傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

可愛いだけが取り柄でしょ

 犬を飼おうと思う。

 わたしがそのように言うと彼は首を曲げてこちらを見たあと、ゆっくりと元に戻した。そうして、いいんじゃないですか、と言った。この人が敬語を使うのは、わたしに何かを言い聞かせたいときと、もっと突っ込んで聞いてほしいときである。そこでわたしは尋ねる。うちに犬がいたら、あなた、あまりよい気持ちがしないかしら。もちろんここはわたしの家だから、好きにするのだけれどもねえ。

 わたしたちはこの一年ほど、週末にたがいの部屋を行き来している。わたしたちはいずれも一人暮らしで、少なくともわたしはそれをやめるつもりがない。住まいは都市のマンションであって、庭などはないから、犬と暮らしたいなら小型の犬種を室内で飼う。ここまでは確定事項である。

 彼は言う。犬は嫌いではない。アレルギーとかもない。犬のいる家に行く程度なら、とくに問題は感じない。見ているぶんには可愛いと思う。進んで飼いたいとは思わないけど、それはたぶん身近に動物がいる生活をしたことがないから。

 じゃあなんであんまり好ましくない顔をしているの。わたしが質問を重ねると、そりゃあねえ、と彼は言う。僕は犬を可愛がる余裕なんかないからね、でも犬のほうは、あれは群れて暮らす生き物だろう、だからしょっちゅう泊まっていく人間がいたら、認めて慣れるか、敵対するか、どっちかしかないんじゃないか。だからこの部屋に犬が来たら、僕は犬に認められるために何かをする必要があるんじゃないか。

 詳しいね、とわたしは言う。おっしゃるとおり犬は群れるし、しょっちゅう来る人間なら何らかの感情の交換を必要とする。そういう傾向にある。そうはいっても世話はわたしがするので、あなたに具体的な面倒はかけない。だからさ、まあ可愛がってやってよ、わたしの犬を。まだいないけど。

 余裕がない、と彼は言う。あのね、僕にとっては、あなたがもう犬のようなものなので、二匹目はいらないんですよ。そんな余裕はない。時間とかの余裕じゃなくて、気持ちの余裕がない。

 わたしは少し呆れる。そして言う。わたしのどこが犬なのよ。彼は言う。犬みたいなものだよ、だってきみは、子どもを産む気がないし、たぶん産めない。四十過ぎて男つくって、男のぶんの家事労働をやる気がなく男からカネを引っぱる気もない。そういう女に対して、可愛がる以外の何をしろというんだ。ほかに取り柄がないだろ。犬と同じだ。

 わたしは反論を試み、それから急に弱気になって尋ねた。取り柄、ないですかね、ほかに。彼は即答した。ないよ。ないでしょう。強いて言うなら「俺は女のいない男ではない」という自意識をもたらすくらいかな。あとは何もない。ゼロだ。

 わたしは少し黙る。取り柄ということばでかちんときたけれど、これを役割と言い換えれば、たしかに「可愛がる」「可愛がられる」以外にわたしが彼にしていることはない。若いころからずっと、わたしはそうだった。感情によって結びついた関係がもっとも純粋で素晴らしいのだと思っていた。家事労働やカネの都合で一緒にいるなんてつまらないことだと思っていた。わたしはそんなことはしないんだと決めていた。そうしてそのまま変わっていないつもりだった。でも男たちにしてみれば、若いころのわたしには留保があったのだ。「そうはいっても子どもを産んでくれるかもしれない」「気が変わるかもしれない」という留保が。

 きみは正しい、と彼は言った。人間は経済的にも精神的にも自立して意思に基づいた関係を築くべきだ。自分の稼ぎがあって自分の身のまわりのことができて、嫌いになった相手とは早々に別れてしかるべきだ。女だから家事をしなければならないなんてことはない。自分が女だからといって男のカネをあてにして生きるつもりは毛頭ない。うん、きみは正しい、とても正しい、俺もそう思う、賛同する、賛同して、でも、きみの犬まで可愛がる余裕は、ない。

 なるほど、とわたしは言う。彼は首をこちらに曲げたまま目を閉じている。眠ったふりをしているのか、ほんとうに眠ったのかはわからない。わたしは無遠慮にベッドを出る。シャワーを浴びながら犬のことを考える。居間のどこにケージを置くか、子犬のしつけはプロの手も入れたほうがいいか、出張を極力減らすために職場でどのような約束を取り付けておけばいいか、そういうことを考える。わたしの犬、わたしがこれから出会う可愛い犬。わたしは彼と違って、彼だけを可愛がれば気が済むということはない。