傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

だからあなたと出会わなかった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしはこの夏、あの外国みたいな街角で、あなたと出会わなかった。

 わたしは退屈な大学生で、だからあの街を歩いていなかった。疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出されていたから、わたしはだまっておうちにいた。だからわたしはそこにいなかった。

 そこは繁華街で、時代時代でニュースとかが言う「若者の街」のうち最近注目されはじめたところで、わたしは大学一年生で、音楽をよく聞いていて、外国とか好きで、英語をけっこう話せて第二ないし第三外国語がちょっとできて、流行とかもぜんぜん好きで、だから、わたしはそこに、いなかった。
 だって、東京は疫病とオリンピックのために大学生が軽薄に出歩くことのできる街を残していないことになっていたから。

 わたしは良い子で、だからずっと、おうちにいた。おとうさんとおかあさんといっしょにテレビで楽しくオリンピックを見ていた。ほんとうだよ。
 ほんとうだとして、これから先を話すね。ねえ、あなた、ほんとは知っているんだよね。ばかみたい、っていうかばかだよね。あなたもわたしも。

 ばか。

 わたしは閉塞した受験期に本格的な歌と踊りをやる隣国のアイドルを好きにならなかったし、だから入学後の最初の試験が終わった晩にその街に行かなかった。入学後ずっとオンライン授業でイライラしていてわずかな登校期間にようやくつくった大学の友だちと授業のあとに居合わせたりしなかった。「下校後はまっすぐ帰りなさい」なんて小学生みたいなこと大学から言われて言うこときかないで出かけたりしなかった。友だちといっぱいおしゃべりしてファッションフードを食べてプチプラの売れてるコスメを買いに行かなかった。
 わたしたちはマスクをきっちりつけていた。だって、若い人を狙い澄ましたような変異型が出たって、ニュースで言ってたもの。わたしはニュースをちゃんと読むタイプなんだもの。お父さんとお母さんが新聞の電子版を取っていて、わたしは受験が終わったあともそれをちゃんと読んでいるんだもの。あなた、それでもわたしが流行病に罹ることを怖くなかったと思わない? 思わないんだ。ばかな若い女が怖くなるだけの勉強ができないほどクソバカだから街に出たって思うんだ。それならそれで、いいんじゃないですか。

 わたしは、街になんか、出てない。だからわたしはあなたと出会わなかった。

 わたしが軽薄なファッションフードをちゃむちゃむ噛んでるとあなたはわたしの前に出現する。あなたはなにも噛んでいない。まっすぐ歩いてくる。そうしてわたしの目の前で止まる。わたしは視線を上げる。わたしにはわかる。あなたがわたしのその人だということが。
 嘘だよ。だってわたしは、そこにいなかったんだから。

 わたしは友だちに「あのさ、この人と今からデートしていいかな?」って言わなかった。そんなキャラじゃないから。あなたは「どうもすみません、これはもうしかたのないことなので」なんて言わなかった。きれいな英語で言わなかった。お月様みたいな目で言わなかった。わたしも友だちも、あの街角で、あなたと鉢合わせなかったから。

 わたしたちは思いのほかディープなエスニックタウンを歩かなかった。ここは日本で、東京で、海外からの人の出入りはきっちり制限されていて、それなのにあたりから外国語が聞こえることはないはずだった。わたしはその異国語のざわめきを美しいと感じなかった。ずっとずっと前に異国から来てこの国にいる人々がキムチとかを売っている姿を見なかった。その国の男の子たちがその国のことばでそのことばの通じる女の子たちをナンパしてそこいらのホテルに消えていくのを「すてきだな」なんて思わなかった。わたしは勉強ができるのでここが戦後の傷跡としての在日外国人の街だということを知らないのではなかった。そうして彼らの率直で軽薄な愛のことばを、うらやましいと思わないのではなかった。
 わたしたちはいつのまにか手をつながなかった。わたしは突然大胆なことがしたくなって「キスしようよ」と言わなかった。あなたはわたしを見て「いいアイデアだね、でもあとで」と言わなかったし、わたしはそれを聞いて「できるだけ早くしてね」と言わなかった。あなたはそうして、完全にイノセントな顔してわたしの目を見て笑わなかった。

