にすぎない。でもそれを正そうとしても娘は屁理屈をこねるばかりなので(わたしの母親はこの屁理屈という語を好きで、わたしが子どものころによく使った。わたしの発言のうち母親にとって都合のよくない話をさす)、母としてやさしく見守ってやるしかない。ーーそういうようなことを、もっと漠然と思っているのが、わたしの母親である。そういう人間でいつづけているからストーキングをするのだ。
 わたしの弟が自分の育ちに批判的になる、というのもわたしには想像しにくい。弟は母親とよく似ていて、すでに起きていることは「そういうもの」として、「当たり前」の世界に生きる少年だった。成長して突然目覚めた可能性もあるが、わたしはそのあたりに関心を持てない。わたしにとって弟とは、親が死んだと連絡が来たら家庭裁判所相続放棄してその旨を連絡する相手である。それ以外の感情は斜めにしても逆さにしても落ちてこない。

 だからこの友人の話はおそおそらく全部間違いである。
 しかしわたしはその間違いを聞きに来たのだ。女の子どもを人間として扱い、過度な家事労働や男親への媚びを強要せず、暴言を口にせず暴言に同調しない家庭で育った、同世代の女の解釈を。彼女は親の残り物を皿に載せられたことがなく、親の下着を手で洗うよう仕込まれたこともなく、ゴミ箱のゴミは素手でひとつかみずつゴミ袋に移動するものだと思い込まされていたこともない。要するに「身分制度」のない家庭で育った人である。
 そういう人はこう思うのだ。悪行には理由や目的がある。社会生活を送っている人間は自分の行動がおかしいかおかしくないか判断できる。大人になれば過去の経験を見直すことができる。

 この世界がそんなだったらどんなにかいいだろうと思う。わたしにはない、美しい発想だと思う。だからわたしは今日、この人に話を聞いてほしかったのである。

お帰りなさい、と母は言う

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの生活パターンは大きく変化した。フルリモートのちフル出社、あれこれあって、週に二回のリモートワークが定着した。
 家を出て駅に向かう途中、しばしば同じ人物とすれ違う。同じマンションに住んでいて朝晩犬を散歩させている人は以前から見かける。隣の商店はわたしが前を通るタイミングでシャッターをあけることが多い。マンションの前で休憩しているらしき高齢女性、保育園に向かって自転車をこぐ若い父親。彼らも以前は見かけなかった。疫病禍が長引くにつれてその中で生活のパターンが固まったのだろう。

 ちょっといいですか。
 同じマンションの犬の飼い主がわたしを追いかけてきて、言う。大丈夫です、とわたしはこたえる。出社の時間には少々余裕があるので、と付け加える。飼い主は言う。朝よくマンションの前にいる人、いつも黒っぽい服装の白髪の女性、お知り合いじゃないですよね。
 いいえとわたしはこたえる。飼い主は言う。

 あの人は一年くらい前からよくマンションの前にいるんです。それでね、最近は火曜日と金曜日にいるんです。これってあなたの出社日なんじゃありませんか? やっぱり。
 ええ、わたし毎朝、犬を散歩させてるんですけど、あの人、以前はもっとしょっちゅういて、散歩に出る時間にも散歩から帰る時間にもいたんです。おかしいでしょう、一時間以上も立ってるなんて。すぐ横の公園、あそこはベンチがたくさんあっていい休憩スポットなんです。休憩が必要にしたってうちの前に突っ立ってるのはおかしい。恰好だって、今みたいに気温が上がる前からつばの広い帽子をかぶっていて、人相がわからないですからね。それで警戒してたんですよ。
 そしたらここしばらく、特定の曜日にだけマンションの前に立つようになったじゃありませんか。そしてその曜日には、わたしはあなたをお見掛けするんです。だから今日お声がけしたんです。

 出社しながら考えた。会社に着いたとき、気づいた。
 マンションの前でわたしを待っているのは、たぶんわたしの母親である。

 わたしは子どものころ、母親に殴られたり罵倒されたりしたのではない。彼女はただわたしを自分の延長のように扱った。母親は男(わたしの父親)に傅くために生きているような人物であって、わたしをも父親のために活用しようとしたのである。わたしは家事労働一切のほか、男というものの「下」であることを教育され、「下」としての役割を生活のすべての場面で仕込まれた。
 だからわたしは逃げた。両親を人生から排除した。そして男に傅かない人生を構築した。
 母親はまったく納得しなかった。「親子の縁は切れない」という意味内容の手紙が定期的に送られてきた。住所などもちろん教えていない。毎月戸籍の附票を取っているからどこに引っ越してもわかるのだと、手紙には書いてあった。
 わたしはそれを無視した。手紙はきっちり一か月置きに届き続けた。最初の一年くらいでわたしはそれを開封しなくなり、やがて迷惑なチラシと同じくらいの存在になった。
 そういえばあの手紙はここ一年ほど届いていない。指折り数えたら、わたしが両親と完全に連絡を絶って今年で十一年になる。ということは、母親は十年間手紙を送り続け、それをやめて、おそらく物理的に姿をあらわすことにしたのである。
 無視しようとわたしは思った。ストーカーに反応したらいけない。出社日の朝には少し憂鬱になったが、極力気にしないようにした。わたしはとにかく両親にあらゆるリソースを割かれないことを目指して自分の諸々を鍛錬してきたのである。
 しかし、出社日ではない日曜日、夜中に帰宅したとき、驚くほどすばやく「それ」が物陰からあらわれた。そしてわたしに触れんばかりの位置に寄って、言った。お帰りなさい。
 ねばついた声だった。

