傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

自己理解を買う

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために去年は顔を新しくしに行かなかった。わたしは化粧品を買うなら百貨店でやさしいビューティーアドバイザーさんに商品を選んでもらってそれを肌に塗ってもらって、いいですねえと言い合って、それを買うのでなければいやなのだ。
 わたしは毎年年末にそれをやる。そしてそのときに買った化粧品一式で一年を過ごす。わたしには化粧のバリエーションに対する欲求がない。いい顔を作ってもらって一年間それをやる。
 去年は疫病のためにコスメカウンターのタッチアップが禁じられていたから、必然的にわたしのメイクセットは二年間使用された。わたしは憮然としてファンデーションとマスカラを買い足した(マスカラ以外のポイントメイク用品は二年くらい使ってもなくならない。使っていいかどうかは知らないが)。二年くらい同じ顔でも、まあかまいやしない。かまいやしないが、いくらなんでもちょっと飽きる。
 今年は疫病の流行が一段落し、一部のタッチアップが再開された。もちろん疫病以前よりずっと手間がかかるし、制限も多い。それでもわたしは行くことにした。

 ファッションは自己表現である、そしてそれ以前に自己理解である、と友人が言う。だからメイクの丸投げはよくないと思うけど、あなたのはまあ、いいか。要するに化粧するのはいやじゃないけど、顔の細かいところがよくわかんないんだもんな。あんまり関心も持てない。じゃあしょうがない。その他の部分で自己理解をするといい。他の部分ではよく自己を理解していると思いますよ、あなたは。
 うん、とわたしは言う。わたしはわがままで、苦手分野で努力して顔面に関する理解を構築するのは面倒だし、いくつかの型に自分をあてはめるセミオーダーみたいなのも好きじゃない。「誰それみたいになりたい」というのもない。なぜならわたしはその人ではないから。
 わたしは友人に尋ねる。いま東京でいちばんかっこいいポイントメイク一式を売ってくれるブランドはどこだい。彼女はこたえる。わたしはそれをメモする。
 わたしは電車に乗る。百貨店に行く。コスメカウンターでカウンセリング希望の順番に入れてもらう。席があくのを待っているあいだ、担当についてくれたビューティーアドバイザーの女性と話す。今日はポイントメイクぜんぶ買おうと思って来ました。ほら今、薄いピンクとか使った、ぜんたいに色の強くないアイメイクがあるでしょう、ああいうのやりたいと思って。職場はうるさくないのでちょっと冒険したアイテムでもだいじょうぶです。
 これだけ薄ぼんやりしたオーダーをすると「この人はメイクの詳細について何も考えていないし、少し考えても理解できないのだな」という事実が明瞭に伝わるようである。そしてそういう人間に対して、彼女たちはやさしい。わたしはコスメカウンターでいやな思いをしたことが一度もない。年に一度しか買わないし、お金をたくさん落とすのでもないのに。
 「お肌悩みはなさそうですね」と言われて「ないです」と言う(できものがあるとかでなければ、だいたい同じに見えるから、悩みというのはない)。「この中ではおそらく、こちらがもっともお似合いです」と言われれば「そうなんだろうなあ」と思う。薄いピンクのアイカラーを四つ出されてほとんど区別がつかなかったことは言わない。左右のまぶたと眉にほんの少しずつちがう色を乗せられ、「どちらも素敵です。わたしとしてはこちらのほうが好きです」と言われて、そうかあと思う。できあがった自分の顔を見て「わあかわいい」と言う。ほんとうにかわいい顔ができたなあと思う。
 化粧のことを考えるのは年末に一式買うとき、すなわち一年に一度だ。だから忘れていたのだけれど、年末のこの行事がなかったことが、わたしはやっぱりさみしかったのだろう。わたしはわたしの顔に関する自己理解を買うのが、きっと好きなのだろう。

 新宿伊勢丹で自己理解を買う。自分にとって重要でない部分の自分に関する理解を買う。わたしのそのような年末の習慣は、疫病よりずっと前に作られた。人が人に触ることに何の制限もなく、コスメカウンターで誰もマスクをしていなかったから、わたしはそれを十全に楽しむことができた。もしもわたしが「化粧品は人に選んでもらうのがいい」と思ったときすでに疫病がやってきていたら、わたしはいったいどうしただろう。