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしはこの夏、あなたと出会わなかった。

ええじゃないか2021

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。通達にはいくつかのレベルがあり、現在はそのもっとも強いやつが出ている。外国では最低限の外出以外を禁じるロックダウンもおこなわれたけれど、この国ではそういうことはない。よぶんな外出は控えて、夜に遊び歩かず、外で酒を飲まないように、という感じである。通勤電車はそれなりに混んでいるし、なによりオリンピックはやるというのだから、要するに「飲食店で酒を飲むな、夜に外で食事をするな」という内容の「協力依頼」である。
 最初はみんな神妙に言うことを聞いていた。でも事態が長引くにつれ、もうやっていられないという声も増えた。人々は寄り集まっておしゃべりをしたいし、ざわついた店で酒を飲みたい。「では八時には終業してアルコールは出さないでおきますね」という方針の店ばかりではなくなる。

 僕の家の近所に繁華街がある。疫病前からいつ行っても誰かが酒を飲んでいる。平日でも昼間でも飲んじゃう、そういう場所なのだ。やたらとテラス席(というか、壁にかこまれてないところに椅子とかビールケースをさかさまにしたやつが置いてある席)が多く、ラフで気楽な雰囲気の飲み屋街である。
 僕は物見高いので、しょっちゅうこの飲み屋街のようすを覗いている。飼い犬の散歩コースとしてちょうどいい距離なのだ。犬も僕に似て(?)野次馬なやつで、この散歩コースがわりと好きである。
 現在、この飲み屋街の多くの店は「自粛」をしていない。昼間っから夜中まで店があいている。酒をばんばん出す。五月くらいからぼつぼつ「23時まで営業 アルコール出します」みたいな貼り紙がではじめ、六月には貼り紙すらなくなって、当然のように通常営業をはじめた。
 僕と犬は飲み屋街に近づく。外から見るだにたいへんな混雑である。僕は物見高いが、感染リスクが高いことはしないので、先月から飲み屋街の中には入らず、様子だけ見ている。そもそも犬が歩けないほどみっしり人がいるのだ。
 もちろん僕自身が飲みに行く気になるような状況ではない。みんな肩寄せ合ってマスク外しておしゃべりしながらばんばん飲食している。アクリルボードを斜めにして隙間から顔を出してしゃべっている人さえいる。疫病前より大量の人がいる。歩いたら確実に誰かに接触する。他人の呼気を吸わずに通ることもまず不可能。
 人々は疫病前以上に高揚している。アルコールだけでなく、やくたいのないコミュニケーションそのものが彼らを酔わせているように見える。東京中からバチギレた老若男女が集まった感がある。感染リスクとかそういうのをぶん投げた人々の集団である。

 江戸時代の終わりに、と僕は言う。犬に向かって言う。要するにひとりごとを言う。
 「ええじゃないか」という現象があったんだ。民衆がええじゃないかええじゃないかと言いながら日常生活をぶん投げて踊り騒ぐ現象。世直しの運動だとか、いろいろな説があるようだけど、決まりごとをめちゃくちゃに破って騒いだら楽しくなっちゃったんだろうなと僕は思うよ。いろんな義務を放り出して集まって踊って、男が女の服を着たり女が男の服を着たり、裸みたいな格好したりして、そんなの楽しいよ絶対。決まりごとは破ったら気持ちいいもんなんだよ。
 じゃあなんでそれまでは決まりごとを守ってたかっていうと、守れば生きていかれたからです。江戸時代なら身分制度にしたがい、ムラにしたがい、イエにしたがい、それでもって生業をもらう。町人は町人の服を着て、男は男の服を着て生きる。お上の言うこと聞いていい子にしてないと遠からず野垂れ死ぬ。そういう世の中だったわけ。
 でも幕末にその箍が緩んだ。なにしろその直後に世の中がひっくり返るんだから、予兆はあるわけさ。決まりごとにしたがっていても今までどおりでない感じがしたら、したがうのを休みたくもなる。ほとんどの人間は革命なんか起こさない。めんどくせえしトクなことがないから。でも「言うこと聞いていい子にしていない連中のほうがトクしてるんじゃないか?」と思ったりはする。そういうときに決まりごとを破るのはものすごく気持ちいい。それが「ええじゃないか」ではないかというのが僕の仮説、というか妄想。わかるかい。

