傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

バーベナ・オブセッション

  わたしたちは会場を出て更衣室に向かう。わたしは周囲を見渡す。彼女とわたしの間に入ってきそうな人がいないことを確認する。わたしはおしゃべりをキープする。わたしは自分のてのひらをスカートの生地で拭く。わたしは彼女の肩に手をのばす。ちょうどいい速度で、ちょうどいい顔をつくりながら。まじで。そう言って、彼女の肩を軽く押す。きちんとダイエットしているわたしの肩のようではない、ちょっとゆるんだ感触。彼女は笑っている。わたしは寄せ植えに目を遣る。花は美女桜の多色混合だった。わたしは植物にもくわしい。

 彼女の視線がわたしの顔から腰まで移動する。彼女はたぶんわたしの名前をはっきりと覚えていない。ーー現実的な観測として。でもなんとなくは覚えていると思う。口を利くのは二度目だから。わたしの学校の名前を聞いて、すごいねって彼女、言ってたもん。まあだいたいそう言われるんだけど、ていうか国内にわたしの大学より「すごい」ところはないから、ぜんぜん、慣用句なんだけど。

 彼女はそんなに頭の良いタイプじゃないとわたしにはわかっていた。そんなにばかじゃないけど、ていうか、ぜんぜん、ばかじゃないけど、わたしから見たら教養が不足していて、計算が遅くて、美意識が凡庸。女子更衣室で見たんだけど、私服がちょっとださい。

 三日間のイベントのあいだアルバイトに貸与される制服は今ふうのユニセックス。フレンチサイズ、選択肢はふたつだけ。男は40と42、女は36と38。いやみなくらい肌の露出のない、モノクロームのパンツスーツ。女たちのなかにはウエストを安全ピンで詰めてみせる者もいる。ある種の若い女たちにとってはスキニーが最高の価値なのだ。わたしは、そうは思わないけど。

 英語が話せて気が利いて見栄えのするバイトを集めなくちゃいけないんだよね、どうかな、やってもらえないかな、お金は、たいしたことないんだけど、気晴らしにはなると思う、有名人が見られるし。

 そういう誘いを受けて、わたしは気分がよかった。もちろんわたしは英語が話せるし気が利いているし見栄えもする学生で、たまには変わったアルバイトをやってあげてもいい。有名人を見たり、ふだん接しないタイプの人と話すのも楽しいーー彼女とか。

 わたしの大学にもちょっとださい女の子はいっぱいいるけど、彼女みたいではない。あの子たちは「早く洗練されるといいですね」という感じ。それに比べて彼女は、ちょっとださいんだけど、そこがかわいさの秘訣でもある。下手に洗練させたら損なわれる。かといってばかな男が妄想するピュアとか素朴とか、そういうのでもない。個性。そう、小学校の先生がよく口にしてわたしが内心鼻で笑っていた、あの語彙しかあてはまらない。個性がある。

 彼女はわたしに話しかけられたらうれしいはずだとわたしは踏んでいた。大学生はだいたい愛想がいいし、とくに女子は人前で露骨に嫌な顔をしない人が多い。わたしたちはけんかなんかしない。冷淡な顔なんか見せない。いやなら未読無視。人生から消す。それだけでいい。だからこそ事前の予測は重要だ。自分から話しかけるときは自分に話しかけられてうれしく思う相手だけを選ばなければ。

 彼女はわたしに話しかけられて喜んでいるはずだと思う。わたしの態度に親しみを感じていると思う。だって、わたしは、「すごい」大学に通っているし、見栄えだっていいし、彼女よりずっと洗練されているし、物知りだし、どこへ行ったってうまくやれるし、彼女をどこかに連れて行ってあげることだって、できるし。

 アルバイトを終える。帰り道で彼女をつかまえることはできなかった。帰りの電車に乗る。LINEの交換をしたときにその場でたがいに送った無難なあいさつを読み返す。読むというほどの文字数もない。見ているといったほうが正しい。

 ねえ、わたし、あんなに話しかけたよね。LINEくらい、そっちから送ってきてくれてよくない? ねえ、あしたでこのバイト、終わるんだよ。わたしが話しかけたの、ほんとは迷惑だった? ぜんぜん楽しくなかった? わたしになんか関心なかった? わたしの名前覚えてる? ほかの人とごっちゃにしてるんじゃない?

