傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

偽物の期限

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕が恋人でない女と暮らしはじめたのはそのせいである。

 僕には去年の年末までつきあっていた人がいた。美しい人だった。意思が強く計画的で、人生に求めるものが明確な女性だった。彼女は十代のころから、堅実に働きしっかりとした家庭を持つと決めていた。資格の取れる大学に行き景気に左右されない職に就いて、楽しいだとかおもしろいだとか、そういうことは抜きにして、彼女の思う正しさをそなえた仕事をしはじめた。僕と彼女が出会ったのはそのころのことだ。
 僕もまた堅実な人生を歩んでいた。だから彼女は僕を選んだ。僕も彼女のような人と家庭を持ちたいと思った。でも僕は彼女ほどに意思が強くなく、堅実な路線で生きてきたのはただ単に「そういうものだ」と思っていたからだ。学生時代の終わりからじわじわと「自分はそういうタイプではないのかもしれない」と思っていたけれど、いよいよ安全より刺激が欲しいのだと気づいて、二十代の終わりに転職した。
 彼女はそれを許さなかった。給与が落ち、勤務先が定年まで順調であるかわからず、なにより繁忙期にワークライフバランスを保てない。他人ならいい、と彼女は言った。でも結婚はできない。そして結婚したくない相手とはわたしはつきあわない。
 彼女は意思が強いので、別れ話でも泣かなかった。帰り際に目を赤くして、こういうときに泣くのはいやだったと言った。気丈だけれど、化け物みたいに強いのではなかった。美しい人だった。

 僕はもはやなにが正しいのかわからなかったので、正しくない女とねんごろになった。趣味の写真のワークショップに出かけて、その主催者の写真家といい感じになったのだ。写真家は若くして小規模なブレイクを経験してそれなりに実入りがあるけれど、先のことはぜんぜんわからないのだそうだ。写真家は将来についてまったく気にしておらず、死ななきゃいいのよと言ってへらへら笑っていた。楽しいことして、そうして死ななきゃいいのよ。え? 結婚? そういうの向いてないんだよねえ。
 写真家の部屋は広くて居心地がよかった。僕はそこに入り浸り、やがて間借りを申し出た。簡素で洗練された趣味の、ものの少ない部屋で、そこにいると僕はひどく心が安らぐのだった。写真家はものごとに執着がなく、使わなくなったものはなんでも捨ててしまう。だから部屋がきれいなのだが、過去の作品のデータの入ったHDDなんかも無造作に捨てるので、僕はそれを拾ってとっておいた。
 ふたりとも食い道楽で料理ができるので、食生活が充実するのもよかった。僕の別れた恋人が眉をひそめるような贅沢なレストラン、野放図な食材の買い出し、笑っちゃうほど切れる高価な包丁。

 疫病が流行して写真家の仕事はほとんどなくなった。写真家は泰然として毎日決まった場所で売れもしない写真を撮影していた。なぜと聞くとそういう映画があるんだと、突拍子もない理由を述べるのだった。こういうとき、画家はスケッチをして、小説家は短編を書いて、そして写真家は決まった場所で撮影をするの。そういうものなの。当座の生活費は頼まれ仕事で稼いでるからその点は心配いらない。自分ひとりが今日食えりゃいいのよ、わたしは。

 写真家が出かけて僕はぼんやりと部屋を見渡す。二人前にはやや狭く一人前には広い間取り。写真家の自我が欲したのであろう余白。その余白に間借りして間借り賃と自分の分の生活費を払っている僕。
 写真家とは疫病の流行以来一緒に暮らしているけれど、恋人ではない。そういう話をしたことはない。僕の恋人はあの正しく美しい人だけだった。そう思う。写真家の顔は整っているが、美しいと思ったことは一度もなかった。僕は写真家その人より、その住まいのほうを好きだったのかもしれなかった。一緒に料理をして、掃除を分担して、まるで家庭のようだけれど、ここは家庭ではない。僕が欲しかった家庭ではない。疫病の流行以来、誰かと暮らしたくなった人が多いと聞く。僕もそうだった。僕は寂しかった。恋人にふられて寂しかった。だからこの家に来たのだ。