薄暗い親たちの薄暗い心配

  疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。小学生の娘も一時期、分散登校になった。今はフルで通学可能である。それでも子どもたちの活動は制限されているし、週末も遠出がしにくい。よほど仲の良い子でないとたがいの家の行き来にも遠慮してしまう。来た子にも「晩御飯たべていく?」というわけにはいかない。
 それでわたしは、とくになにもない時間を娘と一緒に過ごすことが増えた。そうするとつくづく、娘は自分と似ていないと思うのである。
 娘は小学五年生、社交的でスポーツが好きだ。興が乗るとアイドルの真似をしてダンスしてみせるのだけれど、これが驚くほどうまい。お友だちと踊っている姿はかわいい。子どもながらにファッションの好みが出てきて、あれこれコーディネートを工夫している。担任の先生によればクラスでもよくリーダーシップをとり、いろんな子と仲良しだということで、学校での集団生活によく適応しているようだ。

 いいことだ。
 いいことなのだが、その娘の親であるところのわたしと夫は社交的ではない。暇さえあれば本を読んでいる。夫婦の馴れ初めは哲学書の読書会だ。よく晴れた日曜日に地下の店でねちねちとハンナ・アーレントを読む者同士として出会った。死について考えるために哲学書を読み、かつ大勢の友だちとバーベキューやフットサルをやるような人間もなかにはいるが(いるのだ。わたしの数少ない友人のひとりである)、わたしたち夫婦はそうではない。魂の諸側面がいずれも薄暗い。バーベキュー・フットサル要素なしの人生をふたつ、日陰にごろりと並べたもの。それがわたしたち夫婦の、子ができるまでの様態であった。
 そこにあらわれたのが娘である。最初は赤ちゃんだったので親に似ていないことはわからなかったのだが、成長するにしたがって徐々にその性質があきらかになった。
 娘はろくに本を読まない。両親が夜ごと湿ったほほえみを浮かべ猫背で本を読んでいる横でゲームをやっている。それも友だちとおしゃべりしながらやっている。わたしもたまにゲームをするが、友だちとなんかやったことがない。ひとりでゾンビを殺しまくるゲームとかをやる。
 わたしと夫と娘の共通の趣味はマンガだけである。そのマンガの読み方もどうやら娘とわたしではだいぶちがう。娘の感想を聞くと、さまざまなキャラクターの関係性を見ていて、その力学を楽しんでいる。バトルものではチームプレイや連携の描写があるものが好きだ。ストレートに格好良いキャラクターが好きだし、率直に正義の側に自分を置いている。
 小学五年生だからだろうかと尋ねると夫は首を横に振り、いやおれは小学校中学年ですでに暗いことを考えていた、と言った。あの子はきっとそういう人間なんだ。
 そして夫はさびしそうに笑い、言った。あの子は太陽みたいな子で、大勢の友だちにかこまれた人生を送るんだ。素敵なことだよ。うん。

 いいじゃん、と友人は言う。めっちゃいいじゃん。何が心配なの。
 わたしは陰鬱な声で言う。あの子はうちの居心地が悪くないだろうかと思うんだよ。今はまだ幼いから会話もあるけど、本格的に思春期がはじまったら、わたしも夫も「無理解な親」になるんじゃないかと思う。わたしは思春期のころ、わたしの好きなものを親にちいとも理解してもらえなくて、そりゃあ悲しかったものですよ。自分はそうなりたくなかった。でもわたしと娘の好みはあきらかにちがう。娘にはわかりやすい屈折はなさそうだけど、そういう子にも思春期の悩みはきっと発生する、それに対してわたしは役に立てないんじゃないかなあ。
 なるほど、と友人は言う。それから言う。あのさあ、娘さんに屈託がないのは、生まれ持った気質もあるんだろうけど、あなたがた保護者がいろんな経験をさせてあげて、よく褒めて、自分たちと違うところを否定したりせず、安心な環境で育てたからじゃないかと思うんだ。保護して保護される関係において、交友関係のスタイルやコンテンツに対する好みなんてたいした問題じゃないと思う。

 そうだったらいいけど、とわたしは言う。わたしの娘、わたしの小さい娘。ほんとうはもう小さくないと知っているのに、あと何年家にいるかわからない年齢になったのに、いつまでもずっと頼られたくて、なんでもわかってあげたいと思ってしまう。娘とわたしはあきらかに別の人間で、ほとんど共通点がないと言っていいくらいなのに。