 冷や汗が出る。スマートフォンを握った手をコートのポケットに入れる。冬は好きだ。大きなポケットが使えるから。レディースファッションの大きな欠点はポケットがろくにないことだと思う。コートだけが例外だ。

 振動。

 LINEだ。彼女から? 彼女からだよね? きっとそうだよね?

キラキラで見えない

 ばかではないんだよと、彼の上司は言った。そうでしょうとも、と私はこたえた。ばかじゃないという語の示す意味はいろいろあるけど、この場合はすごく単純で、四則演算ができないのではない、という意味である。

 経費の適切でない使用に関する面談がおこなわれた旨の報告が終わったところだった。おそらく自分から辞めると思います、と人事担当は言った。入社した人間は会社にいてほしい。それが採用人事の成功というものである。だから今回は失敗で、管理職同士で顔つきあわせて反省したりしたのだけれど、何をどう反省すればいいのか私たちにも実はよくわかっていないのだった。

 人事担当が彼に辞めてほしいと判断した理由はしごく単純だった。経費の使用にかぎりなく黒に近いグレーな行為が判明した上、彼に貸したお金を返してほしいという旨の電話が複数回かかってきたのだ。カネの問題、それも巨額ではない、高額ですらない、些末なカネの問題である。

 かぎりなく黒に近い些末なグレーを黒だと断じるための手続きを踏んで処分を議論してその後問題が再発しないように気をつけて、というのは、会社としてもけっこうしんどい。「貸したカネがかえってこない」という電話がかかってきたことが後押しになった。辞めてくれたほうが助かるというのが人事の率直な意見だろう。

 彼は新卒で就職して二年目の若者である。いつもぱりっとした格好で、見栄えが良い。誰とでも如才なく話す。ただし、如才以上のものは感じられない。彼は私の直属の部下ではないし、表層的な会話しかしたことがない。だから人格のことはほとんどわからない。学歴はきわめて派手な部類である。どう考えても収入と支出の算数ができないとは思われない。

 何かお金が必要な差し迫った事情があったのかといえば、どうもそうではないらしい。社内の年齢の近い男性たちによれば、彼は周囲よりさまざまな場面で「ワンランク上」の消費をしていたのだそうだ。実家が金持ちなのかと思ってました。じゃなかったらあいつだけ給料がすごく多いのかなあとか。彼らはそのように言っていた。少なくとも給与に関してはそのような事実はない。新卒二年くらいまでの収入は似たり寄ったりである。

 おれはあいつ、変だと思ってましたけどね、と彼の同期が言った。あいつのSNSみると、カネ使ってんなーって思うけど、それ以前に、なんか妙だなと思います。個人的には、めちゃくちゃ流されやすい人間なんじゃないかと思って見てました。好きで贅沢してる感じじゃ、ないんですよね。贅沢好きな人間はおれのまわりにもいます。そういう連中はただ享楽的で、気持ちいいのが好きなんだ。でもあいつはそうじゃないです。あいつは楽しくて浪費してるんじゃない。

 なんていうのかな、うまく言えないんだけど、「誰かがいけてると言った要素」を切り貼りしてるっていうか。それが結果的に贅沢に見えている、裕福に見えている。そういう感じ。わかりますか? 切り貼りの対象にもあんまり統一感がない。