 疫病の流行が終わったら僕はここを出て行くのだろうと思う。仮住まいの期限がやってくるのだろうと思う。そうなっても写真家はひとつも泣きやしないだろうと思う。目のひとつも赤くなんかしないだろうと思う。本物の家庭が欲しいのだと僕が告げれば、そうかそうかと言って、楽しかったよと手を振るのだろうと思う。絶対に僕の妻にならない、正しくない女。僕の恋人ではない女。

顔面偏差値の追放

 またあの子も一緒に三人で食事でもしようよ。私がそのようなメッセージを送ると、友人は半日おいて返信をくれた。マキノと二人ならいい。彼女は、悪い人ではないのだろうけれど、わたしは、しばらく一緒に食事をしたくない。

 友人はそこで通話に切り替える。私は通話に出る。友人は延々と話す。

 彼女は楽しい人だとわたしも思う。ときどきおしゃべりをしたいと思う。でも今はいやだ。なぜかっていうと、あの人、わたしの写真を撮るの。あの人とわたしの写真でもなく、マキノとわたしと三人での写真でもなく、わたしだけ写ってるやつを。気がついてた? 

 わたしは撮影されることをそれほど好まない。誰かと一緒に撮る記念写真のようなものは拒まない。SNSに載せるのは勘弁してほしい。でもそんなに神経質に拒んだりはしない。ふだんはね。でも彼女に撮影されるのはいやだ。だって彼女、どうしてわたしを撮るのかって訊いたら、「偏差値の高い顔面が好きだから」と言ったのよ。

 わたしの顔は人気がある。それはわかってる。とくに女性たちに人気がある。それは知ってる。わたしは、顔を好かれるのも嫌いじゃない。顔はわたしの一部だから、好かれたらそりゃうれしい。褒められるのもうれしい。普通はね。でも「偏差値が高い」は、ない。率直に言って、失礼だと思う。

 株の売買かよって思う。株式なら、人気投票だから、「偏差値が高い」のを買ったらいいんだ。人気が上がりそうなのを買ったらいいんだ。でも友だちづきあいでそれはない。完全にない。「あなた人気がありそうだから好き」って、どういうこと? しかもその人気の対象が顔面。一対一の人間関係で持ち出していい基準じゃないでしょ。少なくとも面と向かって本人に言うことじゃないでしょ。

 そもそも「顔面偏差値」っていう言葉がわたしは嫌い。下品だから。個人の美的感覚を人気投票や権威づけで決めるなんて、感受性と思考の停止でしょ。美をなんだと思っているのか。美に偏差値なんかあってたまるか。まして生きている人間の顔の美に。あのね、マキノ、あんたはちょっと怒りな。マキノとわたしが並んでる図柄で写真撮るとき、彼女、マキノだけフレームアウトさせてるんだから。たぶん、マキノの顔の偏差値が高くないっていう理由で。

 

 彼女はそのように話した。そうして勢いよく鼻から息を吐いた。スマートフォン越しにもわかる派手な鼻息だった。そうさねえ、と私は言った。美人もたいへんだねえと言った。それから説明した。

 私は彼女の面食いを知っていましたよ。面食いの中でも、この系統が好き、みたいなのじゃなくて、誰もが認めそうな造作を好むタイプだよね。要は、容姿に関して権威づけを必要とするんだよ。面と向かって「みんなから高く評価されていそうだから好き」って言われたら、まあ嫌な気持ちするだろうけどさ、彼女がそんなにも人から評価されやすい容姿にこだわる背景についても考えたらいいと、私は思うんだよ。