恋愛なんか好きじゃなかった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために停滞したもののひとつが恋愛活動である。僕らの世代では(少なくとも僕の周囲の同世代の友人の間では)「恋愛したいなら『自然な出会いを待ちたい』などというのは寝言であって、自分から動かないやつにはなにも起きない」という認識が一般的である。恋愛したけりゃ恋愛活動をするものなのだ。
 そしてその恋愛活動の多くが停止し、いくらかは強行され、全体に様変わりしたのがこの一年数ヶ月である。

 僕は疫病流行が一度落ち着いたところで今の彼女に出会った。そうして彼女が「つきあおうよ。わたしとつきあうと楽しいよ」と言うので即つきあうことにした。その後ふたたび新しく人と会うのが困難に(あるいはためらわれるように)なったので、いわば出会いの滑り込みである。滑り込めたのは彼女の腕力のおかげだ。デート一回目でつきあおうなんて言えないですよ、少なくともおれは。
 その後は疫病のためにどこかへ出かけることもままならなかった。それで僕は彼女の部屋にせっせと通った。来てくれと言われたのではないけど、「行っていい?」と訊いたらたいてい「いいよ」とこたえてくれたのだ。だからにこにこして通っていた。
 あまりにしょっちゅう行っていたからか、つきあって二ヶ月後には彼女が「二ヶ月後に賃貸の更新があるから一緒に住む? あなたと住むと楽しそう」と言った。それで一緒に住むことにした。疫病対策としてしばしば「同居家族のみ○○してよい」という行動制限が課されたから、同居すると非常に気分がラクになった。
 それも彼女の腕力のおかげである。つきあって二ヶ月で同居の打診はできないよ。少なくともおれは。

 そして僕らはけっこううまくやっている。結婚とかする?と訊いたら「しない」と彼女が言うので結婚はしていない。なんでも「結婚という制度が嫌い」なのだそうである。「あなたが結婚することは止めない。あなたの自由だ。したけりゃよそですればいい」と言う。
 まあ僕としては安心して一緒に居られればそれでいいので、結婚が彼女の安心じゃないなら強行する必要もない。
 それで僕らはたがいの家族や友だちに会って仲良くなるなどして安心して暮らしている。

 そしてつくづく思った。疫病前、僕はしばしば恋愛活動をしていたけれど、だからといって恋愛がしたかったのではなかった。僕は気の合うパートナーと安心して暮らしたかったのだ。その相手を選ぶ手段を恋愛しか知らなくって、だから恋愛活動をがんばってしていたのだ。今はもう、恋愛、ぜんぜんしたくねえ。

 僕がそう言うと彼女は眉を上げ、しっけいな、と言った。わたしを愛していないのですか、あなたは。
 愛していますよと僕は言う。愛してるけど、燃えるような恋はしてない。生まれてこのかた誰にもそういう恋はしたことがない。高校生のころはものすごくドギマギしたけど、あれは単に慣れてなかったせいだと思う。女の子を並べて「この中に好きになれそうな人はいないかな」って探すのが嫌い。とっかひっかえしたいやつの気が知れない。恋愛初期のハラハラする感じも嫌い。女の子に試される感じも嫌い。それでだいたいダメになって別れる。恋愛関係が半年以上もったことがない。あのね、おれ恋愛ぜんぜん好きじゃねえの、最近気づいたんだけど。
 変わってるなあと彼女は言う。わたし恋愛すき。得意だし。
 知ってる、と僕は言う。彼女の恋愛的豪腕のおかげで交際と同居が早期に実現したのである。ちなみに「振られたり断られたりするのが怖いという感覚はないのか」と訊いたときには、彼女はほほえみ、「ふられたらすっごく悲しくて毎日泣いちゃう」と言っていた。そして「まあ今のところ、つきあおうというオファーを出して断られたことはないけどね」と言った。まさに恋愛が得意なのだ。

 変わってるのはきみのほうだと思うよ、と僕は言う。恋愛が好きな人なんて、実はほんの一部なんじゃないかって、最近思うんだよ。男でも女でも、若くても年とってても、きみみたいなタイプはごく一部なんじゃないか。たとえば僕がいなくなったら、すぐによそで恋愛できるでしょう。いやわかってる、悲しんではくれるよね、でもその足で恋愛の戦場に戻る。
 そんな人類は少数派のはずだよ。残りはしょうがなく恋愛活動をしているんだよ。しょうがなくとまで言わなくても、「そういうものだから」って。