 理想像を持つ人間は多いです。おれにもある。でもその理想を選ぶのは自分です。あこがれの相手を選ぶにも自分の側に何らかの芯が必要なわけですよ。あいつのSNSを見てると、その芯みたいなものが見えなかった。なんか、切り貼りで、ふわっとしてた。薄いとか浅いとかじゃないんです、若い人間の理想像が浅かったりペラかったりするなんてよくあることです、あいつのは、なんていうか、切り貼りの基準がなくて、しかも切ったものをちゃんと貼ってないっていうか、貼り合わせる糊がないっていうか、そういう感じでした。

 私はお礼を言ってその場を離れた。彼にはキラキラした自己像があり、そのために経済的に破綻した。そういうことだろうか。そしてその自己像は、キラキラしているけれど、光源や反射素材が決まっていなくて、ただキラキラしていた、そういうことだろうか。そうしてそのキラキラが彼の目をふさいで「収入の範囲で支出する」という引き算ができなくなって、会社に電話をかけてくるような相手に借金をしたり、経費を不正に使用したのだろうか。

 私は利子のつく借金をしたことがない。損だからである。分割払いさえしたことがない。損だからである。自己に関する理想像を持ったことがない。SNSもやっていない。そういう人間がいくら想像しても、「どうして収入の範囲で生活せずに不正にまで手を染めてしまうのか」なんて、わからないのかもしれなかった。

わたしは心配しない

 ぼくが生まれたとき、見た?

 五歳児がたずねるので、わたしは少しことばを選んで、生まれる前の日と、生まれて何日か後に見たよ、とこたえた。まえのひ、と五歳児は繰りかえした。まえのひはまだおなかのなか?

 そうだよ、とわたしは言った。そしてその日のことを思い出した。

 友人が近所の病院に入院した。病気じゃないんだけど、と友人は言った。いろいろあって超ハイリスク出産だから入院して完全管理してもらって帝王切開で出すの。あ、うん、産むの。いいじゃん「出す」でも。要は出産ね出産。

 わたしはその病院から徒歩十五分のところに住んでいたので、彼女の入院中何度かお使いを頼まれた。「ハチミツ、茎わかめカリカリ梅」みたいな注文が来て、それを仕入れて行くのである。友人は超ハイリスク状態のわりに平然としており、まるで単におなかが大きいだけの人みたいな顔をして、病室ではなく応接室のようなところで私に会うのだった。

 気がついたら出産前日だった。わたしはもう気が気でなく、点滴をガラガラ引きながら「よう」とあらわれた友人を、頭のてっぺんから足のつま先までじろじろ見た。だって、目の前にいるこの人は、明日、命がけの仕事をするのだ。ほんとうに死んじゃうかもしれないのだ。不安でないはずがない。でもわたしが不安を表出してはいけない。当事者に傍観者の不安をケアさせてはいけない。

 友人はわたしが手渡したおやつをもりもりと食べ、ぐいぐいとペットボトルの麦茶を飲み、終わったらビール飲もうよビール、と言った。完全ミルクの予定だからさ。明日腹かっさばいて、終わったあともいちおう入院生活なんだけど、お医者さんに訊いたら「傷の具合によりますが、順調なら、いいですよ」って。十字路の斜め向かいにお好み焼き屋さんがあるんだよね。熱々のやつ食べたい。

 わたしはうなずいた。非現実的だろうが何だろうが、未来の話ならなんでもよかった。「母子ともに健康」という慣用句を、喉から手が出るほど欲しかった。早く二十四時間が過ぎて、その文言がスマートフォンに入ってきてほしかった。そのときまでワープしてしまいたかった。

 顔色悪いなあ、と友人は言った。まあそりゃ心配でしょ。でもやめな。この場合、心配してもどうしようもないから。なんもいいことないから。できるだけのことは、やった。できなかったこともある。まちがったかもしれないこともある。でも今はもう腹かっさばく前日だ。これ以上心配しても何もいいことはない。だから心配しない。わたしは心配しない。だからあんたも心配すんな。

 わたしはうなずいた。そして、やめる、と宣言した。わたしはそのときはじめて「心配しない」という選択肢をもらったのだと思う。「心配しないことは可能だ」と教えてもらったのだと思う。どうすればできるようになるかを、まだ人にはうまく言えないのだけれど、帝王切開前日の超ハイリスク妊婦だった友人が「やめな」と言ったから、無用な心配を、途中でやめられるようになった。

