傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

さみしさにつける薬

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために勤め人も職場のつきあいがなくなり、新人や転勤者が職場の人と親しくなりにくい。わたしは二十年選手だから人間関係に問題は感じないが、ときに煩わしかったつきあいの飲み会やランチがゼロになると、やっぱりさみしいものである。

 でもそれより退職者のほうが問題、と友人が言う。わたしの父が一昨年退職したんだけど、この状況でろくに帰省してなかったのね。お祝いだけ贈ってさ。そんで今年のお正月にようやく帰省したら、テレビからYoutubeが延々と流れてるのよ。うん、そう、あの、近隣諸国の国民ないしそこにルーツを持つ日本人と日本在住者を侮辱する系のやつ。
 あー、とわたしは言う。もう少し力強い相槌だったつもりが、耳に入る自分の声はしぼんだ風船から最後の空気が漏れるようなやつである。うん、と友人が言う。こちらもなんとも力ない声である。
 父には友だちがいない、と友人は言う。だからそういうことになったんだと思う。

 彼女の父はその世代では珍しくない、いわゆる仕事人間で、家庭内のできごとにも外の世界にも関心を向けなかった。父も母もそれが当然という顔をしていたから、幼かった友人もそれほど強い疑問は持たなかった。同級生の父親がPTAの行事などであれこれかまってくれると、あんなお父さんっていいなと思わないこともなかった。でもそれだけだった。
 あの人がどういう人かわたしにはわからない、と彼女は言う。目をあわせて話をした覚えがないから。父は、テレビに向かってものを言って、たまに成績のことを聞いてきて、でも目はテレビか昔とってた新聞を見ているままで、月に何度か不機嫌になって、そのときは母親が目配せするからわたしは自分の部屋に戻って、なぜ不機嫌になるかもいまだにわからない。
 今にして思うと、父にはまるっきり友だちがいなかった。わたしが中学生くらいまでは会社の人と海やスキーに行ったりしていたけれど、それはたぶんバブル期の企業で自然発生的に起きていたイベントで、父が企画したり個人として誘われたりしたものじゃなかった。そして会社をやめたら父には人間関係というものがきれいさっぱり残っていなかったの。どうやらそういうことなの。
 わたしは思うんだけれど、と友人は続ける。年をとっても友だちがいるのって、当たり前じゃないんだよ。それなりの技量と努力があってはじめて成立することなんだよ。父にはそのどちらもないし、そもそも「友だちがほしい」とか「このままでは定年後に人間関係がなくなる」とか思ったこともたぶんなかったんだよ。それでさ、たぶんさみしいんだよ。もう誰もかまってくれないから。母しか残っていないから。
 自我とコミュニティの双方がその人を支えないとき不健全なナショナリズムが要請される、というようなことを、高校の世界史の先生が言っていたんだけれど、要するにそういうことだよね。意外と覚えてるもんだね高校の授業とか。

 あなたのお父さんはだいじょうぶ、と彼女は訊く。
 わたしの父も人間関係が得意なタイプではない。悪い人ではないし、本人としてはいたってまじめなのだが、だいぶ変わっている。学生時代の友だちや会社員時代の友だちはひとりもいない。でも父は友だちメイク・友だちキープが不得手な人間につける昔ながらの常備薬を有しており、だから問題なく定年後の生活を送っている。父の常備薬は伝統宗教である。
 父はクリスチャンだ。祖父母が通っていた教会にそのまま通っている。若いころはろくに活動しなかったこともあるようだが(祖父母情報)、わたしが物心ついたころには日曜日には教会に行き、ほかにもあれこれのボランティアをする人だった。定年後はそれを熱心にやり、昔から知っている教会の人々に頼りにされてまんざらでもなさそうである。
 わたしがそのように話すと、友人はもう一度気の抜けた息を吐いて、言った。
 父もそういう無害でまともな集団のメンバーになっておかないといけなかったんだよねえ。一生自力で友だちをキープするなんて、けっこうな割合の人にとって無茶なことなのかもしれない。そしてそれをわかっている悪い連中が、インターネット経由でやってくるのかもしれない。そして父のような人のさみしさを慰撫して優越感を与える悪い薬をつけて、再生数や会費を稼ぐ。
 そしたらわたしは父に何をしてあげることもできないなあ。だってわたしは父をさみしくさせないためになにもできない。わたしは、父と人間同士の関係を持つことができなかったから。