名札がないほうの世界

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。私の勤務先ではひところ、すべての会議がオンラインになり、そして、感染者数が減ったという理由で、一部が対面に戻った。そのせいで私は今、会議室で冷や汗をかいている。誰が誰やらわからない。わからないが、わかるふりをしなければならない。もう一年半も毎月会議をやっているメンバーなのだから。

 そもそも私の昇格のタイミングが悪かったのだ。疫病流行とほぼ同時である。自分が管理する人員が大幅に増えた上、他部署との連携をしなければならない。その役割をやることになった途端の疫病だ。さらに「なんかインターネットとか強いんでしょ?」という理由であれこれやらされた。なんだよ、「なんかインターネットとか」って。
 そうしたわけで疫病流行当初から現在まで、知らない人とたくさん話すことになった。ほぼオンラインだった。私は知らない人の顔を覚えるのが極端に苦手なので、オンライン会議システムで名前が表示されることにおおいに助けられた。というより、それで会議を乗り切ってきたのだ。

 人の顔を覚えられないと言うと、しばしば「その人に興味がないんでしょう」と言われる。誤解である。私は誰の顔も覚えられないのだ。声と話し方は比較的早く覚えるし、体格やしぐさを総合すれば個人を特定できるから、社会生活に大きな支障はない。ないが、顔の造作はだいたいのところしか覚えていない。少しようすが変わればもうわからない。「Aさんかもしれないな」くらいだ。そして「Bですよ」と強く言われればすぐ信じる。
 目が悪いのはたしかだが、それ以前に見えていない。友人の子に「あんぱんまん、かいて」と言われて描いたら、友人から「パーツが足りていない」と指摘を受けたことがある。見本があるのにパーツが足りていなかった。絵が下手だとかそういう以前の問題だ。あんなに簡潔に作られたキャラクターの顔のパーツを把握する能力さえ私にはないのである。
 美術は好きだが、造形じたいはおそらくよくわかっていない。それで絵はでかけりゃでかいほどかっこいいと思っている(自分にもわかるから)。小さくて細密なのを出されるとしょんぼりする。いっとう好きなのは仕掛けと文脈のおもしろさで攻めるタイプの現代美術である。あれはいいものだ。私にもいっぱつで楽しめる。
 認知機能の一部が平均から強く逸脱している、平たく言えば知能の一部がすごく低いのだと思う。

 そんなだから人々が容姿をそれほどまでに重要視する理由が頭でしかわかっていない。みんなは人間の容貌の美がこまやかにわかるから、容姿の美しいのが好きで、容姿のすぐれている者が有利で、けっこうな数の人が自分を美しくないと思って悩む、なんなら病気になる人までいる、そういうことが頭でしかわかっていない。実感としてはいつまでたっても「たかが容姿」としか感じられない。ルッキズムに批判的である以前に、ルッキズムをやるために必要な能力がないのだ。
 自分の容貌に不満がないのだって、「なんとなし快く見えるから」「親しい人もよいと言ってくれるから」という程度でしかない。見慣れているから見分けはつくが、似たのを持ってこられたら間違えるかもわからない。集合写真の中にいる自分を見つけられなかったことさえ私にはあるのだ。

 そんな人間が仕事の都合でたくさんの新しい人と知り合うことになれば、たいていは軽いパニックに陥る。強く集中して声と話し方とシルエットを覚え、細心の注意をはらって失礼のないようにつとめるーー対面なら。
 でも私が昇格してから一年半、対面の会議がなかった。ほぼオンラインだったのだ。オンラインだとみんな四角いスペースにおさまってその上部に名前が書いてあるのだ。それが当たり前じゃなかったことを、私はすっかり忘れていた。

 冷や汗をかいている私の前で偉い人が会議の開催を宣言した。そして言った。年のせいでだいぶ目がかすみます。一年半も顔を合わせていなかったからだいぶようすが変わった人もあるんじゃないか。次回から座席表を配るから、そこに座ってください。どうも年寄りはいけないね。

 いけなくない。いけなくなんかない。最高だ。世の中には高齢でなくても高齢者より認知機能(の一部)が低い人もいるのである。たぶん私以外にもどこかしらの機能が低い人が社内に居ると思う。いたらぜひ知り合いたいと思う。みんなできることでつながろうとするけど、できないことでつながるにはどうしたらいいのかしらねえ。