 友人は無事に出産した。「早く見においでよ」と言うので、別の友人と連れだって行った。赤ちゃんはまだGCUに入っていて、ガラス越しに友人が見せてくれた。ものすごく小さくて、まだガラス張りの部屋を出ることはできなくて、でも、元気だということだった。わたしたちは歓喜した。赤ちゃんとの対面が済むと彼女は普段着で出てきて、言った。じゃあ、ビール飲もう。鉄板でお好み焼きをじゅうじゅう焼こう。

 わたしたちは内心非常に驚いた。まさか本気とは思わなかったのだ。「斜め向かいの店」といったって、けっこう歩く。なにより階段をのぼる。とても大きな十字路を、歩道橋で渡るのだ。わたしは思った。よし、途中で彼女がへばったら、わたしたちが担いで病院に戻ろう。二人いるんだ、どうにかなるさ。

 彼女はふだんよりも慎重に、しかし力強く歩き、みごとにその道を往復した。宣言どおり熱々の鉄板を前に(一杯だけという、妊娠前の彼女にくらべたら控えめな量ではあるものの)グラスをかたむけ、「シャバはいいねえ」と言った。

 そのようにしてやってきた子がもう五歳だ。私のことはたぶん親戚か何かだと思っている。当たり前みたいな顔して私の膝に乗っている。きみが生まれたとき、と私は言う。わたしはとてもうれしくて、前日にも「出ておいで」って言いに行ったし、すぐあとに会いにいったんだよ。とっても楽しかった。

無意味さを飼い慣らす

 彼のことは左利きだと思っていた。同じ部署ではないが、私よりひとまわり以上年長の、社歴の長い人なので、私が先だって管理職に就いてからはいくらか接点がある。ペンも箸も左手で持っていた。だから左利きなのだと思っていた。

 今日の会議で彼がちょっと複雑な説明をはじめ、立ち上がって「じゃあホワイトボードに書きます」と言った。そしてすらすらと図解した。図がうまいなあと思って、それから、あ、と口に出してしまった。彼は右手で図を画いている。

 会議が終わったあと部屋を出ると後ろから彼が出てきて、言う。さっき、あ、って言いましたね、あ、って。マキノさんって思ってることだいたい顔とか声とかに出ますよね、僕は嫌いじゃないですが。

 失礼しましたと私は言う。どうということはないんです。ただ、左利きでいらっしゃるものと思っていたので。彼は笑って、右利きですとこたえた。

 マキノさんはたしか四十かそこらですよね、それならもう気づいているんじゃないかと思うのですが、人生にはどうしようもなく退屈というものがついてまわります。背中にぺったりとはりついたもうひとつの影のように。

 若いころはその影を、ときどきしか感じることがない。あるいはうまくごまかすことができる。若ければ無知で、経験が少なくて、何か新しいことをすれば退屈を感じなくてすむからです。なかには退屈そのものをべたべた触ってみっちり体験する人もいます。僕の友人で美大に行ったやつは留年して六年くらい延々とそれをやっていました。芸術家だとか、そういう人種の中には、そうやって退屈を、言ってしまえば人生の無意味さを、真っ向から取り上げようとする者もある。

 でも僕は芸術家じゃない。ホワイトボードに書いた図がよかったですか。どうもありがとう。でも僕は小器用なだけで、そういう能力で食う気もなかった。会社員としてうまくやっていけると思ったし、実際、このまま定年までそれなりにやっていけます。たぶんね。

 ええ、退屈です。マキノさん、その顔は、さてはもう、知っている人だな。そう、人間は、中年になると、最終的に自分を殺すのは退屈だと気づく。あのね、僕の息子、去年就職したばかりなんだけど、なかなか気の利いた男でね、初任給で僕と妻にプレゼントをくれたんですよ。小旅行のチケットです。普通の旅行券じゃなくて、二人で何かちょっと珍しいことを体験するメニューを選んで行くっていう商品です。ええ、親孝行でしょう。

