傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

だから代わりに泣いてあげるの

 お正月? うん、いつもどおり帰省したよ。この年になるとこっちが親の保護者みたいなもんよ。ほら、わたしは、遅くにできた子だしね。それで今年は父に運転免許を返納させてきた。そりゃあもう、たいへんだったんだから。

 そりゃあ本人はいやに決まってる。うちは、田舎といっても市内だし、車なんかなくても実はどうにかなるんだよ。ちょっと不便ではあるけどね。でもその不便さもタクシーを使えば解消できる程度のものでしかない。そして車の維持費はタクシー代とは比べものにならないほど高い。

 父が運転免許と自動車を維持したがっていたのは、だから、結局のところ、利便性の問題じゃないの。彼らにとっては、えっと、彼らというのは、わたしの知る田舎の年長の男性たちのことなんだけど、あの人たちにとっては、運転免許と自家用車は「最低限のプライド」なの。

 なぜだかはわたしにもよくわからない。自動車に何かを仮託しているのかもしれない。同じ世代でも、女性たちは算盤たたいて「これなら車いらない、事故を起こしたらと思うと怖いし、タクシーで済ませたらいいでしょ」と思ってくれるケースが多くて、実際わたしの母はもう返納してるのね、運転免許。それで父の運転する車にも乗らないと宣言したの。それが去年のこと。

 もちろん根拠のない宣言ではない。母は、長年の経験から、父はもう運転しないほうがよさそうだと判断して、それで「無事故のうちに」というメッセージをこめて、範を示したわけ。ところが父は言を左右にして車を手放さない。目測を誤って軽くこすったりもした。昔はぜったいそんなことなかったのに。

 でもどうしても車を手放さない。その頑迷さに母はすっかりまいってしまって、わたしに電話をかけてきて言うの。「お父さん、ぼけちゃったのかもしれない、まだそんな年じゃないと思ってたけど、そういうのは人によるのでしょ?」って。でもねえ、認知症ではないのよ、わたしの見たところ。ほかの判断はまともなの。自動車に対する執着が強すぎてまともな判断ができないって感じなの。

 それでとうとう父はやっちゃった。自宅のガレージにがつんとぶつけちゃった。わたしはちょうど帰省するところだったから、母と口裏をあわせて「事故を起こしたと聞いて飛んで来た」ってことにした。正直、とっくにエアチケット取ってたんだけど。早割で。

 わたしは家に入る前に荷物を抱えたままガレージに直行した。そしてガレージに来た父の前で思いっきり泣いた。膝から崩れ落ちて泣いてやったよ。うろたえてわたしの荷物を持って「寒いだろう、部屋に入ろう」と言う父にひとことも返事をせず、しばらく泣いて、それから、「情けない」とだけ言った。

 うん、泣いたのは、まあ、芝居です。ナチュラルに膝から崩れ落ちるほどの衝撃はなかったよ。だって母から聞いてだいたいのことわかってたもん。

 父はね、いい人だよ。いい人だけど、自分の感情をよくわかっていないところがある。とくにマイナスの感情を把握していない。自宅の敷地内での自損とはいえ、車の後ろがへこむような事故をやったんだから、情けなくてしょうがないはずなの。だって父は運転が上手だったし、慎重で責任感が強い性格だもの。でも本人はそれをわかっていないの。だからわたしが代わりに泣いてあげたの。「お父さんは、自分で自分を情けないと感じていて、泣きたいんだよ」って教えてあげたの。

 あとは母との無言のうちの役割分担。わたしは風邪ひいたみたいだとかなんとか言って実家で寝込んだふりをする。母はしみじみと「あの子はほんとうにショックだったのねえ」なんて嘆いて、わたしが小さかったころ家族で車に乗って出かけた思い出話なんかをする。わたしが寝込んだふりして何してたかって? Kindleでマンガ読んでた。

 ここまでやって、ようやく免許返納。ほんとうに面倒くさいったら。でもその面倒を引き受けるのは、わたしも母も父をけっこう好きだからだよ。ほんとうに情けなくなるような事故、たとえば人を傷つけるような事故を起こすところを見たくなかったからだよ。わたしが泣き崩れた芝居は、ゼロからの芝居じゃなくて、もっと悪い事態を想定したら自然にできたことだよ。女優じゃあるまいし、ゼロからはできないよ、そんなおおげさな動作。

 ねえ、父は、わたしにも母にも愛されているから、ガレージ程度しか壊さないうちに運転を止めることができたんだよ。でも誰にも止めてもらえない人もいるんだよ。たとえば自分の代わりに泣いてくれる誰かを人生で獲得できなかったら、老いて衰えたときに、ガレージ以上のものを壊してしまうんだよ。