わたしはチャーマラに貸しがある

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの趣味の海外旅行などというものは何をどう考えてもよぶんなのであり、いまだもってビジネスや親族間の行き来など、名分のある渡航しかしにくい状況である。
 感染が落ち着いた時期には「どこにならすぐに旅行できそうか」という情報が回った。どこを回るかといえば旅行仲間のあいだで回るのである。わたしは単独または少数の旅行を好み、旅行仲間は旅行をともにする仲間ではない。旅行話をつまみに酒を飲む仲間である。今となっては大勢で集まって酒を飲むことも難しいので、おとなしくごく少人数でしょぼしょぼ話すくらいが関の山なのだが。
 感染が落ち着いた時期、「タイならそろそろ行けそうだ」という情報があり、わたしたちはおおいに期待した。短い東南アジア旅行は日常の娯楽のうちとして旅行経験の数に入れないような連中だけれど、あまりに海外に飢えていたからか「もうタイでもいい」などという暴言も飛び出した。タイ旅行大好きなくせにさあ。
 ところが感染はふたたび拡大し、わたしたちはまだこの国の外に出ることができていない。もう二年も出ていない。稼いだカネに余剰が出ればぜんぶ航空券にぶっこんでいたので貯金ができてしまった。日常生活はつましいし(旅行したいばかりにそういう生活スタイルが身についてしまった)ほかにたいした趣味もないのだ。我ながらかわいそうなやつである。

 さて、そうなると心のなぐさめになるのは「いつかここへ行くんだ」という計画のみである。その点わたしは豊かだ。さまざまな計画を立てている。なかでもスリランカ旅行は最高に楽しめるはずだ。なぜならわたしはチャーマラに貸しがあるからである。
 チャーマラはスリランカ人の職業ガイドである。三年前にスリランカでお世話になった。公共交通機関が整っていないエリアを旅するにはよき現地ガイドが必須なのだが、チャーマラは「よき現地ガイド」以上の仕事をした。おかげでわたしはおおいにスリランカを楽しんだ。
 運転技術は上々、ガイド知識は豊富、明朗会計このうえなし、英語は表現がストレートながら必要十分、物腰に余裕があって、会話ではほどよく楽しませほどよく距離を取る。しかも女をあなどるということがない。そのときは当時の彼氏と旅行に行ったのだが、旅行をリードしているのがわたしだとちゃんと理解し、わたしが話しかければわたしを主体に話をした。会話をしても不快なところがなく、なんなら日本の大半の男性よりジェンダー観がまっとうだと感じた。
 どうやら本人も自分が現代的な人間であると自負しているようで、外国の本を読んだり、スリランカ人中年男性にはめずらしく筋トレに精を出したりしていた。わたしたちは自分たちをビジネスの相手としてだけではなく友達だと思うようになった。しまいには自宅に呼ばれて妻子を紹介され、自慢の料理をごちそうになった。「ジャックフルーツのカレーを食べると筋肉がつくから、たくさん食べるといい」などと言うのが可笑しかった。
 でもわたしの当時の彼氏はそういうのが気に食わないみたいだった。わたしたちはスリランカから帰ってすぐに別れた。