 でも僕はそれを見て思い出してしまったんだ。だってそのメニューの多くを、僕はすでに体験していたんだ。乗馬だとか、パラグライダーだとか、ワイナリー体験だとか、着物を着るだとか、そういうやつです。もっと変わったものもあった。ええ、僕だって、もちろんぜんぶやったことがあったわけじゃなかった。妻は喜んで選んで、僕も楽しみました。

 でも僕は思い出してしまったんだ。そして思い出したことはなしにはならない。息子が就職して、子育てという最大のイベントが完膚なきまでに過ぎ去った。僕の人生にはもう、退屈から目をそむける要素がひとつも残っていない。ええ、幸福な生活です。そしてできあがった穏やかな生活というのはね、マキノさん、きっとおわかりになるでしょうが、人生にべったりとはりついた無意味さをいやでも直視させられる生活でもあるんです。人生にもう新しいことは起こらないだという宣告をずっと受け続ける生活。

 だからといってメランコリックを手玉に取って芸術の主体になることもできない。僕にはその才能がなかった。今の僕が持っているのはこの、ちょっとガタがきた身体ひとつです。

 それで右利きなのに左手で生活をしはじめたんですか。私が尋ねると、彼はうなずいた。そこで筋トレとかじゃないのが、なんか、いいですね。そのように感想を述べると彼は声を出して笑って、言った。

 いやいや、筋トレでもいいですよ、結構結構。ただ僕はもう、やっちゃったんですよ、あなたくらいの年齢で。それに筋トレは役に立ちますよ、だからこの場合「弱い」んだ。僕はもっと無意味さに対抗できることをやりたかった。それで左手を使いはじめた。左手で文字を書くのはものすごく難しい。箸なんか苦行です。ええ、なかなかいいですよ。もしも人生の無意味さを飼い慣らすメニューを増やしたかったら、一度おやりになったらいい。

 でも今日は突然のホワイトボードだったから、つい右手で書いちゃったなあ、だめだなあ、まだまだ訓練が足りないなあ。彼はそう言いながら、左手でドアをあけた。

生存税の納入

 差し歯がそろそろ限界です、と歯科医が言う。歯科衛生士がうなずく。わたしは彼らの説明を聞く。今の歯はどれくらい入れていますか、と歯科医が尋ねる。わたしは指折り数えてこたえる。八年もちました。いい子ですねと歯科衛生士が言い、孝行です、と歯科医が同調する。

 わたしの上顎のにっこり笑って見える歯はみんな作りものである。原因は家庭内の暴力だが、わたしは純粋な被害者ではない。いわゆる暴力の連鎖というやつで、わたしは加害を防ぐために人間を椅子で殴り、別の人間がわたしの顔面を壁にたたきつけた。あれから二十年が経過したが、いまだにたぶん全員自分が正しいと思っている。正当なことをした、しかたがなかった、そう思っている。生まれた家の自分のほかの人間には十代のころから会っていないから実際はどうだか知らないが、賭けてもいい。誰も反省していない。わたしも反省していない。誰も懲りない。わたしが生まれた家は、そういう場所だった。

 叩き折られた部分以外にも、ほぼ全歯にダメージが及んでいる。たとえば打撃の衝撃で歯の根が曲がっている。あるいは乳歯の段階からケアされていなかったために成人以降に治療した跡が異常に多くあり、定期的なメンテナンスを必要とする。叩き折られるのはレアだが、自分で稼ぐようになってから歯を大量に直すのは「虐待家庭出身者あるある」である。

 世界は暴力にあふれている。見えない人には見えない。でも当事者には見える。物理的な暴力もあれば、そうでない暴力もある。わたしたちはたがいのからだにしみついた暴力のにおいをかぎあてるかのように、人生のさまざまな時期に接近しあう。暴力を経験した人間にはつきあにくい性格の者も多いから(とくに若いころは高確率で情緒不安定である)、わたしは彼らと親しくならないことも多い。多いが、あとからその行く末を聞くことは少なくない。

