傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

主人は子煩悩じゃありませんから

 子どもたちがいっせいに笑った。読み聞かせが受けたらしい。読んでいるのはわたしの夫である。保護者会の後に子どもたちと保護者たちの交流の時間があって、その一環として読み聞かせの場がセッティングされ、わたしの夫が立候補したのだった。わたしがにこにこしてそれを見守っていると、顔見知りの保護者が、あらあ、と言った。レイカちゃんパパはほんとに子煩悩でいらして。ねえ。ほんとにねえ。

 わたしはその保護者の名前を思い出す。沢田さん、と言う。こんにちはと言う。沢田さんは話し続ける。

 レイカちゃんパパみたいな方、最近はいらっしゃるのよね。うちはそういうんじゃないから。主人ともよくそういう話してるんですよ。ほんとうにね、レイカちゃんパパは、子煩悩でいらっしゃって。

 わたしの夫は娘を好きです。わたしはそう言う。そして混乱する。なんだろう、この人、何か、いやな感じがするんだけれど、それはなぜだろう。わたしの知らないところで娘がなにかしでかしたのだろうか。でもそれならそうと言ってくれればいいと思う。しかし、娘から沢田さんのお子さんと遊んだという話は聞いたことがない。もしかすると、この人は、わたしたち夫婦のことを、嫌いなのではないか。でもなぜだ。嫌うような接点がない。

 わたしは混乱を抱えたまま帰る。帰って友人にLINEを送る。友人の子はわたしの娘よりひとつ年長だ。わたしの娘は今年小学校に入学したから、小学校のことは親子ともにまだよくわかっていない。それでこの友人を頼りにしている。小学校の保護者会でこんなことがあって、と書いて送ると、ほどなく返信がある。

 その沢田さんというご夫婦は、たぶん「子どもをかわいがるのは本来男のすることではない」という意識を持っているんだよ。子煩悩という語は男に対してしか使わないでしょう。

 わたしはその文字列をながめた。人間の親というものは、特段の事情がなければ子育てをするものだと、どこかで思っていた。自分の夫が子育てすることを当たり前だと思って六年間育児をしてきた。夫は家事能力があまり高くないけれど、育児に関しては驚くほど有能だった。わたしたちはできることと得意なことを分担してどうにかやってきた。保育園ではわたしの夫以外にも送り迎えのどちらかを担当する父親がたくさんいた。保育園の先生方も保護者の性別なんか問題にしていなかった。だから子どもが小学生になるまで「子煩悩」などと言われたことはなかった。そのことばに侮蔑が込められていることに混乱した。それを理解するためのフレームが自分の中になかった。

 つまりね。友人のLINEは続いた。沢田さんご夫妻は、子育てをしない父親を「男らしい」と思っているんですよ。そしてそうじゃない父親を見るとどうしても一言いってやりたくなるんですよ。

 友人にそこまで説明してもらってはじめて「そうか」と思った。そして自分の両親を、とりわけ父を、なつかしく思った。わたしの実家は商店で、父も母もいつも店にいた。夏休みの時期には父がお昼に戻ってきて、「まったく、給食ってのはありがたいもんだ」などと言いながら焼きそばだのチャーハンだのをぱぱっと拵えるのだった。夏場の真昼に火を使うものだから、まだ若かった父は大汗をかいて、食べ終わると皿のついでに顔も洗って仕事に戻るのが常だった。わたしは父と母の両方に対して、「おなかがすいたらごはんを食べさせてくれる人」だと思っていた。

 一人暮らしをはじめるときと結婚するとき、あらたまって、「お父さん、お母さん、今までありがとうございました」とは言った。言ったけど、実はそれはけっこう形式的なせりふだった。せっかくだからそれっぽいこと言おうと思って、まじめな顔して頭を下げたりしたんだけど、結局は二回とも笑ってしまった。父も母も可笑しそうだった。だって、お父さんとお母さんがわたしにごはんを作ってくれるのは、当たり前のことだったのだ。今だって、わたしが実家に帰って「おなかすいた」と言ったら、きっと作ってくれる。だって、わたしのお父さんとお母さんだから。

 でもそれが当たり前じゃない家もあるのだ。男だけが子育てをしない家があって、そして「おまえがおかしい、こちらが当たり前だ」というような、妙なプレッシャーをかけてくるのだ。わたしはとてもさみしくなった。世の中には家庭において何ら役割を果たさない父親がいるという話を聞いたことがないのではなかった。でもまさかその人たちから侮蔑をこめたことばをかけられるなんて思ってもみなかった。