 私は、人の顔あんまり覚えられないから、容姿にこだわる人のことがよくわからない。たかが容姿で、とか思う。でもそれは私の目が悪くて、画像をろくに覚えられなくて、自分の容姿についても「おお可愛い可愛い」としか思っていないからだよ。他人もだいたい可愛いと思う。つきあってきた男の人の容姿に統一性がないって言われる。アイドルグループのメンバーの見分けがつかない。おおむね同じに見える。人間の容貌に関する認識が全体に雑なんだ。でも、容姿にこだわる何らかの経験があって、容姿に関する他人からの評価にこだわっちゃう人も、この世にはいるわけよ。

 そういうのって構造的に多く女性に課されてきた問題でしょ。やたら容姿をジャッジされて、いいの悪いの言われてさ、牛の品評会みたいに。私はそういうの嫌いだから、「けっ」としか思わなかったけど、親や世間の言うことをよく聞くいい子だったら、その評価基準を敏感に取り入れてしまうはずだよ。そして大人になってから、評価をする側に回りたくなるのだと思うよ。なぜなら評価をする側とされる側なら、する側のほうが権力を持っているように見えるからだよ。

 だから私は、ジャッジしないという選択肢を、ジャッジしたい彼女に示すの。私にとっては、顔面に偏差値をつけられて、横にいる友だちより低いって宣言されても、どうってこと、ないからさあ。偏差値がない世界について、彼女に知ってほしいんだ。だって彼女はとてもいい人だもの。かしこくて楽しい人だもの。

都心のスケッチ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの自宅である麻布十番近辺の人通りはおそろしく減った。それから少し戻り、また落ち着いた。ここは繁華街とも住宅街とも言い切れず、古くからある町工場も残っていて、どうにも「こういうエリアです」と言い切れない。都心ではあり、しかし交通の便がよいとはいえない。そうして典型的な夜の街である六本木から徒歩圏内である。六本木にたむろする連中は徒歩でなんか来やしないが。

 わたしの自宅は施設に引っこんだ祖母から借りているもので、古いが手入れは行き届いている。というかわたしが維持のための手入れや事務作業をしている。家賃は身内価格で十万円、管理費として二万円が割引かれ、わたしの支払いは月八万円である。
 わたしが子どもの時分、十番は陸の孤島で、母に連れられて祖母の家に遊びに行くときには都バスを使っていた。移動距離は一桁キロなのに、「おばあちゃんちはちょっと遠い」と思っていた。
 祖母の私室には書棚と文机があるきりで、押入れの中が完璧にオーガナイズされていた。ものが置かれていない畳はいつもかたく絞った雑巾をかけられていて裸足に心地よかった。畳のお部屋はそういうふうにしつらえておくものなの、と祖母は言っていた。わたしはもう腰がきついからワイパー使ってるけどね。いいわよあれは。あれに薄い雑巾をつけたら、そりゃあ具合がいいものよ。
 祖父母宅はわたしが生まれる前に全面改築してバスルームも整備されていたのに、祖母は施設に入る直前まで区の小さいバスに乗って銭湯に通っていた。近ごろは浜松町まで行かないとちゃんとした銭湯がないのよ、と祖母はぼやいた。困ったものだわね。お風呂がせせこましいなんて嫌だわ、わたし。

 そんなわけでわたしは現在ひとり住まいである。勤務先は頑張れば徒歩圏内、疫病以降は出社と在宅が半々で、だから運動不足だ。在宅勤務は個人的に嫌いではないが、歩く距離が減る。
 それで近所を走る。マスクをつけても窒息しない程度の速度でぽくぽくと走る。暑くなってからは夜が多い。かつては人通りが多くて場所を選ばないと快適なジョギングはできなかった。今は表通りをすいすいと走ることができる。

