傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

好意なし、友情あり

 いや、みんな、だいたい、おたがい、知ってます。部下がそう言うので、ははあ、とわたしは返した。間抜けである。部下は笑った。うちのチーム、お互いの私的な事情はだいたいわかってます。もちろん、濃淡はあるけど。「あの人は今年お子さんが受験だ」とか、「あの人はがんが見つかったけど今のところ仕事は可能」とか、「あの人が母と呼んでいる人は二人いる」とか「あの人の前夫は暴力を振るう人間だった」とか、そのくらいはわかってます。なんならわたしがソシャゲに毎月何万も課金してて、そのためにランチは滅多に外食しないってことも、みんなわかってます。マキノさん、メンバーがお互いのプライベートを把握してるって、知らなかったんですか。

 知らなかった。私は人の気持ちに疎い。同僚の誰と誰の仲が良いか程度のことさえわからない。自分の気持ちしかわからない。私が管理する部署の人員はやや若年が多いが、おおむね老若男女いて、険悪ではないが、仲良しでもないように思う。年齢や性別や家族構成で分けてみても特段の共通点はない。職場を離れて話したいというリクエストがあれば昼食をともにする。部内で私が仕事の後にときどき一緒に出かけるのはこの目の前の部下だけである。あとは年に一回の会社主催の歓送迎会。ザッツ・オールである。

 私が若いころお世話になった上長が「だって自分の人事を査定する人間と仕事外で仲良くしたいわけないじゃん」と言っていて、実にまったくそのとおりだと思って、自分が管理職になってから真似をしている。私はその上長がわりと好きなので、たまにお願いして食事につきあってもらうのだが、それは私の都合である。

 私は世の中の人間の九割に関心がない。嫌いという関心を持つ人もあるから、好意的にかかわりたい相手は一割弱である。他人の割合は知らないが、統計データがあるような性質のものではないから、自分を基準に考えるよりない。そんなだからだいたいの人間は自分に関心がないと考えて生きている。九割が相互に無関心であって、話してもすぐ忘れる。そういうものだと思って生きている。

 ただし、個人的な関心がなくても職場において私的な事情を共有したほうが好ましいことはある。集中的に休暇を取るだとか、仕事の負荷を調整しなければならない事情があるとか、そういうときである。私としては管理する部署の全員が好きなときに有給を全日程消化してほしいのだが、弊社にはそこまでの余裕はない。法的にも有給の時期は相談して決めてよい。それで部下に相談をする。そうすると時に私的な事情があきらかにされる。「そこまで話さなくてもいいのになあ」と思うこともあるが、そんなのは部下の勝手である。私は「気が進まなければ話さなくていいですからね」と何度も言い、彼らは平気でべらべらしゃべる。「彼氏と旅行に行くんで休みます。彼氏の写真見ますか」とか(見て何になるのか)。

 ですからね、と部下が言う。それはマキノさんに対してだけしていることじゃないんです。お互いに話しているんです。グラデーションはあるけど、全員かなり踏み込んだところまで自己開示してますよ、うちの部署は。そうなのと私が言うとそうなんですと部下は言う。そしてちょっと笑って、マキノさんは鈍いなあ、と言う。

 休暇取得のためだけに話しているのでは、たぶん、ないんです。同僚っていうのは、選んだ相手じゃないけど、でも、いい人たち、多いじゃないですか。そうしたら、互いに調整できることは、したい。思いやりたいです。せっかく人生のひととき同じ場に居合わせたんだから、助け合いたいですよ。みんなマキノさんよりは他人のこと考えてるんですよ。

 美しいなあ、と私は思う。そしてこの美しさは実は当たり前なのかもしれないなあと思う。私は複数の人々がいがみ合う人間関係を実は見たことがない。一方的な暴力やハラスメントはたくさん知っているが、内輪揉めみたいなのはほとんど見たことがない。

 私がそう言うと部下はまた笑って、それはマキノさんが気づいていないだけですよ、と言う。けっこうけんかもしてます、悪口言いあってる人たちもいます。マキノさんが気づいてないのは友だち少ないからですよ。部内にわたししか友だちいないじゃないですか。あのね、嫌いな人はいても、その人の事情は了解しているんです。仲良くない人でも、助け合うの。わかんないかなあ。

 よくわからないと私は言う。しかたないですねと部下は言う。