 そのようなチャーマラがFacebook上で経済的なピンチを呼びかけたのが一年ほど前のことである。スリランカの観光も疫病で壊滅的なダメージを受けており、商売上手だったチャーマラもガイドの命である自家用車を手放すところまできてしまったという。ふたりめのお子さんが生まれた直後だというのに。
 あの鷹揚で上品なチャーマラが、自宅ご招待の御礼のお金もわたしたちの豪華土産セットにかえてしまったチャーマラが、お金がないというのだ。わたしは速攻で万札を振り込んだ。
 そのときすでに今の彼氏とつきあっていて、わたしとしては内心「まだまだ本性は見ていない。これは試験期間だ」と思っていたのだけれど、「めちゃくちゃいい人そうだしおれもそのうちスリランカ行きたいから」と言ってお金を足してくれたので、めっちゃ好き超好きと思って今もつきあっている。チャーマラはおおいに喜びわたしの誕生日にFacebookで「アンブレイカブルフレンドシップフォーエバー」みたいなことを書いていた。恥ずかしいからやめてほしい。

 友達がいれば、とわたしは思う。海外のみんなも国内のみんなも、旅行というものが好きな友達が元気でいてくれれば、わたしは旅行ができなくても、どうにかがまんしてやっていける。

お姫さまじゃなかったから

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために二年ほど会っていなかった友人がいて、久しぶりに会えることになった。一年前にわたしから声をかけたときには「やめておく」とこたえた大学の同級生だ。

 学生時代から確信しているのだが、彼女はわたしが彼女を好きなほどにはわたしのことを好きではない。彼女としては「たまには会ってもいい」という程度なのである。でもいいのだ、わたしが好きなのだから。彼女はなにしろかっこよくて、スターみたいな人なんだから。
 近隣のいくつかのゼミが集まって開いた飲み会で「女の子からぐいぐい来られたら引く」「控えめにしていてほしい」と口にした男子がいて、彼女はその隣に座っていた。そして絶妙なタイミングで鼻を鳴らして言ったのだ。えー、わたし、ぐいぐいいくなー、いい男は早いもの勝ちじゃん、でもまあ、控えめな女の子が好きな男にはわたしも用はないから、問題ないか。
 よくとおる声の、手足が長くてあざやかな色の服を着て大きいピアスをつけた、大人びた学生だった。大学生なんてまだ半分子どもみたいな人もいるのに、あきらかに完成していた。自分の見せ方がわかっていて、セクシーであることにためらいがなかった。
 わたしも自分から一本釣りするタイプだよ! わたしがそう声をかけると彼女は大笑いして、ほらー、そんなの普通じゃーん、と言った。そしてわたしはときどき彼女と飲みに行くようになった。
 彼女はその後、大手の広告代理店に就職してキャリアを積んでいる。去年同じ業種の男性と結婚して、タワーマンションに引っ越したのだという。わたしは広告代理店にも結婚にもタワーマンションにも興味がないけれど、彼女にはよく似合っていてすてきだと思う。あの飲み会で着てた、ボディラインが出るワンピースみたいに。

 久しぶりに会った彼女はやっぱりエネルギッシュだった。よく食べてよく話しよく笑う。結婚おめでとうとわたしが言うと彼女はそれまで見せたことのない、無表情に近いほほえみを浮かべ、言った。うん、とにかく配偶者というものがほしかったから、自分でもめでたいと思う。
 わたしがしんとしていると、彼女はことばを継ぐ。熱烈な恋愛結婚というのではないけどね。わたしは恋愛がコンプレックスだったから、それはとうとう解消されなかった。
 わたしは驚いた。彼女はわたしと同じく、そしてわたしよりはるかに派手に、自分から恋愛を楽しんでいるとばかり思っていたからだ。誰も待たず、好きになった人をためらいなくつかまえ、ねえわたしといると楽しいよと言う。そういうふるまいを好む、数少ない同志だと思っていた。