 近所を走る。往時に比べてたいそう少ない酔っぱらいたちとすれちがう。自分だけは疫病にかからないと思いこんでいるのか、ひとにうつしても構わないと決めこんでいるのか、「感染症対策として怪しい薄手の布マスクをつけるより、つけない方を選ぶ」というポリシーを持っているのか(今やサージカルマスクも手に入りはするのだが)、あるいはなにも考えていないのか、感染症対策として適切な距離を保てない場所でもマスクなしの人が散見される。
 馴染みのレストランをはじめとする近所の飲食店は意外と潰れていない。飲食店が来客を入れることができなかった期間にテイクアウトなどでささやかに応援していた身としては嬉しい。今は規制が緩んでいる時期だが、それでも営業は二十二時まで、店によっては二十時で閉める。週末にコースを予約して行って二十時で帰るなんてギャグみたいだと思う。
 馴染みのレストランの、「ここはフォーマルでない店だから」という矜恃でもって美しいカジュアルを崩さないソムリエールが「じつに無粋ですが」と言いながらグラスをふたつ並べ、「終わりまでのお料理に合わせて選んだものです」とうつむいて微笑んだ、その眼窩と鼻筋のかげりを思い出す。

 帰宅してシャワーを浴びる。金曜日だから少し夜更かしをしたいように思う。六本木方面に少し歩いて、「闇営業」をしているバーへ行く。法的に規制されているのではないから二十二時以降にやっていたって「闇」ではないのだが、従業員が看板を下ろして顔見知りだけ入れているのだから闇っぽさが高い。
 近ごろは良いウイスキーがやたらと安い。カウンターの向こうを睨めつけて一杯頼む。隣にいるのはいかにもこの土地に来そうな、札束で磨かれたごとき男女である。家賃二十万くらいに下げたいな、と隣席の女が言う。そうそう、とわたしは思う。こういう、出どころのわからないカネを持ってそれをばんばん落としてくれる人々のおかげでこの(旧)陸の孤島は潤ってきたのである。家賃八万円のせせこましい勤め人だけでは、行きつけのレストランだって値段を上げなければ経営が成り立たないだろうし、そうしたらわたしは行けないだろう。

 自宅に戻る。静かである。この静けさはいかにも住宅街である。近所の豪邸の庭で虫が鳴く。虫たちが秋を呼んだところで、世界は元に戻らない。 

疫病と様式

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。夫は出勤せざるをえないが、わたしはリモートワークが主になった。子どもが生まれてすぐから頼りにしている近隣に住む母を呼ぶことはためらわれた。疫病は高齢者において重症化しやすいとわかっていたからである。
 わたしは努力した。わたしはキャリアの上でも重要な局面を迎えていた。そのタイミングで疫病の時を迎えたので、足元を見るかのように「ITに弱い人たちのサポート」という名のしりぬぐいがたっぷりやってきた。わたしはあまり眠らなかった。眠らなくても平気なような気がした。そうしてわたしは布きればかりを70万円ぶん買った。

 買いすぎているという自覚はあった。だって服なんてそんなにたくさんは要らないからだ。一点一点に執着しないから買ったぶんだけ捨てる。だから収納があふれることもない。しかし収納はそもそも非常に大きいのだ。夫が着るものにさほど頓着しない上に、子どももまだ小さいから。

 買い物は好きだ。ファッションも好きだ。覚えているかぎり思春期からずっとそうだ。中年期には体型が変わるし、変わった体型なりに運動をしたりして引き締めて、それでまた変わる。だから着るものの更新が必要だったことも事実だ。

 それにしても数か月で70万円は、ない。わたしは可処分所得の中でかなりの部分をファッションに費やしてきたが、「可処分所得の中で妥当な金額」の範囲でしかなかった。数か月で70万円は、ない。ぜったいにない。そういう富裕な人間ではない。何かがおかしい。
 同世代の気の置けない同僚にこのことを話すことにした。給与水準が同じだからである。それから同僚は基本的に他人にそれほど強い関心がなくて、個人的な話をしたところで誰かに言いふらすことはほぼないからである。なんなら話した晩のうちにその内容を忘れる。良くも悪くも、そういう女である。