 わたしの知る彼らの多くは若くして死んだ。はっきりした自殺は二件のみである。いちばん多いのは「限りなく自殺に近い事故」だ。たとえばアルコールを使いながら愉快に過ごして死ぬ確率をどんどん上げて、そしてある日、アタリを引く。そういうやつ。だいたい三十にならないうちに死ぬ。

 わたしはそれをしなかった。わたしは生きていたかった。だから現在は第一志望の未来、よかったですね、という状況なのだが、しかし、生き残るとカネと手間がかかってかなわない。これはたぶん中年サバイバーの多くが肯定してくれると思うんだけど、暴力のある家庭に生まれた人間が生き残った場合、けっこうな額の「税金」を生涯にわたって支払わなければならない。たとえばわたしは引っ越し先を探すたびに「緊急連絡先はいくらなんでもご親族でないと」と言われる。そこをクリアするために手間暇とカネがかかる。保証人の代わりに保証会社が使えるのはありがたいが、彼らに毎月カネを払っている。しじゅう歯医者に通い、数年に一度は前歯の取り替えのために大きな出費をする。

 それほど暴力的でない環境で育った友人たちは「そういう負担は不当なことなんだから、税金とか言っちゃだめだよ」と言う。でもわたしはそうは思わない。払ったほうが気が楽だからだ。わたしは「税金」を払ったほうが落ち着くのだ。どうして自分が生き残ってよかったのか、わからないからである。

 死んだ人間の中にはわたしよりずっと気の毒な人もいた。わたしより純粋な被害者、つまり(たとえば)殴られて殴り返さなかった人間もいた。わたしより有能な人も、わたしより高潔な人も、わたしより若い人も、いた。わたしは生きたかったし、だから生きたし、長生きする予定だが、しかし、同時にこうも思うのだ。どうしてわたしは死ななくていいのか?

 健全な環境で育った友人たちは「どうして彼らが死ななくてはならなかったのか、とは考えられないの?」とわたしに尋ねる。友人たちの言いたいことがわからないのではない。でもわたし自身にその思考をインストールすることはできない。OSが合わない。そして友人たちもまた、わたしの問いにこたえることはできない。どうしてわたしは死ななくていいのか?

 わたしは歯科医院の椅子に腰掛けている。椅子の背がゆったりと倒れる。近ごろは痛いことを痛いと感じるようになって、「支払い」が増えた。以前は前歯が折れてもたいして痛くはなかったのだ。

 生き残った人間は毎日、毎月、毎年、生存税を払う。わたしはそれを、嫌いではない。

慰めのリザーブ

 そういうわけで会社を移るの、と友人は言った。そりゃあいいねと私はこたえた。私たちはいわゆる就職氷河期世代で、「職場はときどき移るもの」くらいの感覚を持っている。新卒の就職状況がなにしろひどかったので、ぼけっとしていたら食い扶持を稼げなくなるという意識が根強い。同世代の友人に資格職と外資系と公務員がやたら多く、ほとんど全員が転職を経験している。生まれた時代のせいである。

 私たちはもう四十を過ぎたが、同世代の友人のほぼ全員が現役で何らかの勉強をしている。高尚な意識をもって努力しているのではない。生まれた時代のせいで「いつも戦って新しい武器を研いていなくてはそのうち食えなくなる」と思い込んで、それで勉強しているのである。新卒の就職でつまずいて連絡を絶った昔のクラスメートが今なにをしているかわからない、生き残った自分たちだって今後どうなるかわからない、そういう意識が消えない。だから勉強するし、行動するし、決断する。そういうのは立派というよりかわいそうなのだと思う。