 ぎゃあああ、と友人が言った。ホラーじゃん。超ホラーじゃん。なんでその日にかぎって夜中にいたのよ、「それ」。もう「お母さん」とか言いたくないよ。
 なんでって、とわたしは言う。十年間「我慢」して「努力」したから娘に会えてしかるべきだと思ったのかな。そしてその日曜日はね、よく考えたら、母の日だったんだよ。自分は母親だから母の日にいいことがあるべきだとでも思ったんじゃないの。あの人の思考回路はそういう感じなんだよ、もうあんまり詳しく覚えてもいないけどさ。うん、無視したよ。
 それに今はもう出てないよ。同じマンションの、例の犬飼ってる人が声かけたら逃げたらしいよ。まあ戸籍の附票は毎月取ってるだろうけど。

ホストが好きで何が悪い

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために打撃を受けたのが「夜の街」である。疫病流行当初は人の足が途絶え、その後は反動で人があふれ、自治体から制限が課され、解除され、また課され、解除された。その過程でしだいに「これくらいはいいんじゃないか」という合意が形成された。しかし、みんながみんなそのように行儀よく夜を楽しむのではない。夜は逸脱を含む。逸脱した者たちが集まって、外の世界とは別の常識をつくる。

 わたしの娘は高校一年生である。夜の街には縁のない年ごろだ。と思っていたのは親だけで、「中学のときクラス一緒だった子、よく歌舞伎のストーリー投稿してる」と娘が言う。わたしは「その子、歌舞伎ファンなのかな」と思い、次にそれが歌舞伎町のことだと理解し、仰天した。十五、六の子どもが東洋一の歓楽街でいったい何をするというのだ。
 目の前の娘はぜんぜんまったくちっとも大人でなく、わたしが「メイクに興味を持つ年ごろでしょ、何か買ってあげようか」と言っても「うーん、めんどくさいからまだいいや」と言うような子なのである。背ばかり伸びた棒っきれみたいなからだつきで、スポーツをやっているせいか夜は十時に寝てしまう。わたしが十六のころは日付が変わるまで布団の中で深夜ラジオを聞いていたものだけれども。そして最初のボーイフレンドがいたけれども。
 そう、十六歳はそれほど子どもではない。わたしは自分の子があんまりかわいくて、もう少しだけ子どもでいてほしくて、だから「こんな子ども(の同級生)が夜の街で何をするというのだ」と思ったのかもわからない。

 ホストのために行くんだよ、と娘は言う。年齢確認をしないバーにお客さんとしてホストがいて、ほぼホストクラブみたいなことして、十代の子を自分のお客として育てるんだって。
 わたしはふたたび仰天した。その営業形態はめちゃくちゃまずくないか。というかそもそも、十代の女子がホストに行きたい理由がまったくわからない。
 個人的には行きたくない、と娘は言う。知らない人と話すのめんどくさいもん。わたしは少々ほっとして、しかし歌舞伎町に行っているという女子のことも気になり、質問を重ねた。その子たちは楽しいのかな、えっと、その、ホストが。ホストの人が言うことやすることは、商品でしょう。そういう遊びが楽しくなるのは、もっと年をとってから、一部の人にだけ起きることだと、お母さん思ってた。
 すると娘はわたしを二秒眺め、つぶやいた。商品だからいいんだと思うよ。

 娘の話を要約すると、どうやらこういうことらしかった。
 ホストはホストとしてのコミュニケーションをとる。お金を払える、払う見通しがある相手のコミュニケーションを切らない。そしてホストクラブには一定の型がある。どうすればいいのかをホストが教えてくれる。それはある種の人間にとって「安心」なのである。そのうえで好みの外見の相手にあれこれしてもらえて、競争相手がホストの価値を示してくれて、競争に勝てば優越感も手に入る。
 ホストでない相手はそうではない。自分とのコミュニケーションを突然切るかもしれない。自分がどんなに努力してもそれを認めないかもしれない。自分が理解できない行動をとり、それについて説明しないかもしれない。というか、ほとんどはそんな感じだろう。なぜそんな連中を相手にしなければならないのか。

 わたしは非常に驚いた。それから反省した。
 わたしの恋愛観は狭かった。人間と人間が向かい合ってガチでコミュニケーションをとり、一対一で選び選ばれ、たがいを理解する、それが恋愛だと思っていた。でもそれはたしかにものすごく「コスパが悪い」。そうしたくなる相手を探すだけで時間が過ぎていくし、報われない可能性が高い。ぜんぜん合理的ではない。
 「純粋な」恋愛をしろ、若いうちからお金を介在させるなんてよくない。そんな気持ちをわたしは持っていたのだけれど、よく考えたらそれはただの気分である。根拠はない。
 どうしてお金を介在させてはいけないのか。どうして一対一でなければならないのか。どうして相互理解とやらがなければならないのか。
 いけないなんてことはない。そんなのはわたしの趣味である。彼女たちがそれにしたがわなければならない理由などない。