 液晶画面の向こうで同僚はあははと笑って、そりゃあずいぶんと張り込みましたねえと言う。高いもの買っちゃうときって、ありますよねえ、私はだいたい航空券にぶっこみますけどねえ、おしゃれな人ならそれが服飾品ということも、あるでしょうねえ、何いっちゃいましたか、ファインジュエリーですか、ハイブランドの鞄ですか、両方かしら。

 同僚は勘違いしている。わたしはこのところバッグを買っていない。アクセサリーはガラス玉でかまわないタイプだ。靴や下着は勘定に入れていない。申告した金額は街着だけの価格だ。今や着ていく場所もない、布きれだ。わたしは夜間にどれだけ働こうと、たまった家事に追われていようと、睡眠不足なのに目が冴えて眠れなかろうと、決まった時間に起きて、毎日ちがう布きれを着る。そうしてしっかりと化粧をする。

 そのように説明すると同僚の顔はすっとまじめになり、少し黙って、お洋服を買うのは、決まったお店ですか、と訊く。同僚の言いたいことはわかっている。買い物をしすぎる人のうち、一定数は買うものより店舗の人々との関係のために買い物をする。
 わたしはそのようではなかった。感染リスクを鑑みて店舗に行くことを控えている。出かける暇もない。わたしのサイズに合うとわかっているものばかりをインターネット経由で買う。ドライヤーで髪を乾かしながら買ったことさえあった。

 同僚が口をひらく。通信が少し遅延する。通信でなく同僚が遅延したのかもしれない。今となってはその区別はつかない。同僚はコマ送りで口をひらく。やけにあざやかな、電話よりも立体的な声で、言う。それは正しい消費です。浪費ではない。

 あのね、私にはわからないことだけれど、完全に想像なんだけど、それは疫病の時の前から続く儀式が膨れ上がったものなんです。「新しい生活様式」とやらが政府から喧伝されているでしょう。勝手なことだ。ひどいことだ。様式は時間をかけて開発されるべきものです。為政者が簡単に「変えろ」と言っていいものではない。ひどく野蛮な物言いですよ、「新しい生活様式」!

 だから私はぜんぶ取り替えました。ええ、このご時世にあって、引っ越しなんかしてやりましたよ。そうして犬を飼いました。ええ、不要不急です。見ますか? よしよし、ごあいさつなさい。うふふ、かわいいでしょう。不要不急ちゃんです。嘘です。名前はちゃんとつけた。

 ねえ、様式を奪うなんて、それを指定するなんて、ひどいことですよ。だからこうなる前の服をたくさん買うなんて、したらいいんですよ。破産するほど買っているのでないんだから。買い物なんて、そりゃあもう、罪のない抵抗ですよ。

ぐれてやる、息子とふたりで

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。学校は不要で不急だったらしい。ふーん。知らなかった。そんなわけで親業の内容はふくれあがった。授業なし、給食なし、子ども同士の遊びなし。親御さんがどうにかしてあげてくださいね。

 わたしはもとより「母親らしさ」みたいなものに興味がない。夫の親戚の集まりで「やっぱり母性本能がある」などと言われて鼻で笑い、帰宅後に夫から真顔で「あんなところに呼んでごめんね」と言われた女である。手料理なんかもともとたいして好きではない。だから徹底的に手間を省くことにした。

 家の大人二名は仕事をしている。半ば在宅になったとはいえ、業務量は変わっていない。だったらこの上昼食の支度なんかしてたまるかと思った。業務用冷凍食品を多用し、息子には「昼食は自分でやっていいよ。納豆ごはんとか。納豆のタレ以外もいろいろ試して感想聞かせてほしいな、そういうの研究っていうんだよ、結果が楽しみだなあ」と指示した。夫には、しばらく貯金なんかできなくてもいいし部屋が多少きたなくてもいいから楽をしようと提案した。母性本能? けっ。なんという非科学的な信仰。

