傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

送り盆の日

 ときどき、自分の頭に不満を持つ。私が考えたいこと、覚えていたいこと、想像したいことに脳が追いつかないときに、不満を持つ。頭が悪い、と思う。誰と比べて、というのではない。私の欲望に対して、私の頭が、悪い。

 夜の夢はあまり見ない。年に何度か、ほとんどはとても単純な、パターン化された夢を見る。半分ちかくが逃げる夢で、半分ちかくが人の死ぬ夢である。要するに私は、逃げてきて、そして、死んだり死なれたりするのが怖いのだろう。ひねりがない。恐怖にクリエイティビティやオリジナリティがない。

 人が死ぬ夢は近ごろ簡略化されて、すでに死んだ人が出てくるようになった。死んだ人が隣にいて、私はその人が死者だとわかっている。そういう夢である。複雑なストーリーなどはない。ただの一場面である。

 人と並んで歩くときの位置は決まっている。私が左側である。どういうわけか自分でもわからないが、ずっとそうしている。右に人がいると落ち着く。何十回も何百回も隣を歩いた人々の記憶は、だから私の右側にある。相手の左半身ばかりを覚えている。この点は相手が生きていようが死んでいようが変わらない。ただし死んだ人の姿は更新されない。

 夢の中で死んだ人と歩く。だいぶ前に死んだ人である。ときどき見る夢なので私は驚かない。いま夢を見ているなと思う。右隣を歩く人を認識する。相変わらず死んでいるなと思う。だいぶ前に死んだ人である。まだ若かった。夢の中の視界には薄ぼんやりと死んだ人の左半身がうつっている。背丈の差で顔はよく見えない。誰かと並んでまっすぐ前を向いて歩いているときの視界、誰かと親密になるたび、まるでそれが永遠であるかのように繰りかえし作った視界である。

 親しかった人の顔を、私は忘れる。私はものすごく忘れっぽい。およそ何でも忘れる。先日、都合で数年前に住んでいた町に行ったら、当時の自宅が駅のどちら側にあったかも思い出せなかった。道なんかぜんぜん覚えていなかった。私はそれくらい忘れっぽい。だから会わなくなった人の顔を忘れるのも自然なことである。夢の中で歩きながら私はそう思う。私はもう忘れたから、今となりを歩く人を見ても、その顔はないのだ、と思う。顔のない姿を見てやろうと思ってくるりと身を翻し視界の中央に死んだ人をおさめる。右半身がなかった。右手、右足、胴の半身、頭部の半分が、なかった。

 覚えていないのだ。目を覚まして私は思う。私は、死んだ人の顔どころか、歩きながら視界に入っていた部分以外のすべてを、覚えていないのだ。正面から向かい合ったこともたくさんあったのに、そのほかの角度でだってたくさん見たはずなのに、ぜんぶ忘れてしまったのだ。歩いているときの、左側以外のすべてを。

 日常は永遠のにおいがする。そんなはずはないとわかっているのに、特別なところのない日の繰り返しは永続性の影を帯びる。私たちは勘違いする。たとえば百回繰りかえしたことを、永遠に繰りかえしたのだと感じる。たくさん繰り返し、しかもそれが少しも特別ではなかったこと。私の場合にはそれが並んで歩くことで、だからそのときの視界にある姿だけはまだ忘れていないのだろう。

 私は夢に意味を見いだす趣味がない。私はつまらない科学の子である。夢は私の頭の中身であって、そのほかの何でもない。夢見が悪いのは、だから頭が悪いのである。私は頭頂に指を置いて、言う。おまえが悪い。あんなに忘れて、でもまだぜんぶ忘れていない、おまえがぜんぶ悪い。

 暦の上でお盆が来たって私は何もしないのだが、先の土曜日の迎え盆には道ばたでそこいらの人が焚く迎え火を見た。東京のお盆は新暦でやるものだ。そして私はお盆に迎え火送り火をやる人がいるタイプの町を好む。そのようすを見ることがなかったとしても、お盆の前にはスーパーマーケットで麻幹を売っている。迎え火で燃やす、あれである。そういう光景を見るから、脳の死んだ人のための領域が活性化する。かくしてお盆は正しく死者を迎える日になる。

 これから忙しくなるな、と思う。私は年をとった。これからはもっとたくさん身のまわりの人が死ぬだろう。私の頭の中の死者のための領域はさらに狭くなり、夢はもっとおぼろになる。ひとりふたりの死者のためにきちんと夢を見ることもなくなるのだろう。そのときまではきみの夢を見よう、と私は思う。右の半身をなくした、かわいそうな死者の夢を。