傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

嘘つきサキちゃんの不払い大冒険

 サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。

 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきがいます。サキちゃんは後者でした。完全にほんとうだと思いこむと嘘がばれないように操作することができません。サキちゃんはそのさじ加減が絶妙でした。嘘を嘘と自覚しながら意識の中ではほんとうと思い込む。サキちゃんはそういうタイプの嘘つきでした。

 サキちゃんの妹はやがて、それほど派手な嘘をつかなくなりました。姉妹が中学生のときのことでした。嘘つき姉妹は解散し、嘘つきサキちゃんだけが残りました。サキちゃんは妹を軽蔑しました。正直になった妹は地味で、ださい連中と一緒にいて、いつだってキラキラのすてきなグループにいたサキちゃんとは格が違っていたからです。

 サキちゃんは大学生になりました。それから、自分にはお金がないことに気づきました。人並みの、そこいらのぼんくらな学生たちと同じくらいしかお金がないのです。なんということでしょう。そこでサキちゃんはITベンチャーを立ち上げました。サキちゃんは小さな仕事からはじめて、着実に顧客を取りました。就職超氷河期と呼ばれた時代ですが、サキちゃんは平気でした。自分の会社をやっていく自信があったからです。

 サキちゃんはITのことはよくわかっていません。ただサキちゃんは、人に「すごそう」と思われる能力が段違いに高かったのです。その内容はもちろんハッタリという表現でおさまるものではなく、嘘でした。嘘つきサキちゃんは、ついに嘘で稼ぎを得ることに成功したのです。

 手順は簡単です。サキちゃんは仕事を取ります。それを下請けに出します。一人あたま数万円から十数万円の少額下請けです。誰かがその作業を請け負います。サキちゃんはその仕事を右から左に納品します。下請けにもちゃんとお金を払います。愛想よく挨拶して、食事を奢ってあげたりします。

 サキちゃんはすてきな女性です。キラキラしていて、でも親しみやすく、初対面の人でもきゅっと距離を詰めます。小さなころのサキちゃんの嘘は、お金のためのものではありませんでした。人に気に入られるためのものでした。愛されやすさを、サキちゃんは修得していました。疑い深い人間であればそれがあまりに表面的であり操作的であることに気づきますが、サキちゃんはそんな心のまずしい人間に用はありません。サキちゃんはやさしくて愛情深くて自分を気に入ってくれる人だけが好きなのです。

 やがてサキちゃんは、学生アルバイトの下請けだけでなく、プロのフリーランスや小さな法人の信頼をも得ることに成功します。サキちゃんの仕事の額面はだんだん大きくなります。そしてちょうどいいタイミングで、その一部にお金を払わなくなります。

 お金を払っていないことを、サキちゃんはメールに書きません。払ったとか払わないとか書くのはしろうとです。相手が「それなら待とうかな」と思うような文言を、相手のタイプによって使い分けます。相手がいよいよ怒ったら、まるで相手のほうが悪いかのように思わせる表現を送ります。サキちゃんのすごいところは、相手がものすごく疲れて、これ以上かかわりあいになりたくないから数万円を(あるいは十数万円を)諦めようと思うようなコミュニケーションを取る能力があることです。サキちゃんはまず愛され、それから「もういい」と思われることに長けていました。

 サキちゃんはこのようにして最初の「成功」体験をしました。頃合いをみて会社をたたみ、引っ越しをしました。そして別の会社を立ち上げました。原資はもちろん前の会社の不払い分です。より規模を大きくし、より操作を徹底し、サキちゃんはさらに「成功」します。しかし不払いの額面が大きくなったので一度訴えられそうになりました。サキちゃんはぎりぎりのところで逃げました。

 サキちゃんはそれを繰り返します。地元の松山にはじまり、名古屋、仙台、福岡、札幌と移り住み、それぞれの地で会社を立ち上げ、そして畳みました。サキちゃんはそのあいだに結婚し、離婚しました。子どもはいません。サキちゃんは、子どもはほしくない。サキちゃんは自分より愛されるものなんて欲しくないのです。

 サキちゃんの被害者は、一度ずつしか被害に遭いません。そして被害額は訴訟しても損をする額面のうちです。だから今のところサキちゃんは無事です。どうしてわたしがそのことを知っているのかって? それはわたしがかつての「嘘つき姉妹」の片割れ、忘れられた「嘘つきマキちゃん」だからです。わたしはこつこつと姉の所行を記録しています。いつか地獄に落としてやる。