 犬はピスと鼻を鳴らす。わからないかい、と僕は言う。わかるわけがないのだ。帰ろうかと言うと犬はピコと腰を振ってきびすを返す。

無害なケアのために

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの人が以前より家にいるようになった。するとよく聞こえるようになったのが「家族のお世話の負担が大きすぎてやっていられない」という声である。小中学生が登校できない時期には保護者が昼食を家で作らなければならなくなった。なんなら在宅で仕事をしながら子どもの相手をするのである。
 わたしには子どもがいないのだが、子どものいる友人たちから「今日のお昼どうしよう」とLINEが入ったりして、はたから見るだにたいへんそうだった。ちなみにわたしは「卵かけごはんにしよう」などと回答していた。卵かけごはんなら小学生でも自分で作れる。

 現在、子どもたちは登校している。それでも「お世話の負担が大きすぎてやっていられない」人はまだいる。同僚のひとりは、「家にいるときのお昼は自分でどうにかしてもらうようにお願いした」「ほんとうは自分でお昼を食べたあと、お皿も洗ってほしいんだけど、それはまだやってくれない」と言う。
 在宅ワークの最中に夫の世話までしていたらそりゃあやっていられないだろう。そもそもその夫はどうなのだ、とわたしは思う。思うけど言わない。その場には社内で有名な男性の先輩がいたからである。なぜ有名かといえば、自分の家族の食生活を一手に引き受けているのである。料理が上手なだけでなく、とにかくマメな人で、出社時にしょっちゅう弁当を持ってくる。もちろん妻子の分も一緒に作っている。というか、子どもの弁当のついでに自分と妻の分を作っているのだという。
 わたしは先輩が「男だからといって料理のひとつもせず妻にやらせっぱなしとはなにごとか」というようなことを言ってくれると思って待った。すると先輩は意外なことを言った。
 その旦那さんは、家族の世話をしないで、お世話されるだけがいいのかな。どうしてだろう。世話すると気持ちいいのに。

 先輩のことばの意味がわからなかったので、場所を変えて先輩の話を聞いた。
 先輩が世話好きなのは昔からだそうである。そういう男はたまにいますよと先輩は言う。自分の父親がそうだったとか、逆に父親を反面教師にしてとか、いろいろ言うけど、なんでかは正確にはわからない。おれは人の世話するといい気分になるから、だからしてる。学生の時は予備校で働いていて、経済的にはそれでOKだったんだけど、小学生の家庭教師も必ず入れていた。子どもの面倒を見たくてさ。
 だって、子どもは、弱くてかわいいだろう。そういうのに頼られるのはいい気分じゃないか。おれの場合はほら、男だから、「男の人なのにすごい」なんて加点されちゃったりして、余計おいしいんだよな。はは、ずるいよね、女の人は当たり前みたいにやっているのにね。
 最近、息子が大きくなってきてあんまり手がかからなくなって、ちょっと退屈なんだ。もうあんまり弱くないからさ。
 そういうのってあんまりいいものじゃないよ。ちょっと間違うと恐ろしいことになると思うよ。
 うん、間違いそうになったこと、ある。
 妻が一時期具合を悪くして働けなくなったんだよね。家のこともそんなにはできない。そのときおれがどう思ったかっていうと、もちろん心配したけど、どこかで「やった」と思った。妻は大人でおれがいなくても基本的に平気なんだ。でも具合が悪くなったら、そうじゃなくなった。
 だからおれは言ったんだ。しばらく何もしなくていいって。家のことも子どものこともおれがぜんぶやるよって。フレックス勤務をフル活用すればいける、カネだって普通に暮らしていくぶんにはおれの給料だけでいける、って。
 妻はこうこたえた。わたしはそんなこと望んでない。わたしが望んでいないことを、どうして嬉しそうに、してあげるって言うの。

 うん、ばれてた。おれが愛情からお世話してるんじゃないってこと。弱いものを自分の思い通りにするのが気持ちよくて気持ちよくて、だからやってるんだってこと。
 愛情ベースでお世話するなら妻が望んだことをするだろう。やれることはやりたいというのが妻の望みで、でもおれはそれを無視した。ぜんぶおれがやってあげて、そのうちおれがいないと何もできない人間になればいいとどこかで思ってた。そういう幻想に酔っていて、そんなのがばれないわけはない。
 おれは自分がそういう人間だと知っている。だから気をつけてる。気をつけてるけど、でもさ、やっぱり、二人目がほしかったな、子どもは大きくなっちゃうし、妻はまだ元気なんだもんな。