 今の会社も悪くはないの、と友人が言う。決して悪くはない。そして次の会社には、入ってみなければわからない大きな欠陥があるかもしれない。欠陥はなくても単にわたしに合わないかもしれない。会社全体は問題なくても、絶対に許容できないタイプの上司に当たるかもしれない。

 そうだね、と私は言う。それでも移ろうと思うだけの魅力が、その新しい会社にはあるんだね。そうなのと彼女は言う。つまりわたしは賭けをするの。それでお願いがあるんだけど、新しい会社でうまくいかなかったら、「そうか」って言ってほしいの。そしてわたしを肯定してほしいの。

 わたしをジャッジしないでほしいの。「前の会社にいたほうがよかったんじゃない?」なんて言わないで。「損をしたね」とも言わないで。「でも今のところでがまんするしかないでしょ」みたいなせりふもいやだし、「次の転職は慎重に」みたいな忠告もやめてほしい。

 私は気取ったしぐさで胸に手を当ててうなずく。そうして話す。もしもあなたが新しい職場に問題を感じたなら、私はたとえばこんなふうに言うよ。

 転職活動であきらかになったように、あなたには人材としての高い価値がある。だからこの先の選択肢がたくさんある。あなたはたったひとりで、そして短期間で転職先を見つけて、合格した。エージェントさえ使わなかった。たいへんなことだ。すばらしい行動力だ。もちろん、よりよい転職先を見つける必要があればエージェントを使うこともあるだろうし、末永く同じ会社にいることだってあるだろう。会社をかわらなくても職場環境を変えることはできる。あなたにはそれだけの実力がある。何も心配いらない。

 彼女はにっこりと笑う。合格? と私は尋ねる。合格合格、と彼女は言う。じゃあ、今の、予約するわ、わたしが新しい会社の愚痴を言いたくなったときのために。

 私はときどきこの種の「予約」を受け付ける。言語的な予約というか備蓄というか保険というか、そういうたぐいの約束を引き受ける。私の友人の多くは、人生のところどころで大きなリスクを取るタイプである。「値崩れの心配もあるがマンションを買う」とか「まだよく知らない人と遠距離の交際をはじめる」とか「予定になかったハイリスク妊娠を続行させる」とか「起業する」とか「海外で働く」とか。欲しいものがあったら走って行って取る、取れずにけがをして帰ってきてもかまわない、偶然目の前に良さそうなものがあらわれたら反射的に手を伸ばす、そういう人間が多い。

 でも彼女たちだって、ぜんぜん怖くないわけじゃない。というか、怖いに決まっている。だから彼女たちは私に言う。ねえ、もしもうまくいかなかったとしても、論評をしないでね。起きてしまったことを受け入れるようなことばをかけてね。失敗して弱っていたら、うんと甘やかしてね。

 彼女たちは自分が大きく傷つく可能性を把握している。傷ついたら平気でいられないこともわかっている。自分が鉄の女なんかじゃなくて、やわらかな生き物だと知っている。家族や恋人は距離が近すぎて傷ついたとき一緒に痛みを感じてしまうこと、だから落ち込んだり批判的になったりしやすいことを知っている。

 だから私は彼女たちの心理的な保険になる。備蓄になる。予約される。彼女たちはかしこいから、そういう相手もきっと何人か持って、分散していることだろう。

だから代わりに泣いてあげるの

 お正月? うん、いつもどおり帰省したよ。この年になるとこっちが親の保護者みたいなもんよ。ほら、わたしは、遅くにできた子だしね。それで今年は父に運転免許を返納させてきた。そりゃあもう、たいへんだったんだから。

 そりゃあ本人はいやに決まってる。うちは、田舎といっても市内だし、車なんかなくても実はどうにかなるんだよ。ちょっと不便ではあるけどね。でもその不便さもタクシーを使えば解消できる程度のものでしかない。そして車の維持費はタクシー代とは比べものにならないほど高い。