 わたしに「母性」なんてものはない。あるのは「同じ家に住んでいる子ども(息子)の健康状態をそこそこ良好に保てる環境を用意し、同じ家に住んでいる大人(夫)と助け合って暮らしたい」という気持ちだけだ。そのためには第一にわたしが過労に陥らず、機嫌よく暮らし、家計の半分をになう稼ぎを維持できなければならない。この家の残りのメンバー二名はわたしのことが好きなので、わたしが病気にでもなったらとても悲しむだろう。そんなのはかわいそうである。だからわたしはわたしに楽をさせなければならない。マンションのローンは割り勘だけど名義人はわたしなのだし。

 だからわたしは冷凍餃子を焼く。だからわたしは夫の料理をおいしく食べる(夫の料理は野菜をたくさん使っているし丁寧だから好きだ)。だからわたしは生協の宅配を使う。だからわたしは乾いた洗濯物をたたまずにソファの隅に山にしておいてそこから取って使う。洗濯物は干さない。ふだんは晴れたら外に干していたが、子どもが家にいるようになってからは電気代など気にせず乾燥機を使いまくっている。節約? 知るか。そんなものよりわたしの機嫌と夫の睡眠時間のほうがよほど大切である(わたしの睡眠時間はもともと短めである)。掃除もめんどくさいからロボット型掃除機を買った。今は二万とかで買えるのだ。ルンバもどきである。そいつのボタンを足で押す。掃除、以上。拭き掃除? ああ、世の中にはそんなものもあったな。

 自分の体形とかもこのさいわりとどうでもいいので、腹が立ったら夜中にポテトチップスを一気食いしている。そのときは息子も夜中にお菓子を食べていいことにしている。だから息子はわたしの職場のトラブルをちょっと楽しみにしている。仕事でいやなことがあると、ぐれてやる、とわたしは言う。そして息子とコンビニに行く。夫はそれを「不良たちの夜」と呼んでいる。

 友人にそのような話をすると、友人は画面の向こうで笑い、それから眉をくもらせ、でも、と言う。でもルンバとか買うのは罪悪感があって。料理もやっぱりしてあげないとって。

 罪悪感、とわたしは言う。罪悪ということは断罪する人がいるんだよね。誰それ。あるいは断罪する基準があるんだよね。法律みたいな。あるいは宗教みたいな。ルンバかっちゃいけない法とか手料理しなきゃいけない法典とかあるの?

 わたしが夜中にポテトチップスを食べることを「ぐれる」と呼ぶのは「健康と見た目によくない」と思っているからだ。健康とか見た目とかを一時的にぶん投げるのは楽しい。わたしはそれを「ぐれる」と呼ぶ。あなたもぐれたらいいのにと、わたしは友人に言う。わたしはルンバ的な掃除機を使うことにも冷凍食品を多用することにも罪悪感なんかないけど、あるなら捨てたら? つまり、ぐれたら? 非常事態なんだから。

 友人は笑う。そして言う。そんなことできるはずがないでしょう。夜中のポテトチップスとはわけがちがうのよ。いいえ、夜中のポテトチップスを「母親が手料理を作らない」くらい悪いと思っている人もいるかもしれないけど、まあとにかく、わたしにはできないの。

 そう、とわたしは言う。じゃあ夜中のポテトチップスだけでもやってみたらどうかな。楽しいよ。それか納豆ごはんにいろんなものをかけてみるとか。息子は最近マヨネーズをかけているよ。

うしなわれた毛づくろいを求めて

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの仕事ではときどき要で急とみなされる業務内容があるらしく(それを判定するのは上司というより「空気」であり、とらえどころがなさすぎて、わたしには「気分」と区別がつかない)、週に二度ばかり出社している。

 社屋の中で人とすれちがう。すでに身に着いた動作で距離をとる。目だけを合わせる。わたしは目だけでほほえんでいることを伝えることができるようになった。近隣の部署には会釈がとてもうまい人(今日はテンションが高いな、今日は疲れているみたい、くらいのことがわかる)、ハンドサインであいさつをする人などがいる。わたしたちの口元がマスクでおおわれて久しい。表情がわからないと人間は不安になるので、それぞれが代替となる表現方法を身に着けているのだと思う。新しい「表情」を会得していない人はなんとなし温度が低く見える。動いているのに景色に埋め込まれているように見える。