 そういうキャラにしていた、と彼女は言う。大学生にもなれば自分が女子アナみたいな女にはなれないとよくわかる。黙って立っていて大勢にモテるタイプじゃないことが身にしみてわかる。だから自分から行かなくちゃいけなかった。わたしにとってそれは、苦肉の策だった。恋愛できないよりそのほうがましだから、そういうキャラにしていた。
 覚えてないかもしれないけど、あなた、学祭のミスコンの参加を頼まれたことがあったでしょう。それであなたは言った。出ないよ、そんな牛の競りみたいなやつ。
 わたしはうらやましかった。わたしには数あわせの出場依頼も来ないから。あなたは、中身は今でもびっくりされるような、当時ならもうぜったいありえないくらいゴリゴリのフェミニストだったけど、顔は人気があった。わたしは、そういう顔がほしかった。わたしはね、あなたが思っているよりずっと俗なんだ。みんながいいと言うものが好きで、みんながいいと言うものになりたいの。顔はこの子の、声はこの子の、プロポーションはこの子のがほしいって、そんなことをずっと考えてるの。「この子は昔きれいだったけど、年くった今となってはたいしたことない」とか、そういうことを。

 主体的な女が好きで、自由な女が好きで、強い女が好きで、だからあなたは、わたしを好きなんだよね。でもそれはキャラなんだ。わたしはベタなお姫さまになりたかった。選ばれて羨まれて守られる女になりたかった。そんなのは今時はやりじゃないってことになったから、ちょっとほっとしてる。でもなれるものならなりたいよ、今でもね。

 そう、とわたしは言う。やっぱりこの人が好きだな、と思う。この人が自分の言うように人気に重きを置いていて、「大学の同級生でやけに自分のことを好きな女がいる」というちょっとした話題づくりのためにわたしに会うのだとしても。

従姉妹の幸福な結婚

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それからしばらく経ち、「この状況がきっかけでプロポーズされ、結婚しました」というはがきが届いた。差出人は年齢の離れた従姉妹である。それで取り急ぎ祝おうと彼女の自宅に電話をかけた。すると従姉妹の母親である叔母が出て、こう言った。

 あの子は結婚なんかしていない。ちょっとおかしくなってしまったのだと思う。できたら一度話をしてやってくれないか。

 よくわからないまま従姉妹の携帯電話番号をもらってかけた。
 従姉妹は晴ればれとした声でうん結婚したのと言った。そしてそのことをお母さんはわかってくれないの。でももういいかなって。わかってもらえる人にだけわかってもらえたらいいの。お母さんは古い人だから。主人はね、二次元にいるの。
 わたしはたいそう驚き、それはどういう意味合いかと尋ねた。従姉妹はていねいに説明してくれた。結婚相手(「主人」)はゲームのキャラクターであること。キャラクターと恋愛して結婚する人間は自分のほかにもいて、法律婚はできないが、仲間達が祝ってくれること。遊びではなく、真剣な恋愛と永遠の愛の誓いであること。そのためにウェディングドレスを着て撮影もしたこと。

 はじめて聞く文化だったので非常に驚いた。しかしよく考えてみればわたしとて子どものころには空想上の友だちを持っていた。空想上の友だちはありふれたものだ。赤毛のアンにも空想上の友だちがいる。考えてみれば、それが恋愛対象になることだってあるのではないか。
 そう考えるとわたしはある意味で経験者なのであって、「まったく理解できない」という話でもない。

