傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

楽しげな景色

 自分よりも年長の、それも極端に年上なのではない、ひとまわりくらい上の知己に会うとする。すると彼らはほぼ確実に、やれ老眼だ中性脂肪だ高血圧だと、話の枕のように老化の状況を口にする。その顔はちょっと楽しそうだ。中年の後輩ができて嬉しいのだと思う。彼らの老化ネタは身体にとどまらない。曰く、読書するときの持久力が衰える。仕事上のインプットが遅くなる。外国語がどんどん下手になる。物忘れのひどさといったら驚くほどだ。わたしはほうほうと彼らの話を聞き、そりゃあたいへんだ、と言う。そうして自分の腰痛や胃カメラの話をして、わたしも順調に大人の階段を上っています、と言う。

 彼らはそのように老化現象を共通の話題として軽くこなしたあと、近ごろのできごとを楽しそうに話す。わたしが仕事の悩みなど相談すると、詳細な助言と大雑把な励ましをくれる。だいじょうぶだいじょうぶ、あと二、三年の辛抱だ、そうしたら今まで積み上げてきたものが有機的につながって、ものすごくラクになる。成果も出放題だ。約束するよ。職業とあなたのいちばんいい時代はこれからだ、職とあなたは二十代で出会い、三十代に波瀾万丈を経験し、四十代で蜜月を迎える、楽しみにしておいで。

 彼らの言うことが事実かは知らない。そんなふうに話す人は若いうちからしている努力が報われたのだろうと思う。誰もが適切に努力できるのではないし、すべての努力が報われるのではないとも思う。わたし自身が正しく努力してきたかにも自信はない。だから彼ら言うことが実現するとはあまり思われない。でもわたしは、そうかあ、楽しみだあ、と言って、笑う。わたしたちはほんとうの話をしたいのではない。わたしたちは美しい物語を話したいのである。各自が世界をどのように見ているかという報告をして、その美しいところを交換したいのだ。

 わたしは年長の友人たちに、自分の仕事の相談をしたいのではなかった。具体的な相談が必要だったのはだいぶ昔のことだ。今のわたしに、彼らの助言は必要ない。わたしはただ、自分より長く生きている人が楽しそうにして、この先も楽しいにちがいないと宣言する姿が見たくって、相談めいた話題をもちかけるのだ。

 わたしももう中年なので、職場でときどき、若い女性社員のロールモデルになるようにと言われる。仕事の内容は性別に関係がない。それなのに女性と区切るのはなぜかといえば、若い女性社員が仕事を含めた生活であるとか、生き方であるとかを考えるときの参照先になるようにと、そういう話であるらしい。

 上長からそうした話をされると、わたしはあいまいな顔をする。わたしにはロールモデルという語の意味がどうもよくわからない。いろんな年齢の同性が近くにいると働きやすいのはわかる。なぜなら従来の社会は女性全般を不当に扱ってきたのであり、その悪しき文化は企業の中に深く根づいているからだ。そりゃあ同性がいたほうがよろしい。でも同性の生き方の標本が必要だという考えはよくわからない。わたしは大人になってからどこかの女性を見本にした記憶がないし、同性の友人たちからそういう話を聞いたこともない。うちの会社の使っている社員教育マニュアルか何かに書いてあるだけで、内実はないんじゃないかと思っている。だって、幼い子どもや思春期の少年少女ならいざしらず、もう大きくって、働いているのに、他人の生き方とか、どうでもいいじゃんねえ。

 わたしが見て安心するのは、自分と似た属性の人ではなくて、似た生き方をしている人でもなくて、愉快そうに生きている人だ。その人が年上なら年をとるのはいいなと思うし、若ければ今後の世の中は希望に満ちているなと思う。その人が女なら女でいるのは素敵だよねと思うし、男なら男でいるのもいいものなのだろうねと思う。わたしはあなたとぜんぜんちがう人間だけれど、あなたが楽しそうだから、わたしはうれしいですよ、と思う。

 

 わたしには昔から理想像のようなものはとくになかった。かなえたい夢のようなものもなかった。できるだけ苦痛が少なく心楽しい生活を送るという基準で進路を選んできた。今も、仕事や生活に対する願望や野心はない。目標は「健やかに長生きする」くらいのものである。ただ、自分が誰かにとってちょっといい景色であればいいなと思う。職場でもいいし、道ばたでもいい。自分が誰かの人生の好ましい背景であればいいなと思う。