悪夢の進捗

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしは引っ越し魔なのだけれど、疫病下での引っ越しがなんだか億劫になって、しばらく今の家にいようと思っている。すると案の定、母親から「会いに行きます」という記載のある手紙が届いた。
 わたしはわたしの生家の人間に住所を教えていない。母親はこまめに戸籍の附票を取ってわたしの住所を確認して、それで手紙を送ってくるのである。
 わたしは引っ越ししてもしばらく住民票を動かさない。郵便物を転送して済ませる。そうすれば招かれざる客が来ないからである。客っていうか、ストーカーだけどな、体感としては。

 郵便物の転送期限が切れるのと、ほかにもいろいろ都合があって住民票を動かした。そうしたらすぐにその住所に「母の愛」とか「家族の絆」とかそういうのをしたためて「会いに行きます」と結ばれた手紙が届く。いったいどれだけの頻度で附票が取られているのだろうか。シンプルに気持ち悪い。家出してからの人生のほうが長いのに、そのあいだ三度の通告を経て無視を貫いているというのに、まったくあきらめていない。というか、わたしの自由意思とか感情とかの存在が、根本的にわかっていない。
 彼女は「善き母として生き生きと子育てをしたが、何かの行き違いで娘に誤解された」と思っている。わたしは彼女との記憶の相違について争う気はない。彼女は記憶を書き換える能力にすぐれている。まともな人格の持ち主なら、たとえまったくの誤解だとしても、「愛する娘」の生活を脅かすつきまといを二十年近く続けたりはしない。そしてそもそも、誤解ではない。
 もちろん彼女はわたしの職場にも姿をあらわす。わたしは職業柄、インターネットで所属があきらかになってしまうからである。しかし、わたしの職場のセキュリティは堅い。母親だろうが何だろうが呼ばれていない者は追い返される。電話やメールの相手もしない。同僚たちにはざっくりと事情を話して理解してもらっている。それでここ数年、彼女はわたしの自宅にターゲットを絞り、虎視眈々と来訪を狙っているのである。
 来訪して何がしたいのかは知らない。

 ものの本によると、虐待家庭出身者の中でもここまで親を明白に切り捨てるケースは稀であるようだ。でもわたしにとってそれは当然のことだった。
 わたしが個人的にラッキーだったなと思うのは、非常に若いうちから「わたしは両親と称する二名の血縁者からぜんぜん愛されていない」「わたしも彼らを愛することはない」と明白に理解できるほど酷い言動が繰りかえされたことだ。愛着があったら切り離すのがつらくてたまらないのだろうけど、なにぶんぜんぜん愛されていなかったし、その結果として(あるいはわたしの個人的な特性によって?)愛することがなかった。十代で家を出たときからわたしの人生ははじまった。それ以前の記憶は感情をともなわず、所定の様式で記入された書類のようなかたちでわたしの中におさまっている。

 生家から逃れてすぐのころにはよく悪夢を見た。姿がよく見えない巨大な悪いものが追ってきて、逃げようとするがどれだけ走っても逃げきれないという夢である。やがてそれは逃げようとするが足がうまく動かないという夢になり、逃げようとして靴がなくて探すという夢になり、長い時間をはさんで、ひとまずは逃げ出せる夢になった。
 そのあたりで、夢の頻度は大きく減った。でもゼロにはならなかった。
 最近は熊のような何かがわたしの住まいを占拠しているという夢になった。わたしはそれを自分の住居ごと焼き討ちにした(夢の中で)。そうして先週見た夢では、敵の姿は弱そうなゴブリンであり、しかし魔法のようなものに守られてわたしの家に居座っていた。そうしてわたしの親しい人たちを顎で使い、「だってあの人たちは家族じゃないでしょ」と言うのだった。殺すぞとわたしは思った。でもめんどくせえな、バルサン焚こうかな、と思った。
 我ながらわかりやすい夢である。悪夢にも進捗があるのだ。わたしの「敵」は強大な化け物から卑小なゴブリンへと弱体化している。そしてわたしはファンタジー小説を読み過ぎである。

 悪夢の進捗と疫病の流行により、わたしの引っ越し欲求はおさまった。ステイホームとはまさにこのこと、とわたしは思った。今の家はとても気に入っているから、まだ引っ越したくない。母親が来ても相手にしなければいいだけのことだ。気持ち悪いが、それだけである。