 同僚がわたしのデスクに近づいてきた。ゆっくりと近づき、「適切な距離」を置いて立ち止まった。他人に声を出させる回数は少ないほうがいいので、「適切な距離」で止まった相手はわたしに用事があると察するようになった。近ごろはそうした相手の姿が視界の隅に入っただけで気づく。わたしがそっと立ち上がってからだの向きを変えると、同僚はしぐさだけで「お邪魔します」というような意味内容を表明した。

 同僚の用事は明後日の会議の根回しだった。必要十分な声で、同僚は話した。はい、そういうわけで原案に強い反発は予測されないのですが、できれば補助的な説明をしていただけると安心だなと、こういう次第です。

 わたしはうなずく。わたしのうなずきの種類は疫病以降飛躍的にこまかくなった。「聞いていますよ」「ふむ」「なるほど」「わかります」「賛成です」「実にまったくそのとおりだ」などなど。この同僚は眉の動かしかたがうまい。そのテクニカルな眉によって言葉数を疫病前の半数程度に削減しているのではないかと思う。

 同僚が自席に戻るとわたしはマスクを少し持ち上げて息を吸った。気分がよかったのだ。会議の根回しなんてほんとうに久しぶりだった。そんなものが禁じられる世界になるなんて誰が思っていただろう。

 根回しがうれしかったのではない。何がそんなにうれしかったのかと、自分で不審に思う。相手が好きな人とかだったらともかく、良くも悪くも普通の同僚だというのに。わたしは同僚との会話を頭の中でリピートする。たいした内容ではないと思う。重要なことではないし、感情をやりとりしているというのでもない。

 わたしを喜ばせたのは同僚その人ではなく、会話の内容でもない。わたしは他人と他愛ない話をすることに、きっと飢えていた。発話が制限される世界では、伝える意味のあること、重要なことが優先される。意味のないことや些末なことは優先順位の下のほうでひっそりと待つ。順番なんかきっと来ないのに。

 疫病前にこんなにも意味のある会話ばかりしていたことがあるだろうか。いや、ない。わたしは無駄な会話をたくさんしていた。意味のない会話をしていた。あいさつなんてその最たるものだ。ようやく梅雨があけましたね、とか。

 そういうものがわたしを安心させていたのだと思う。敵意のないこと、少なくともことばが通じることを始終示されて、それでようよう、この複雑な社会を生きてきたのだろうと思う。相手がそこにいることを認めるための意味のないことばを交わすこと。内容のないしるしを交換するようなこと。毛づくろい的なコミュニケーション。

 それは戻ってこない、とわたしは思う。少なくとも年単位で戻ってこない。もしかするとずっと戻ってこないのかもしれない。そんなぜいたくは同居している家族にだけしかできなくなるのかもしれない。

 電車に乗る。電車の中で突然誰かが話しはじめる。そういう症状の持ち主なのかもわからないと思う。彼のまわりから人が引き、そのぶん人と人とのあいだが詰まった。誰も誰とも目を合わせなかった。わたしも合わせなかった。かなしかった。声をかけたかった。人と間隔を詰めざるをえないとき、失礼、と声をかける、そういう者のままでありたかった。わたしはさみしかった。もうすぐ家に着くのに、家に着いたら家族がいるのに、わたしは彼らと仲がよくてたくさん話すことができるのに、それでもとても、さみしかった。

 

わたしのかわいい放浪

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、不要不急の代表格である旅行が好きな人間はだいぶ弱ってきた。わたしもそのひとりである。

 わたしが思うに旅行好きには二種類あって、きちんとしたレジャーとして旅行したい人と、遠くへ行ってふらふらすること自体をやりたくてしかたない人がある。後者は要するに放浪癖のある連中である。移動していればそれだけで薄ぼんやりと嬉しく、なんとなし元気になる。