 わたしは娘を見る。娘はわたしを見る。それから言う。わたしはそういうの興味ないから安心しなよ、お母さん。

不倫だからってわたしたちを認めないのはあなたが差別者だからでしょう

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために私はこの友人と二年会っていなかった。
 でもそれは言い訳にすぎない。私は彼女にできるだけ会いたくなかったのだ。

 彼女の「彼氏」は彼女の一人住まいの部屋を不定期に訪れる。彼女の仕事のスケジュールは「彼氏」によって把握されている。なぜなら「彼氏」は彼女の直属の上司だからである。「彼氏」は彼女の仕事以外のすべての時間を、直前に送るLINEひとつで自由に使用することができる。なぜなら彼女にとって「彼氏」はプライベートのすべてのスケジュールより優位にあるものだから。というより、彼女全体より優位にあるものだから。
 彼女はいつも完璧に整えた自宅で美しく装って「彼氏」を迎える。彼女はいつでも「彼氏」を見上げる。「彼氏」のせりふをぜったいに否定せず、「彼氏」をほめ、美しい笑顔で美しくサービスする。
 それが彼女の「恋愛」である。もう何年も彼女はそうしている。彼らは常に彼女のマンションで密会する。

 なぜ密会なのかといえば、「彼氏」は別の場所で法律婚をしているからである。彼女にとってそれは所与の環境であり、「彼はやむを得ない事情でそんなところにいなければならない」という災厄のたぐいである。彼女は「わたしはずっと愛されて大切にされている」と言う。「彼はいつもわたしを高めてくれる」と言う。

 彼女は私の身につけるアクセサリーに敏感である。「それ彼氏にもらったの」と言う。実際にはどうであっても、自分で買ったんだよと私は言う。お給料上がったんだと彼女は言う。お給料上がったら男を買いやすいねと言う。
 彼女の言うところの「男を買う」というのは、私がパートナーと住む家の家賃を多く払っていることを指す。私は電車通勤がとても嫌だ。そうして家でも仕事をする。だから自分が職場に歩いて行ける場所に家を借ることと、三畳ほどを私のデスクまわりとして専有したいことをパートナーに告げ、その見返りとして家賃を二万円多く払うと提案した。彼はそれを受けた。
 それをもって彼女は「男を買っている」と言う。

 彼女は男をわずらわせない。生活に必要なことはすべて自分でまかない、いわゆるデートらしい外出がなくても不平など言わず、男のせりふを否定しない。彼らはキスをする。美しい「男と女」のキスをする。彼女はそれを本当の愛と呼ぶ。
 私は男をわずらわせる。男は風呂を掃除し、私はトイレを掃除する。私は男の作ったおかずを食べ、男は私の作ったおかずを食べる。私たちは「うまい」と言う。私たちはキスをする。ユニクロの部屋着でする、いつものやつを。
 彼女はそれを軽蔑する。だから私は自分のパートナーの話を、訊かれてもしなくなった。そうしたら彼女の話題は他の共通の友人の夫婦関係や恋愛関係、あるいはそれがないことについての話に移行した。彼女はそのすべてを憐れんでいるようだった。

 彼女に「久しぶりに良いレストランにつきあって」と呼ばれて行くと彼女の「彼氏」がいた。初対面である。いることは知らなかった。
 彼女は早口で言った。この子はねえ前から話してたでしょ、高校の同級生、差別しない人だから、ゲイのお友達の彼氏にも会ってあげたんですって、名前のつかない関係を否定しないリベラルな人なの、だからわたしたちのことも差別しないの。

 私はゲイの友人に「ここじゃないと彼氏といちゃいちゃしながらあなたと話せないから」という理由で新宿二丁目に呼ばれて交際相手を紹介され、「そりゃあ世の中が良くないね」と言って、楽しんで帰ってきた。
 「そんなことをしたのだから自分たちのことも認めるべきだ」というのが彼女の主張であるらしかった。ただの食事ならまだしも、彼女のコミュニケーションの九割が「彼氏」のせりふへのうなずきと賞賛で、私にもそれを目で求めるものだから、私はもう完全に帰りたくなった。自分だけでなく、私まで「彼氏」のために使用するなんて。

 それで二万円を置いて帰った。それがそのレストランの相場より多い額面だったから。
 彼女は私に六千円を振り込んだ。そうして言った。「彼がそうしろって」。
 私はもう彼女と会うことはない。私の知っていた彼女はもういないのだと思うことにした。優秀で正義感が強かった高校生の彼女。有名な大学で華やかな青春を送っていた大学生の彼女。憧れていた職に就き、理想と現実の乖離に悩みながら努力していた彼女。みんな私のいい友だちだった。でももういない。私は男にかしずく女を見るために自分の時間を使いたくない。
 だから彼女はSNSで私を「差別者」と呼ぶ。