あなたブスでモテないんでしょ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしはあなたにずっと会っていない。
 オンラインで飲んでるって? あんなの会ってるとは、わたしは言わない。通話に近いと思ってる。あなたはオンライン飲みも「会ってる」にカウントするけどね。なんせアイドルのコンサートに行って「誰それに会った」って言うような人だからね。
 あなたはアイドルに会ってないですー。見ただけですー。観覧しただけですー。会うっていうのはお互いがお互いを個別に認識してコミュニケーションが成立した状態を指すんですー。アイドルはあなたなんかどうでもいいんですうー。

 あなたはオンラインで愚痴をこぼす。出会いがないという、いつもの愚痴だ。彼氏ほしいってあなたは言う。それなのにアプリでのアピールはど下手。あのさあ、自信がないない言いながら自信がないまま薄ぼんやりしたビジョンで彼氏作ろうとして何になるのよ。女を雑に扱いたい男がうようよ寄ってくるだけじゃん。バカなの? まああなたそういう話題になると自分で自分のことバカって言うもんね。
 あなたは酒に弱い。画面の向こうで勝手に酔う。そして言う。結婚なんかしなくていいよね。
 よね、ってなんだ、とわたしは思う。わたしはしなくていいけど、あなたはしたいんでしょうよ。アプリで婚活してるけどぴんとくる相手があらわれないから、「しなくていいよね」って言うんでしょ。そんでわたしが「今どき結婚なんてしなくても」って答えるのを期待してるんでしょ。そういうのほんと腹立つ。わたしは都合のいい返答が出てくる自動販売機かよ。

 「結婚なんかしなくていいよね」。そりゃそうだよ、したいときにしたい人がするもんだよ結婚って。「がんばって盛ってもしょせんブスだし」。何言ってんの、そういう卑屈な姿勢だけがあなたのブスなとこ。「年とってふたりとも独身だったら一緒に住もうね」。えー、どうしようかなー。

 わたしはあなたの自動販売機をやる。学生時代の彼氏と別れて以来彼氏できなくて、なんとなく結婚したいけどどうして結婚したいかまでは考えてなかったから会話がループして「アラサーあるあるだよね」と思考停止して「女子会」を締める、バカなあなたのために。あなたに頼られるために。
 あなたはバカだ。あなたは何もわかっていない。わたしはあなたにずっと会えていない。あなたに会うっていうのは、あなたが隣にいることで、わたしがあなたを見るだけじゃなくあなたがわたしを見ることで、あなたの皮膚がすぐそばにあることで、くそいまいましいインターネットなんか通してないあなたの声が、わたしの鼓膜を揺らすこと。
 わたしは、あなたに、会えていない。あなたは医療従事者で公務員ですごくまじめで職場のいいつけを守っているから。そしてわたしはあなたにとってそれを乗り越えるほど重要な人間ではないから。
 わたしは、あなたに、会えていない。オンラインの会話でだって、あなたはわたしの内心なんか伺っていない。あなたはただわたしをうらやむだけ。あなたはわたしをきれいと言う。あなたはわたしを「バリキャリ」と言う。細いって言う。わたしの着ているものをいちいち褒める。わたしのインスタのストーリーぜんぶ見てる。
 あなたが見ているのはわたしじゃない。あなたが見ているのはあなたの劣等感だ。昔からずっとそう。それでも目の前にいれば少しずつあなたはわたしそのものを見て、わたしの心を少しくらいは触ってくれた。でも今はそうじゃない。過労と心労とそこからの逃避としての婚活とその停滞があなたを心底弱らせているから。
 だから、わたしは、あなたに、会えていない。疫病の流行以降ずっと。
 わたしが何を言ってもあなたには届かない。お菓子みたいにかわいくて、信じられないほど努力家で、疫病禍の最前線で戦い続ける勇敢な職業人で、わたしがやらしい目で見てることにぜんぜん気づかない、あなたには。

 あなたはブスでもてないんでしょ。わたしがかわいいって言ってもあなたはそれをカウントしない。わたしのこの気持ちなんかぜったいに「モテ」にカウントしない。だから、あなたは、ずっとブスでもてない。じゃあそのままでいなさいよ。そしたらあなたはあなたの心を奪うような男と出会わない。そのためなら、わたしもこのままでいてあげる。きれいで細くておしゃれでかっこよくて物わかりがよくてあなたのことやらしい目で見ない安全な人間でいてあげる。