 子どもの友情ではなく、大人になった従姉妹が「結婚」という語を使用したので叔母は震え上がったのだろう。でもそれもそんなに重大な話でもない気がする。生活の手段として稼ぎ手と家事の担い手をわけたいという希望があるのでないなら、結婚はオプションである。
 たとえばわたし自身は結婚していない。結婚制度がどうしても嫌いで、恋愛の相手が結婚を匂わせた場合、「なぜわたしは結婚が嫌いか」を長々とプレゼンする。現在はそのプレゼンに対して「もっともだ」「そういえばどうしておれは結婚したかったんだろう」と言ってくれた人と同居して生活している。
 パートナーシップのありようが一般的でないような友人知人はほかにもいる。
 同性の友人との同居が十年以上にわたる人。彼女は家の外で恋愛をするけれど、生活上の、情緒的にももっとも緊密なパートナーシップは同居の友人と築いている。彼女はパートナーシップを必要としているが、それが恋愛と結びついていない。
 異性の友人と恋愛抜きの結婚をした人。彼女は恋愛というものにつくづくうんざりして、相互に恋愛感情のない異性の友人とバディとして結婚したという。彼女もパートナーシップを必要としているのだが、結婚制度をそれに使用し、かつ恋愛は必要ないというパターンである。
 異性の交際相手がいるが相手は他の人と結婚しており、自分は独居して、相手から声がかかれば自宅の扉をあけるという人。彼女は一対一のパートナーシップを必要とせず(少なくとも優先順位が相対的に高くなく)、恋愛は必要としており、結婚は必要としていない(少なくとも優先順位が相対的に高くない)。
 もちろん、独居で特定の誰かと助け合ったり合わなかったりしている友人知人はおおぜいいる。血縁上の両親ではない組み合わせで子どもを育てている人もいる。
 こうして並べてみると、空想上の恋人と空想の中で緊密に結びつき、生活上の課題にはひとりで取り組むというありかたが特殊とも思えない。

 従姉妹は幼いころから自分が「女の子」であることを非常に重視し、昔ながらのプリンセスにあこがれる子どもだった。保守的といえば非常に保守的だが、そう呼ぶにはずいぶんと純化された綿菓子のような愛の夢を持っていた。もしもそれが保持されたなら、生きている人間が彼女の恋愛の対象になることは困難だろう。そして彼女は絶対に理想的な男性と恋愛して結婚したいのである。
 どうしても恋愛してその相手と結婚したくて、かつどうしても生きている人間と恋愛したくなかったら、理想的なキャラクターと「恋愛結婚」するのは理にかなっているのではないか。それで社会生活が破綻するならともかく、従姉妹には定職があり、健康的な生活をしているようなのだ。

 さあどうしよう、とわたしは思う。従姉妹に対しては「おめでとう」としか思えない。叔母になんと言えばいいだろう。

意味づけられたコーヒー

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために盆正月にいつも集まる友人たちとの会合もこのたびはZoomである。
 盆正月に集まる相手は多くが親戚や故郷に残った幼友だちだろう。しかしわたしはなぜか大学のときの友人四人で集まる。全員同業種で勤務先はばらばら、なんとなし馬が合うがしょっちゅう飲みに行くような感じではない。それで盆正月になると寄り集まってやくたいもないおしゃべりをし、仕事に役に立つようなそうでもないような情報を交換し、またやくたいもないおしゃべりに戻る、そういう時間を過ごすのである。

 そうだマキノさんコーヒー買ってよコーヒーと友人が言う。わたしたちの仕事にコーヒーは関係ない。ただしわたしはコーヒーが好きである。あのねと彼は言う。あのねえ僕の下の娘には障害があるでしょう、だからねえ沖縄のコーヒー農園の人と障害者支援団体の人と組んで社会起業的なアレをはじめたんだ、趣味で。名前言うからぐぐって。ついでにSEOができてるかチェックしてほしい。