アバターの中からの手紙

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕の職場でもできるかぎり会食などを避けるようにと言われたので、避けた。避けていたら一年半、プライベートで人と対面しなかった。

 疫病のために人に会えなくなることがつらいとみんなは言うけれど、僕にはかかわりのないことだ。平素からろくに人と会わない。コミュニケーション全般がないとうらぶれた気持ちになるが、疫病以降には通話や映像でのおしゃべりが増えたから、コミュニケーションの総量は変わらない。
 先日一年半ぶりに友人と物理的に会った。そうしたら彼女は僕が姿をあらわすなり爆笑して(もともとわりと失礼な人である)、「Zoomとなんも変わらない! すごい、アバターみたい」と言うのだった。
 友人が言うには、人間の身体には多くの情報が付随しており、それは人格の一部でありつつ、動物としての存在を示すものでもあるのだそうである。だから人と物理的に対面することは彼女にとって必須で、Zoomでしゃべったからといって「会った」ことにはならないのだという。妙なことを言う人である。もともと変わっているのだ(彼女に言わせれば僕のほうが変わっているそうだが)。
 わたしは、友だちと対面したいけど、と彼女は言う。羽鳥さんだけは対面じゃなくていいわ。Zoomと同じだもん。びっくりするほど同じ。インターネットで「会える」人だわ。

 僕はもちろん物理的に存在しているし、生物として機能している。ちゃんと年をとって老けたりもしている。それでも僕の身体が他者にとってアバターのようであるなら、それは僕自身が他者の身体を必要としていないせいだと思う。僕は他人の身体の発する情報が理解できないのだ。それに魅力を感じることもない。
 僕は空気が読めない。読む能力がないし、読むことの価値も感じない。だからコミュニケーションをとる相手には「僕は伝達事項をすべて口に出して言います。できればあなたもそうしてください。空気は読めません。理屈はわかります」と言う。空気を読まなくてよい仕事に就き、空気を読まなくてもかまわない相手とだけときどき話をして、それで白髪が出るまで生きてきた。楽しい人生である。
 一度も悩まなかったのではない。とくに若いころは「恋愛をしろ」「結婚をしろ」という圧力がけっこう強くて、僕も「そうなのかな」と思って努力した。言い寄ってくれた女性と交際してもみた。やってできないことはないが、ものすごく疲れたし、なんだか気が塞いでしまうのだった。向いてない。そう思った。
 恋愛や性行為をしないことを異常だとか病気だとか言う人もいたけれど、その人にとって僕が異常でも、僕はまったくかまわなかった。その人が僕に対する何らかの強制力を持っているのではないからだ。
 よく考えたら恋愛だの性行為だの結婚だのを強制されるいわれはまったくないのだ。ぜんぜん理屈に合わない。昔の自分はどうして悩んでいたのだろう。今となってはわからない。三十くらいのときにそう思ったことをよく覚えている。
 両親はとうに僕が「普通」になることをあきらめていたし、親戚には会わなければよいのだし、職場の人間関係は職能を磨いて実績を出せば問題なかった。というか、そういう職場を選ぶために三回転職した。
 それでも、四十までは見合いの話が来た。僕の断りかたはだんだんストレートになった。僕は結婚しません。試しに会うこともしません。端的にそう言うようになった。年をとるごとにどんどん息をするのがラクになった。

 そうしたところでこの疫病である。病気はよくない。人が苦しむのはよくない。僕も苦しんだり死んだりしたくない。経済活動が停滞するのもよくない。できるだけ早く収束してほしい。
 それとは別に、疫病を奇貨として「自分はほんとうに物理的存在としての他人が必要なのか」を検討する人がいたらいいなと思う。なかには若いころの僕みたいに、無理にまわりに合わせようとして苦労している人がいるかもわからない。
 僕らは(僕のような人がいると僕は信じているので複数形を使う)ロボットみたいだと言われることがある。でもそうじゃない。感情があるし、薄情でもない。僕の若い頃の死に物狂いの努力の源は僕みたいな人間を罵る連中への憎しみと怒りである。何がロボットか。めちゃくちゃ人間じゃないか。
 年を取ったので若い人が気にかかる。僕のような若い人が罵られたりせず、幸福になってくれたらいいと思う。