地球を救えなかった女

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために「なんとなく人と会う」ということがなくなった。誰かに会うなら意思をもって会わなければならない。
 そんなわけなので、私に会うことにさほど乗り気でない人と会う機会が激減した。私はどうもそれがしんどい。複数人なら会う、とか、誘われたから行こうかなとか、そういう相手と会えないのがつらいのだ。そんな相手は疫病関係なく必要ないだろうという人もあるだろうが、私には必要である。おしゃべりが好きなのだ。たまに会う人だからこそ楽しいおしゃべりだってあるのだ。自分だけが誘うことにもなんら抵抗がない。
 疫病の流行が続くこと一年数ヶ月、私はおもむろに「私と会うことに積極的でない相手」と会うことを再開した。

 そのような相手のひとりが高校時代の同級生のSである。Sは人付き合いに関してたいそうな不精で、私や共通の友人が引っ張り出さないと社交をやらない。会話の能力が低いのではない。話題の引き出しが多く、無邪気でかわいらしい人柄で、場をともにすると楽しい人物である。でも本人は人と会うのが面倒なのである。
 そのSを久しぶりに引っ張り出すことに成功した。疫病以降はじめてのことである。Sはオンラインのコミュニケーションも嫌いだから、会わないと話さない。
 なんでそこまで不精なのよと私は言った。昔はそれなりに人と話したりしていたでしょう。ひとりでアメリカに働きに行ったときだって向こうで友達を作っていたじゃない。

 Sはいくつになっても少女のような声を出す。その声で言う。だってアメリカに行ったら友達つくらなきゃ生きていけないもん。だから作ったの。職場の友達もそう。ほんとは大学くらいまでで必要な友達はできてて、それ以上はべつにいらない。あとの友達は必要だから作った。みんなしょっちゅう人と会って疲れないのかと思う。
 いや私もそんなに友達多くないけど。私がそう言うと、Sはふーんとつぶやいて私を眺めまわし、友達二桁いれば多いよと言うのだった。一桁でいいよ友達。それで年に一回ずつ会ったらもうじゅうぶん。二年に一回でもいい。ちなみに夫の単身赴任もとくにさみしくない。毎月帰ってくるけど半年に一度でいい。
 そんな生活で暇にならないのかと問えば、最近は放送大学の授業がおもしろいのだと言って、楽しそうに小難しい話をするのだった。
 そう、Sはものすごく勉強ができるのである。高校の時分には予備校の奨学生をやっていた。そして私に余った受講チケットとかをくれた。なんで予備校が授業料を取らないどころかプレゼントをくれるんだ。意味がわからない。私がそう言うと、受かるからだよ、とSは言うのだった。合格数が予備校の実績になるから、受かる人間は囲いこんでおくんだよ。
 そんなだからSは高校生の段階で三カ国語を話した(のち五カ国語まで増えた。なお、高校から一貫して理系である)。私は彼女の流暢な英語をうらやみ、いいなあ、私、英語できなくてさあ、と言った。するとSは実にかわいらしいようすでこう言った。サヤカが英語しゃべれないのは勉強してないからじゃん。
 おお、そのとおりだ、と思った。そのとおりだが、言うか、それを。高校の教室で机に突っ伏して笑っている私の横で、彼女は「箸が転んでもおかしいとはまさにこのこと」などと言っていた。私はそれでいっぺんに彼女を好きになったのである。

 Sは「科学の力で地球を救う」と宣言して進学し、さっさと博士号を取り、「地球、どうも救えないっぽい」と言いながらしばらくアメリカの研究所で働いていたが、やがて帰国して不動産の運用で生計を立てはじめた。地球を救えないし満足なポジションを得る見通しが立たないので拗ねたのだそうである。後者はまあわかるけど、地球を救えないからといって拗ねるのはどうなのか。拗ねのスケールがでかすぎやしないか。
 それ以来ずっと拗ねてひきこもっているというのが本人の弁だが、疫病が世に広がった今、そのライフスタイルはある意味で正しかったのかもわからない。Sはもともと体が強いほうではない。二十代には死をも覚悟するたぐいの病気になったし、今でも定期的に検査を受けている。
 私はいまだに、Sがそのうち世界を救うんじゃないかと思っている。だって、あまりに頭のつくりがすごくて、ほとんどマンガみたいなんだもん。私がそう言うと、Sはやっぱりかわいい声で「そんなわけないじゃん」と言うのだった。

