傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

聖なる標準家庭の祝日

 なるほど、あんたのおばあちゃんが地元の霊能力者を呼んだと。そしてあんたにお嫁さんが来て子どもを産んでくれますようにという内容の祈祷を上げてもらったと。あんたは正座して神妙な顔してその祈祷を承っていたと。そりゃしんどいね。田舎ではカムアウトしない予定だもんね。もうさあ、きょう東京に帰ってきちゃえばいいのに。東京で年越しすればいいじゃん。だいじょうぶだよ、そんな人いっぱいいるよ。

 そうですか、今年からお子さんとお父さんだけで帰省することにしたんですか。そりゃあいいですね。だって、お正月あけ、いつもげんなりした顔で出勤していらしたもの。ええ、毎年そうでしたよ。さぞかしストレスフルな「義実家」ってやつなんだろうなと、そう思っていました。そこまででもない? そこまででもないからよけいに疲れる? ああ、そういうこともあるかもしれませんねえ。

 おうち帰らなくていいの? いいんだ。そっか。妹さんももう大学生になったんだものね。お友だちと夜更かししたりするよね。へえ、お母さんもお出かけするんだ。そりゃあよかった。みんな好きにすればいいよね。お母さんとあなたと妹さんと、女ばかり三人で、長いことよくがんばったよ。ああ、そう、「いったんチームを解散する」、いいせりふだ。だからそれぞれで楽しい大晦日を過ごすんだね。

 そうですか、年末年始はどこへも帰らない。東京のご出身だからですか。ああ、そうですか、もともとご家族と折り合いがよくないと。なるほど。いいじゃないですか。気の合わない人たちと無理に過ごすことないです。ひとりで年末年始を過ごして何がいけないんですか。私なんかずっとそうですよ。さみしくないかって。自分を害するような人たちと一緒にいるほうがよほどさみしいですよ。

 私は思うんですけど、日本には直系親族ベースの「家族」信仰があるんです。「標準世帯」って言葉があるんですけど、知ってますか。むかし役所が使ってた用語でね、お父さんがお金を稼いでお母さんが専業主婦で子どもがいる世帯のことです。ええ、そんなのぜんぜん「標準」じゃないし、多数派だった時期さえ二十年かそこいらの短期間なんですけど、でも「これが正しい家族だ」という思いが、日本ではいまだにめちゃくちゃ強いと思うんですよ。ふだんは平気な顔して「よそはよそ、うちはうち」と思えるような人たちでも、年末年始は「標準」にあてはまらないことが、ちょっとさみしくなったりするんです。

 年末年始は「標準家族」信仰が強まる時期なんです。ええ、もはや信仰といっていいんじゃないですか。ほぼ宗教ですよ、あれは。それで私は年末年始を「日本の聖なる家族の祝日」って呼んでます。血族と法律婚と嫡出子の祭典。稼ぐ男と家事する女が国家に届け出した上で子どもを作った「正しい家族」の祭典。

 私はその祭典に与しない。ずっと前からそう決めています。彼らは彼らの祭りを執り行えばいい。でも私みたいな極端な人間ばかりでこの世ができているのではないです。もちろん。

 祭りは言祝がれぬ者を排除し、「正しい」者を選別する装置です。だから「標準家族」教の祭典の中にあって、定型とされる家族に属さない者はえらく消耗します。属しながらその役割に疲弊する人もたくさんいます。割を食って消耗しながら「標準家族」をやる。そういう人もいっぱいいます。私みたいな極端な思想を持つ人間が簡単に「やめちまえ」と言えない事情を、みんな抱えている。

 日本におけるクリスマスが恋人たちの祭典として受容され需要されたのも、時期がよかったからじゃないかと私は思っているんですよね。その後の年末年始が象徴する直系血族の準備段階としての若き異性愛カップルを称揚するわけですよ。ちょうどいいでしょ。恋愛を選別して再生産体制である婚姻に結びつけるタイミングとして12月25日は最適です。欧米では家族の行事だったクリスマスが日本に来て恋人たちの行事に変更されたのはそういうことだろうと、私は思うんですよね。

 そんなわけでみんな疲れていると思うので、私は私の知っている人たちだけにでも、年末年始には「いいじゃん」って言い続けるつもりです。帰省がいやになったら帰ってくればいいじゃん、家族がばらばらに年末年始を過ごしたっていいじゃん、そもそも家族がいなくたっていいじゃん。そう言いつづけるつもりです。

 それでは楽しい休暇をお過ごしくださいね。ええ、私はいつもここにいます。ここであなたに「いいじゃん」って言います。だからだいじょうぶ。良いお年をお迎えください。