 この男は昔から「趣味で」と言えばたいていの理不尽が通ると思っている。アレとはなんだ。あと「だから」の使い方がおかしい。

 友人は言う。提携してる農園のコーヒーはおいしいけど、そこいらにいくらでもある程度のおいしさでしかない。それに意味づけをしてあげた。今はやりのストーリー付随商品。親しみやすくて意義がある、偉そうすぎずちょっと上等、エモくて未来っぽい感じする、家族や友だちに話したくなる、そういう意味づけがうまくいった。ばりばり売れてる。
 どうせコーヒー買うなら「障害者支援のためになる」と思いながら買うほうが気分がいいでしょ、実際なってるから遠慮なくいい気分を味わってほしいわけよ。リピート買いして飽きるまで気分よくいてほしいよ。コーヒーの木を買えるコースもある、先週から募集をはじめたんだ、あなたのお名前をつけた札のコーヒーの木、心をこめてお世話してお写真お送りします。なんとこれがすでに十本売れた。百本売れてほしい。
 ボランティアは面倒、寄付はなんだか損な気がする、でも社会のさまざまな問題に無関心なのはおしゃれじゃない、今風じゃない、SDGsじゃない。手軽でなんかやった気になれてなおかつ損してない感じでいたい、生活の中でそれを感じていたい、自分の生活や支出は変えずに。そういう需要を満たす素敵な商品なんだよ。
 売れてるんで増産かけたんだ。みんなの美しい心にありがとう。そんで予約完売になるとかっこいいからマキノさんも買ってほしい。たくさん買っていただいた場合には適度な間隔をあけてご自宅に届きます。スタッフの心のこもった直筆のお手紙つき。あ、マキノさんはそういうのいらないよね、「この人の分はさぼっていいです」ってスタッフに言っておく。

 要するにこの友人はわたしが知らないあいだに副業社会起業家になっていたのだ。理念も行動も立派である。Zoomにうつっているのは人のよさそうな笑顔だ。それなのに邪悪に見える。昔から、なんというか人としての存在の根幹がうさんくさいのだ、こいつは。

 僕ねえと友人は言う。よくしゃべる男なのである。
 僕ねえそのうちこういう社会的な意味のある商品を使っていないやつはださいっていう感じに持って行きたいんだ。「障害者支援のためになるコーヒーや砂漠の緑化のためになるコーヒーがあるのに、同じ値段だしてグローバル企業の金儲けのためだけのコーヒーを飲んでるんだ?」みたいな感じに。「それってどういう感覚なの? 自分にはちょっとわからない」っていうふうにさ。
 ねえみんなださくなるのが嫌いだよ。僕はださいのぜんぜん気にならないからださく生きてて、そしてだささの基準をひっくり返そうと思うよ。マキノさんもそうでしょ、ださいって言われても平気でしょ、そういう人じゃないと「だささ変革」ができないんだよ、既存のかっこよさに乗っかる方向で生きてきた人にはできない。だから僕らで世界を変えようよ。とりあえず五千円分買ってくれ。もちろん一万円分でもいい。ちなみに○○さんは一万円分買ってくれた。

 わたしは思わず笑ってしまう。何が「世界を変える」だ。五千円分(あわよくば一万円分)買ってほしいだけじゃないか。わたしは彼のせりふの途中でとうに彼の副業企業のネットショップにアクセスして、一万円分買っている。

不在の男

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために去年は盆も正月も帰省しなかった。しかし今年は疫病の流行がひとまずの落ち着きを見せた。わたしは生家の近隣の人々の意向を親に尋ね、まあよさそうだということで帰省することにした。
 そうすると旧友とも会う。どこで会おうかと訊くと彼女は繁華街の名を挙げ、今ここのホテルに泊まっているから近くだと嬉しいなと言った。
 ホテル?

 実家でなんかあったのと訊くと彼女はすごく変な顔をして「父親が帰ってきた」と言う。わたしの知るかぎり昔から(わたしは中学校で彼女と親しくなった)彼女の実家は母子家庭である。
 いや実質的にそうなのよ、と彼女は言う。父親は家にいなかったのよ。だからうちは母子家庭だと思ってたの。父親は「お正月とかにおばあちゃんのところに行くといる人」だったわけ。おじいちゃんはだいぶ前に亡くなっててさ、父親と祖母が二人暮らしで、なんていうか「準おじいちゃん」くらいの感覚でいたわけ。県内だから年に二回は会ってた記憶がある。父親らしいところがないし、あんまりしゃべらない人だったから、「おばあちゃんのところにいる人」だと思ってた。父親らしさって、正直わかんないんだけどね、まあ何かするんでしょう、親なんだし、家族なんだからさ。でもうちにはそういう男親はいないわけよ。
 父親に会ったことは何度もあるんだけど、しゃべらないから何考えてるかわからなかった。わたしが子どもだったころ、おばあちゃんの家に行くと、おばあちゃんがせっせとわたしたちの応対をしてくれるのね。嫁姑という感じもなかった。母親もなんだかしんとしていて、よその家に来た人って感じでね。父親はなんだかつまらなそうにしていた。
 だからねえ、父親は正直「よく知らないおじさん」なのよ。母親と籍が抜けてないなんて三日前に知ったわよ。もうびっくり。夫婦の実態なんかないのよ。