不安に耐えることができない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。企業の対応はさまざまだったが、時が経つにつれて社員から見捨てられる会社が出始めた。
 わたしの友人も所属している会社を見捨てた。その会社は、経営層の「不安に耐えられない性質」によってその身をほろぼしかけているのだそうである。

 彼女は小さいながらも評判の老舗企業につとめている。はたからは「業界外の人間も知っているブランド企業で専門職として働き、若くして活躍している」というふうに見えた。そんな彼女が、疫病下でずいぶんひどい目に遭ったという。
 彼女は言う。給与はもともと良くないんですよ。業界の水準から見たらあきらかに低い。でもまあがまんできないほどではないし、この仕事が好きだし、新卒で入って数年なのだから、と思っていました。
 うん、まあ、そんなふうに言ってもらうほどじゃないけど。でもたしかにレア職種ではあるから、同業他社の転職がいつでもできるということはなくてね。一生同じ会社にいるんじゃないにしても、しばらくはがんばるつもりでいたの。でもこの疫病禍で完全に無理になった。ものには限度がある。仕事相手のみなさんには申し訳ないけど、わたしの心はもうあの会社にはない。

 えっと、具体的に?
 そうね、まず、残業代が出なくなりました。ご存知のとおり休日出勤はざらです。ええ、もちろん、それは、そのまま。おっそろしいほど収入が減りました。
 リモートは一時期取り入れられたけど、「仕事をしている姿が見えないから」という理由でなしくずしにゼロになった。業務上の外出をすることもなくなったから、以前みたいな出退勤の融通もきかない。うん、つまり、役員以外の全社員が全日出勤してるの。常時全員がいることを前提としてないオフィスに、四六時中、全員。
 感染症対策ですか。入り口にアルコールスプレーのボトルがあって、今そのボトルが空っぽのままって言ったらわかる? いやマジで。冗談じゃなくて。
 そして、備品が壊れると、もう支給されない。具体的にはわたし、私物のパソコンを持って出社していたの。笑っちゃうよね。

 わたしはびっくりして、辞めな辞めなと言った。やめちまえそんなとこ。
 辞めますよと彼女は言った。自分でもえらいなーって思うんだけど、ちゃんと次を見つけました。うん、がんばった。運良く決まりました。もう少し落ち着いたら転職祝いなどひとつよろしくね。いや冗談だけど。え、そう? じゃあ落ち着いたらご馳走してください。えへへ。

 売り上げが下がって会社がおかしくなったんだろうって? まあそう思うよね。
 うん、違うんです。聞いてくださいよ。売り上げは下がってないの。むしろちょっと上がってたの。でも彼らは先の見えない社会状況の中、不安で不安でしかたなくて、内部留保を闇雲に増やしたくなったんです。持っている資産をぜったいに減らすまいとした。それで社員がどんどん辞めているんです。
 えっとね、世の中には、不安になると理屈が通じなくなる人がいるの。見たことあるでしょ。不安の原因の解決より不安の解消を優先する人。それで原因は温存しちゃったりする。
 個人として「不安で理屈が通じません」をやるぶんには、まあかまわないんだけど、法人でやっちゃうと、社員が巻き込まれる。小規模のワンマン経営のところなんかがね。まあ弊社なんですけどね。
 うん、不安なら理屈でものを考えて解決するという姿勢は、正しい。でもそういう性質がないんです、弊社のトップには。不安だから内部留保を少しでも増やしたい。不安だから社員みんなに出社してきてほしい。不安だから会議をしたい。不安だから社員には何でも逐一報告してほしい。
 感染症対策をろくにしないのはなんでかっていうとね、対策を無限に要求されて困っている会社があるし社員が自分でするのが当然だから、だそうです。はは。

 理屈じゃない。反射で動いてる。虫です。メカニズムが。

 平時は虫ではなかった。いや、もしかすると虫だったかもしれないな。この職種は個々の社員の裁量がすごく大きいじゃないですか。それから先代のトップの時代からの実績で関係者から信頼があったから、トップの判断力がなくても、慣習で動いていても、成り立っていたのかもしれない。
 でも非常時にはそうはいかない。さっき「個人なら好きにしたらいいけど」って言ったけど、結局のところ、不安に耐えられない性質の人はやっていけなくなるような気もするな。だってきっとまだまだしばらく、不安なままだもの。