傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

字がきれいで、声がいい

 私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが、書の先生が来る日に保育園の入り口にかかる札には、麗々しく「生徒募集中 月謝千円」と書いてあったから、まあ千円なら、ということだったのだろう。

 保育園でいちばん大きい部屋に入ると長机がいくつかあって、子どもたちはそこに座って書く。床で書く子もいる。実にいろんな年齢の子どもが出入りしている。先生は午後いっぱいいて、子どもたちは好きなときに来て好きなときに帰る。授業のようなものはとくになくて、小学校で使うお習字セットを持って行き、保育園の本棚の上のほうに仕舞ってある「千字文」というお手本を見て書く。練習は新聞紙でやる。半紙を使うのはよく練習してからである。半紙に書くと何枚かに一枚はいい感じに見える。それを持って行くと先生が朱を入れてくれる。一文字にどれだけの時間をかけるかも自分で決めていた。

 小学生が多かったように思うが、高校生も来ていたし、未就学児もうろうろしていた。保育園の時間外保育も兼ねていたのかもしれない。今にして思えばいろいろとめちゃくちゃだった。でも先生はいつも「世界はこれでよろしいのです」みたいな風情で座っていた。白髪をきりっと編んでいて、あまり笑わず、でも怒っているのではなくて、いつも明るい色の服を着ていた。

 その教室にひところ、小学校高学年の生意気盛りの男の子が来ていた。よしおくんと呼ばれていた。よしおくんは保護者に強制されていやいや来ていたのだと思う。そして教室で仲良くする相手もできないのでますますおもしろくなかったのだと思う。その日は特段に機嫌が悪く、近くの子どもにからみはじめた。先生はふだん、さぼっている子もあまり注意せず、うるさいときにだけつかつかと近寄って行くのだが(そうするとみんな黙った)、そのときは立ち上がらなかった。よしおくんの声がだんだん大きくなった。字なんかきれいでもしょうがねーじゃん、と言った。得になることないじゃん。バカだろ。

 最後はしんとした教室に男の子の声が響き渡った。先生は席を立たず、でもいつもより大きな、教室中に聞こえる声で述べた。字がきれいだとわたしは気分がいい。字がきれいなのは話し声がいいというようなものです。なんにもなりやしないと言う人もあるでしょう。よしおくんに誰かがそう言ったのかもしれません。でもわたしはそうは思いません。自分の気分がいいことよりだいじなことなんかあるものですか。その次にだいじなのは人の気分をよくすることです。よしおくんはそのどちらかができますか。先生はよしおくんがいっしょうけんめい書いたらいい気分になりますよ。

 私は思い入れをもって書をやっていたのではない。義務教育の授業時間は短い。とにかく家にいたくないので、できるだけ友だちの家に上げてもらって、あとは図書館で本を読んだ。そうして歩いて、たくさん歩いて、疲れたら座る。いつもすごく眠たかったけれど、河川敷で本格的に眠れる季節ばかりではない。だからただ座って、目の前にあるものをじっと眺めていた。河川敷に行くのでなければ、駐輪所で自転車を眺めているか、住民のふりをして団地の階段に座っているか、そんなところだ。それに比べたら千字文を見ているのはけっこういい。見て書いて、退屈がまぎれる。それに「何を習っているの」と訊かれたら「お習字」と言える。だからやっていた。

 先生は字がきれいだと気分がいいのか、と私は思った。それから話し声がいいと好きになるのかと思った。よしおくんはばつが悪そうに知らんぷりをして、それでも出て行きはしないから、そんなに悪い子ではないんだなと思った。

 それからまたしばらく経って、帰り際の誰かが、せんせえ、と訊いた。いい声でおはなしするにはどうしたらいいですか。私をふくめて皆がいっせいに視線を上げた。先生は質問をした女の子からまったく視線を動かさず、それはですね、と言った。まずは自分の声を知ることです。おうちのカセットテープで録音して聞いてみるといいでしょう。それから女の人のなかにはやたらと高い声を出す人があるけれど、あれは実にいけない。きんきんした声はほんとうにいけません。それだけ覚えていらっしゃい。

 私の話し声が低めで、字がまあまあ整っているのは、そういうわけである。