 わたしは妙な気分になった。離婚してわだかまりがあった父親に会ったら複雑な気持ちにもなると想像するが、彼女の場合はわだかまりすらない。なにしろ「よく知らないおじさん」である。家庭の解散にともなう愛憎劇みたいなものはいっこもない。ないのに帰省したら生家にそのおじさんがいるのだ。そしてその人は戸籍上も生物学上も彼女の「父親」なのだ。そりゃあ生家にいたくなくてホテルに泊まるだろう。

 旧友は言う。父親がろくでもない人間で母親にカネをせびったり暴力をふるったりしたならまだ話はわかりやすいんだけどさ、それもないからね。ほんとうにゼロ。無の人。
 もちろん母親を問い詰めたよ。なんであの人が家にいるのって。そしたら母親はこう言うのよ。「どうも実家の居心地が悪くなったみたいで」って。
 なんだよ居心地が悪くなったって。
 祖母はまだ生きてるのよ。ものすごい高齢で、年のわりに元気だったけど、とうとう去年施設に入ったのよ。あのね、もしかして、わたしの父親は、ずっと祖母に生活の面倒を見てもらってたんじゃないかって、そう思うの。出て行った理由も同じようなものなのかもしれないと思うの。働いてはいても、働く以外のことを何もしていなかったのかもしれないって。

 わたしはぞっとした。彼女もなんともいえない顔でうなずいた。
 子どもが生まれて「居心地が悪くなって」家を出て行く。
 高齢の母親が施設に入って「居心地が悪くなって」家を出て妻のもとに戻る。子どもはもう子どもでなくなって東京で働いている。それなら「居心地が悪く」はない。

 彼女は言う。なんとも形容しがたい表情で言う。わたしの母親は、出て行った夫を追いかけて問い詰めるタイプじゃなくて、出て行った夫の籍を抜くためにぐいぐい動くタイプじゃなくて、だからうちはほんとうは母子家庭じゃなかったんだよ。そして母親は戸籍上夫である人間を追い出すパワーもたぶんない。そういう人なの。なんていうか「女らしい」人なの。家に誰かいたらその人のぶんのごはん作ると思うよ、掃除も洗濯もすると思うよ、あの人そういうタイプなの。

 わたしはなんとも感想を返すことができなかった。彼女もくたびれた顔をするばかりだった。わたしは空恐ろしくなった。彼女は彼女の父親をとがめないだろう。とがめるような労力をかけるだけの関係がそこにないから。彼女はただ自分の今の家に帰るだろう。そして彼女の生家には、父親と母親がそのまま同居して、不在の二十数年をなかったことにするのだろう。

僕の叔父さん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それで二年ばかり叔父に会わずにいたんだけれど、今年はさすがに顔を出そうと思っている。同じ都内に住んでいるのだし。
 そう思って、それからため息をつく。僕は叔父がわりと好きなのだけれど、両親は叔父が嫌いなのである。だから僕だけで会いに行くのだが、両親に黙って行くのもなんだか気が引ける。元旦に実家に行ったらタイミングをみはからって言わなければ。
 疫病で人づきあいが制限されていたから、この恒例の煩わしさも、僕は忘れていた。年末年始は華やかな休暇であると同時に、もったりとまとわりつくしがらみの季節でもあるのだった。