ゴシップと猿

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにいったんはリモート勤務が推奨されたものの、長期化とともに出勤ベースに戻す企業も増えてきた。弊社もそうである。わたしはリモート勤務が大好きなので(端的に効率が良い)、実績を振りかざして上司に詰め寄り、週に一度のリモート勤務の継続を確保した。それでも週に四日は出勤しているので、生活はだいぶ疫病前に近づいた。
 近づいたが、疫病前に戻ることはない。人間と人間の距離はある程度以上近づかない。それにともなって社内での会話の無駄がだいぶ省かれている。飲み会をやらないから無駄話を長々やる機会が発生しないし、社内の立ち話ではより業務に近い話題が優先される。たまたま居合わせた人と短い雑談をすることはあるが、そのときも比較的まじめな雑談が採用される。社内の薄い知り合いとどうでもいい話をする機会がない。

 それがちょっとしたストレスだったと気づいたのは、同期が久々にゴシップを持ってきたときだった。
 同期はわたしと同い年だから、三十をとうに過ぎたいいおじさんである。そうして疫病前から罪のない(あるいは少ない)噂話がとにかく好きである。それも芸能人のではなく、身近な人々の話が好きなのだ。同僚たちに関する些末なあれこれを、やたらとよく知っている。
 彼は自動販売機の横の休憩スペースでわたしをつかまえて、ちょっと聞いて、と言った。疫病前はよくあったことだが、思えばそれも年単位で昔のことである。

 同期が持ってきたゴシップはほんとうにどうでもいいものだった。同じ会社の後輩女性の劇的な恋愛の話だ。
 後輩には五年ほどつきあっている彼氏がおり、結婚を前提とした同居のために物件を契約したところだったのだが、ずっと彼女のことを好きだったという別の男性が夜中に彼女の自宅を訪ねて愛を告白、彼女の家族が出てきても堂々としており、その態度にぐっときた彼女が男性とふたりで夜の町に消え、翌日には現彼氏との同居を取りやめてしまいーーみたいな話である。
 わたしにとっては赤の他人の色恋沙汰にすぎない。ほんとうにどうでもいい。どうでもいいのだが、めちゃめちゃ楽しくその話を聞いた。
 それで?それで?えー、現彼氏かわいそうすぎでは? いやー、もともと倦怠期だった上に、なんていうかプレマリッジブルーって感じだったんだそうなんだよね本人が言うにはさ。なるほどねー、そこで情熱的なアプローチによろめいたと。そうそう、それもぽっと出の新キャラじゃないわけよ、学生時代のゼミ仲間だってよ。あらー、それはぐっときちゃうかもねえ、でもなんで今まで黙ってたんだろ、告るならさっさと告ったほうがいいじゃん。ねー、なんでだろ、結婚しちゃうかもって聞いて突然焦ったとか、別の女性とつきあってて別れたとかかもね。

 どうでもいい話を熱心にすると、なぜこんなに楽しいのだろうか。
 同期とは社内では比較的親しい。仕事上の役割がかなり近く、どういう人間かもわりと知っている。もし同期が彼自身の激しい恋愛とか激動の家庭生活(激動する家庭って具体的にはどんなものか、ちょっとわかんないけど)とかの話をしだしたら、とてもじゃないけど楽しく聞くという感じにはならない。心配したり現実的な対処を考えたりしてしまう。
 十歳も年下の、部署も違う後輩が、なにやら劇的な状況にある、その噂話を聞く、というシチュエーションだから楽しかったのだ。

 噂話ってどうして楽しいんだろ。わたしがそう尋ねると、同期は言った。それはね、僕らが猿でもあるからです。
 猿は毛づくろいをする。そして仲間うちとしての感覚を持つ。でも僕らにはできない。代わりにあいさつとかをする。でもあいさつはみんなにすることになってる。毛繕いは誰にでもするものではない。相手を選んでするものだ。たいしたことじゃないけど、でもないと成り立たないんですよ、僕ら猿の集団はね。そして僕にとってゴシップはもっとも適切な毛繕いなんだ。

 わたしはどうやら毛繕いが足りないことがストレスだったらしい。自分では「どうでもいい噂話なんかなくても平気だし、むしろ快適だ」と思ってたんだけど、実はそうじゃなかったらしい。わたしはわたしが思うほど高尚な人間じゃなくって、毛繕いの好きな猿だったらしい。
 わたしがそのように言うと同期は笑って、いいじゃん無害な猿でいようぜ、と言った。

寄るな触るな(感染症対策です)

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。疫病流行当初に一歳だったわたしの息子は二歳半になった。
 実のところわたしは、もちろん疫病はないほうがよかったが、疫病の流行がこの間に重なったことには少々の幸運を感じているのである。