 父が運転免許と自動車を維持したがっていたのは、だから、結局のところ、利便性の問題じゃないの。彼らにとっては、えっと、彼らというのは、わたしの知る田舎の年長の男性たちのことなんだけど、あの人たちにとっては、運転免許と自家用車は「最低限のプライド」なの。

 なぜだかはわたしにもよくわからない。自動車に何かを仮託しているのかもしれない。同じ世代でも、女性たちは算盤たたいて「これなら車いらない、事故を起こしたらと思うと怖いし、タクシーで済ませたらいいでしょ」と思ってくれるケースが多くて、実際わたしの母はもう返納してるのね、運転免許。それで父の運転する車にも乗らないと宣言したの。それが去年のこと。

 もちろん根拠のない宣言ではない。母は、長年の経験から、父はもう運転しないほうがよさそうだと判断して、それで「無事故のうちに」というメッセージをこめて、範を示したわけ。ところが父は言を左右にして車を手放さない。目測を誤って軽くこすったりもした。昔はぜったいそんなことなかったのに。

 でもどうしても車を手放さない。その頑迷さに母はすっかりまいってしまって、わたしに電話をかけてきて言うの。「お父さん、ぼけちゃったのかもしれない、まだそんな年じゃないと思ってたけど、そういうのは人によるのでしょ?」って。でもねえ、認知症ではないのよ、わたしの見たところ。ほかの判断はまともなの。自動車に対する執着が強すぎてまともな判断ができないって感じなの。

 それでとうとう父はやっちゃった。自宅のガレージにがつんとぶつけちゃった。わたしはちょうど帰省するところだったから、母と口裏をあわせて「事故を起こしたと聞いて飛んで来た」ってことにした。正直、とっくにエアチケット取ってたんだけど。早割で。

 わたしは家に入る前に荷物を抱えたままガレージに直行した。そしてガレージに来た父の前で思いっきり泣いた。膝から崩れ落ちて泣いてやったよ。うろたえてわたしの荷物を持って「寒いだろう、部屋に入ろう」と言う父にひとことも返事をせず、しばらく泣いて、それから、「情けない」とだけ言った。

 うん、泣いたのは、まあ、芝居です。ナチュラルに膝から崩れ落ちるほどの衝撃はなかったよ。だって母から聞いてだいたいのことわかってたもん。

 父はね、いい人だよ。いい人だけど、自分の感情をよくわかっていないところがある。とくにマイナスの感情を把握していない。自宅の敷地内での自損とはいえ、車の後ろがへこむような事故をやったんだから、情けなくてしょうがないはずなの。だって父は運転が上手だったし、慎重で責任感が強い性格だもの。でも本人はそれをわかっていないの。だからわたしが代わりに泣いてあげたの。「お父さんは、自分で自分を情けないと感じていて、泣きたいんだよ」って教えてあげたの。

 あとは母との無言のうちの役割分担。わたしは風邪ひいたみたいだとかなんとか言って実家で寝込んだふりをする。母はしみじみと「あの子はほんとうにショックだったのねえ」なんて嘆いて、わたしが小さかったころ家族で車に乗って出かけた思い出話なんかをする。わたしが寝込んだふりして何してたかって? Kindleでマンガ読んでた。

 ここまでやって、ようやく免許返納。ほんとうに面倒くさいったら。でもその面倒を引き受けるのは、わたしも母も父をけっこう好きだからだよ。ほんとうに情けなくなるような事故、たとえば人を傷つけるような事故を起こすところを見たくなかったからだよ。わたしが泣き崩れた芝居は、ゼロからの芝居じゃなくて、もっと悪い事態を想定したら自然にできたことだよ。女優じゃあるまいし、ゼロからはできないよ、そんなおおげさな動作。

 ねえ、父は、わたしにも母にも愛されているから、ガレージ程度しか壊さないうちに運転を止めることができたんだよ。でも誰にも止めてもらえない人もいるんだよ。たとえば自分の代わりに泣いてくれる誰かを人生で獲得できなかったら、老いて衰えたときに、ガレージ以上のものを壊してしまうんだよ。