 叔父は僕の父の弟である。
 父と叔父はふたりきりのきょうだいで、叔父は独身をとおし、子を持たなかった。だから僕には父方のいとこがいない。祖父母が生きていたころは父も正月の集まりに顔を出していて、そのときは叔父が僕の相手をしてくれた。
 叔父は大学を中退し、バックパッカーをやり、それから大きな失恋をしたのだそうだ。幼かった僕が「おじさんはけっこんしないの?」と訊いたとき、叔父はこうこたえた。うん、なぜかというとね、とても好きだった女の人と一緒になれなかったんだ。あの一度だけが僕にとって恋愛で、ほかの誰かと暮らすなんて考えられないんだ。恋というのはそういうものなんだ。
 叔父はロマンティストであり、理想主義者であり、そのわりに自分には甘く、基本的に怠惰で、役に立たない本ばかり読むタイプの読書家だった。叔父はのらりくらりとアルバイトしながら祖父の持ち物であるマンション経営の手伝いをし、祖父が亡くなったときにそのマンションをもらって、そのまま一般的な定年の年齢に近づいている。

 僕の父は叔父に似ていない。父はごく自然に「人間は努力して向上すべきだ」と考えている。母はそのような父といかにも似合いの配偶者で、自立して余所様に迷惑をかけないことを何より大切にしている。
 両親のこの姿勢は徹底しており、たとえば僕は小学一年生のときに空手道場の合宿に参加したのだけれど、自分のことを全部自分でできないうちは行ってはいけないと、道着のたたみ方から夜ひとりでトイレに行くことまでびっちり練習させられた。合宿そのものより両親の訓練のほうがはるかに厳しかった(道場ではいちばんのチビとして上級生からあれこれ世話を焼かれていたのだ)。
 子どもを訓練するより親がやってあげるほうがラクだし、子ども自身に判断させるより親が決めてしまうほうがラクだ。でも彼らはそれをしなかった。わが親ながら立派な人たちである。そして立派な人たちは叔父のような人間を軽蔑するのだ。延々と親のすねをかじり、役に立たない趣味で一日を過ごし、定職に就かず、口をひらけば夢みたいなせりふを吐いて、社会的にはゼロの男。
 祖父が亡くなったとき、「親父のマンションなんかくれてやる」と父は言った。おれは親の遺産をあてにして生活するような人間じゃない。だからくれてやる。その代わり今後おれにかかわるな。

 でもですね、と僕は思った。叔父さんには子どもがいないから、年とって何かあったら結局僕がなんとかしてあげなきゃいけないわけですよ。いけないってことはないか。えっと、僕は、叔父さんのことがわりと好きだから、見守ったり手を貸したりしたい気持ちがある。マンションがめあてかと言われると、まあ欲しくないわけじゃないけど、叔父さんの資産は叔父さんの好きに使えばいいと思っている。
 僕のそのような気持ちを、両親はおそらく不快に思っている。でも彼らはこう言う。「とうに成人した息子が誰とどう交際しようが、親が口を出すことではない」。
 彼らは立派なので、目的のない旅行をしたことがない。彼らは立派なので、余暇には役に立ちそうな本を読んで運動をする。彼らは恋愛して結婚したけれど、それは叔父がむかし話してくれたような陶酔に満ちた恋愛ではきっとなかった。彼らは現実の生活が好きなのだろうと僕は思う。彼らの言う「夢」はあくまで遠大な目標を指すのであり、自分自身を置き去りにするような美しいものへの欲望ではない。

 僕は定職にこそ就いているが、精神はどちらかといえば叔父に近い。隙あらば怠けてやくたいもない小説を読みたい。疫病がおさまったらまた東南アジアとかをふらふらしたい。叔父さんのところに行って、そういう話をしようと思う。わかるよと叔父さんは言うだろう。そして読み終えた本をいくつか見繕って僕にくれるだろう。