 わたしもそのひとりだ。三日も休みがあれば、「あれやりたい、とくになにもないと言われる地方都市で駅からスタートしてひたすら地名を読んだり方言を聞いたりするやつ」と思い、それより多くの休みがあれば、「あれやりたい、東南アジアでぺろぺろのTシャツにサンダルで歩き回って屋台で名前のわからない麺をすすったりするやつ」と思う。ストレスがたまると「パリに移住して美術館の掃除をする係になる」とか「ニュージーランドで羊飼いに弟子入りする」とか「スコットランドの島で醸造所をいとなむ老人と意気投合して跡を継ぎ、ウイスキー作りに後半生をささげる」とか言い出す。負荷がかかったときの妄想がぜんぶ「遠くへ行く」なのである。

 そんな人間が疫病下における移動の制限にダメージを受けないはずがなく、わたしも旅好きの仲間たちもどんどん弱った。少しだけ移動の制限が緩和された時期があったので、それぞれが勇んで近場に行った。過去には旅行とカウントしなかったほどささやかな移動であったのに、わたしたちはおおいに喜んだ。わたしのスマートフォンには、「息がしやすくなりました」「どうしても取れなかった肩こりが治った」「眼精疲労が回復した」「道行く人々がみな頼もしく美しく見える」などといった、あやしげな健康食品の宣伝文句みたいなメッセージが次々に届いた。

 しかしわたしたちはふたたび、県境を越える移動を禁じられた。禁じるのは政府や自治体だけではない。人々が相互に監視をし、圧力をかけあっている。疫病はもはや「外から来る連中が持ち込むケガレ」である。うすうす気づいていたのだけれど、この事態はきっと何年も、どうかすると十年単位でおさまらない。わたしたちは長いあいだ、居住地に縛られて生きていくしかない。

 つまり、わたしたちはわたしたちの放浪癖をなだめる手段をもはや持たないのだ。数日の休みが決まった瞬間に航空券を押さえて「そんなところに何をしに行くの」と言われるような旅行をすることはこの先もうないのだ。世界はすっかり変わってしまったのだ。元になんか戻らないのだ。そしてわたしは世界の一部であって、だからわたし自身も元には戻れない。

 頭の中は自由だと、わたしは思っていた。しかし、空想上の放浪のイメージさえしだいに貧弱になり、解像度がどんどん下がっている。わたしは愕然とした。わたしの空想が貧しくなったことがかつてあっただろうか。空想はいつもわたしの味方で、つらいときにはよりいっそう鮮やかにわたしを包み込んでいたというのに。

 わたしはメモを手にとって考える。旅行・旅・放浪のメタファーになりうる行為を列記する。直接手に入らなくなったものにはメタファーを通してアクセスするよりほかにない。わたしはわたしの放浪をあきらめるつもりはない。かつて「そんなところに何をしに行くの。意味ないでしょ」と言われたとき、わたしは気取ってこうこたえた。「わたしのかわいい休暇は百パーセントわたしのものです。だから意味があるかどうかはわたしが決めます」。

 わたしはわたしの持って生まれたものをだいたい愛している。そのほうが生きるのが楽ちんだからである。自分の外見をだいたい好きだし、自分のことをいいやつだと思っている。放浪癖についても、だから手放すつもりはない。わたしはわたしの顔をかわいいと思うし、わたしの放浪癖だってかわいいと思っているのだ。

 そうしてわたしは文章を書きはじめた。読書はもともとするし、あれがいちばん旅に近い。でもそれだけではだめだ。わたしはもっと遠くへ行きたい。わたしのたましいを遠くにやるのは、画像や映像ではないようだった。また、書くにしてもあることをそのまま書いても、遠くには行けない感じがした。そんなわけでわたしはフィクションを書くことにした。いろいろ試してみたところ、フィクションを書いているときの感覚がもっとも旅をしているときの感覚に近いからである。