傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

さみしい人だけそばに置く

 将来は女ばかりで暮らすのも楽しいと思うんだ。私がそう言うと、困りますよ、と彼は言った。こちらが先約なんだから、守ってもらわないと。

 私はこの人と「年をとって心身が弱ったら隣に住む」という約束をしているのだった。私が新卒で彼が二十代半ばのころ、もう二十年近く前に締結された取り決めである。

 私は思想信条上の理由で、彼は生来の気質の問題で、結婚に縁がない。私は家父長制的なものがアレルギー的に嫌いだ。現行の法律婚とそれにまつわる社会通念や慣習など、斜めにしても逆さにしても承服しかねる。他人の結婚は祝福するが、自分はぜったいにやらない。二十一のときにそう決めて、二十年間同じように考えている。

 一方、彼は他者とのフィジカルな接触を好まない人間である。慣れた人間が数日そばにいるくらいが限度で、基本的には他人の生活音が聞こえるだけでもうダメだ。調子が悪いと、たとえば生の肉を触ることさえできなくなる。たぶん彼は、「動物の生々しさ」みたいなものが全般にいけないのだ。だから配偶者どころか同居人もできようがない。

 知り合ってしばらくしてたがいを信頼できる友人だと確認したとき、彼は自分のそのような性質を私にあらいざらい説明して、言った。若いうちはいい。ひとりで楽しくやっていける。でも年をとって死が近づいたら、近くに親しい人がいたほうがいい。マキノさん、ぼくの隣に住んでください。マンションとか、高齢者向けの施設とかで。そうすればぼくは安心なので。マキノさんが老齢まで色恋をやるとしてももちろん問題ない。両立可能です。必要ならマキノさんの色恋の相手にぼくの立ち位置についてプレゼンをする。

 いいでしょう、と私は言った。その後、彼は数年に一度、「あの話、忘れてないでしょうね」と確認するようになった。他人にも平気でその話をするので、彼の知人の間で私は「彼が心に決めた人」という扱いになっている。まあいい。ある意味心に決めてはいる。なんでもかんでも色恋に結びつける連中に私たちの友情を理解してもらおうとは思わない。

 しかし私は彼より社交的なので、よそからも「年とったらそばで暮らそうよ」というオファーが来る。女たちからである。独身組はもちろん、配偶者のいる女たちからも「夫はたぶん先に死ぬので」という理由で老後の話が出てくる。彼女たちはその昔、「夫が死んだらどうしよう」と嘆いていたものだが、結婚して十年もすると「どうしようっていうか、夫は人間だから死ぬし、平均寿命から考えたら私のほうが長生きするよな」と理解するようである。先日は少し年長の友人からグループホームのパンフレットを手渡された。四十前後の女たちにとっての老後は楽しい空想だが、五十の声を聞くとパンフレットレベルの具体性を帯びるのか、と思った。

 いずれにせよ彼女たちと寄り集まって暮らしながら反対側の隣をあけておくことはできる。隣はふたつあるのだし、向かいも上下階もあるのだ。両立可能でしょ、と私は彼に言う。

 彼は左斜め上を見て(ふだん使わない記憶を走査するときの彼のくせだ)、言う。女の人たちはいいですね。男はそういう話をあまりしない気がする。ぼくは友だちが少ないから、サンプル数がじゅうぶんじゃないんだけど、でも、「弱ったときに誰と支えあうか」みたいな発想がそもそもない人、けっこういると思う。彼らは、不安とか、さみしさとか、ないのかな。ないのかもしれない。あったら長期的に支え合えそうな相手を探すし、取りに行くし、努力してキープするでしょう。別に結婚とかだけじゃなくて。自分に向いた関係の、自分に向いた相手を、得ようとするでしょう。

 さみしくない人間なんかいないと私は思う。思うんだけど、一部の人間たちはたしかにさみしさを知らないように見える。私が親しくなる男性たちはみんな、「さみしい」「かなしい」「怖い」というようなことを言う。でもそうじゃない感じの人たちもいっぱいいる。そうした人たちとは親しくなったことがないから、私にはその理由がわからない。

 他者を求めるいちばんまっとうな理由はさみしさだと私は思っている。さみしさから出発して人を求めたり求められたりしたいと思っている。便利だからとか、当たり前だからとか、そういうのじゃなくて。

 私はたぶんとてもロマンティックな人間なのだ。色恋にかぎらず、大人同士の情愛はすべて、たがいがたがいを選び、オーダーメイドな関係を作るのがいいと思っている。さみしくなさそうな人たちはそういうのとはぜんぜんちがう力学で動いているように見える。私は彼らに近寄りたくない。なんだかとても、いやな予感がするからだ。