 わたしは三十八歳のときに息子を生んだ。わたしにとってはじめての(予定としては最初で最後の)出産であり、友人たちの間では(今のところは)もっとも遅い出産だった。
 生まれたよーと報告すると彼女たちはいったん祝賀一色のメッセージをくれたが、少し経つとその毛色が変わってきた。高校時代の友人、大学時代の友人、職場でできた友人、趣味で知り合った友人、それぞれにつながりはなく、ひとりひとりバックグラウンドも性格も価値観も異なるのに、子のいる友人から届くメッセージには、なぜか共通したトーンがあるのだ。抜粋するとこんな感じ。

 ベビーカーはがんがん使え。無理にだっこして歩き回らなくていい。スキンシップは座った状態でできる。バウンサーとかも使え。
 母乳神話は神話にすぎない。完全ミルクも選択肢。
 成長曲線の範囲内におさまっていれば誰に何を言われても気にする必要はない。
 究極、死なせなければだいたいOK。
 家事をカネで解決するの超おすすめ。カネで時間を買うべし。
 市販のベビーフードは素晴らしい。
 他人からの「かわいそう」の語は心に入れるな。
 寝ろ。育児交代要員を用意して寝ろ。父親がめちゃくちゃ育児するタイプだとしても保育リソースを確保のこと。

 要するに、親業の先輩である友人たちはわたしに「楽をしろ」と口々に言ったのである。わたしはもともと「子どもを持ったからにはいい母親にならなくちゃ」みたいなまじめなタイプではないし、産んだあとも赤子に対して最大限のことをしてあげたいみたいな気持ちは芽生えなかった。ぼちぼち楽しくやっていこうな、くらいのテンションだった。
 だから友人たちの心配は杞憂だと思っていたのだが、ある日そうとも言い切れないことがわかった。歩いていたら息子をばっとのぞき込んで「かわいいわねえ母乳?ミルク?ちゃんと出てる?」と言う人がいたのである。
 出会って二秒で密着して早口で授乳状況を詰問。不審者である。わたしはすみやかに身をかわし(不審者が物理的にへばりつきそうだったので)、最寄りの交番に向かった。しかしよく考えたらせりふ自体は警察沙汰にするほどじゃなくて距離感が異常なだけだったので交番に行くのはやめた。でもさあ、怖くないですか、すれ違いざまにへばりついてきて母乳の分泌状況を詰問する初対面の赤の他人。
 その後わかったことだが、さすがにここまでの不審者はなかなかいないものの、赤ん坊を連れていると距離感がおかしくなる人や加害的になる人は少なからずいるのだった。頼まれてもいないアドバイスなんて数え切れないほど遭遇するし、とにかくいろんなことを否定される。
 こりゃ参っちゃう人もいるなとわたしは思った。しょっちゅう否定されたら自分のしていることにだんだん罪悪感を持つ人のほうが多いのではないか。なにしろジャッジしてくる連中の価値観は「母親は時間気力体力のすべてを育児に使え」という点で奇妙に一致しているのだ。

 タクシーに乗車して「奥さんに赤ちゃんできるようなことした旦那さんがうらやましい」などと言われた段階で、わたしは理解した。一方的なジャッジ、不要で不快なアドバイスセクシャルハラスメントに至るまで、産後やたら遭遇するようになったおかしな言動。その原因は、要するにわたしが「弱いから」である。
 赤子連れはめちゃ弱い。そしてこの世には弱い人間を選んでふだんから持っている「断罪したい」とか「セクハラしたい」とか、そういう欲求をかなえようとする人間がいるのだ。わたしは腹を立てて夜ごとノートパソコンをひらき、彼らの悪行を書き留めていた。夫はそれをデスノートと呼んだ。夫にはデスノートは必要なかった。赤ん坊を連れていてもわたしより弱そうじゃないからだ。けっ。

 そうしたところが疫病禍である。
 通行人が減った。物理的な接近は社会悪になった。居合わせた者に話しかけるのはよほどの理由があるときだけという合意が形成された。そしてわたしは「弱そうに見える」期間のかなりの時間をきわめて快適に過ごした。
 疫病の感染者数はずいぶん減った。めでたいことである。そうして「感染症対策です」と言えるあいだに、この社会の隅々にまで、他人同士の適切な距離感というものを定着させたいものである。