傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛された子のピアノ

 メイ先生の家に行く。メイ先生はわたしが小学生のときに近所でピアノ教室をしていたおばあさんである。息子たちが独立して久しく、五年前に夫が亡くなってひとり暮らしをしている。さみしかろうと思ってときどき行く。

 わたしにとてピアノはただの手習いのひとつで、たまたま自分に与えられたものだった。幼いころからそういう認識を持っていたし、両親もそのような姿勢だった。だからてきとうにやっていた。妹も同じようなものだったはずだ。それでも、妹の弾くピアノには自然に人を引きつける響きがあった。妹はときどき、集中しすぎているような、ぼんやりしているような、半ばこの世にいない者のような顔をすることがあって、ピアノを弾いているときもしばしばそうなった。

 妹は特段に造作が整った子というわけではなかった。目から鼻に抜けるような賢いタイプでもなかった。でも妹は特別な子どもだった。はじけるように活発で、思いもかけないことを言い、早弾きみたいに笑った。そのくせときどき手がつけられないほど陰鬱な顔をしてふさぎこんでいた。赤ちゃんみたいなところと大人みたいなところが同居していた。子どもたちは競って妹と仲良くなりたがったし、大人たちも妹を見るとほとんど必ず相好を崩した。

 メイ先生ももちろん妹を可愛がっていた。メイ先生の家は近所で、自宅にピアノを置いて子どもに手習いをさせる、町の教室だった。わたしと妹は週に一度か二度、メイ先生の教室に通っていた。

 わたしにとってメイ先生は大勢いる周囲の大人のひとりにすぎなかった。ピアノも当たり障りのない習い事でしかなかった。でもわたしが愛の不公平さについて知ったのはピアノ教室でのことだった。妹はただピアノを弾いていただけだし、メイ先生もそのそばでときどきアドバイスを与えているだけだった。それなのに、わたしは直感した。義務や利害抜きに、メイ先生は妹を好きなのだ。わたしは絶対に妹のように特別に愛されることはない。そしてそれはメイ先生にかぎったことではない。妹は特別に愛される子どもで、わたしはそうじゃないんだ。わたしはふつうなんだ。

 その感情は喜びでも悲しみでもなかった。高揚感があり、落ち着きのなさがあり、妹がうらやましいと感じる一方で、目立つのは好きじゃないから妹みたいじゃなくてよかったとも思い、そんなにも特別な子どもがわたしの妹だということが誇らしくもあった。わたしたちは仲の良い姉妹だった。

 だった、と思う。でも妹は若くして周囲の誰にも行き先を告げず姿を消した。成人後のことで、事件性も確認されず、本人の意思で行方をくらました、ということになった。残された家族はどうしたらいいかわからなかった。

 そもそもわたしも両親も、妹のことをそれほど理解していなかった気がする。妹の素行や成績は平凡の範疇だったけれど、内面はそうではなかったように思う。妹にはわたしや両親にはない、触覚とかしっぽとか、そういうものが実はついていて、それでもって世界のひどく邪悪な部分、あるいは焼かれるほど美しい部分に触れてしまって、だからわたしたちの知らない世界に行ったんじゃないかと思う。

 メイ先生を訪ねるとお菓子が出てくる。ブルボンの、うんと昔からある、個包装の菓子だ。ピアノ教室でも同じものをときどきくれた。わたしはもう大人で、メイ先生はおばあさんで、だからわたしはもっとフォーマルなお菓子を手土産にしているけれど、メイ先生が出すものは変わらない。わたしはそれを決まってひとつだけ食べる。

 あなたが小さかったころ、とっても楽しかったわね。メイ先生が言う。お教室にはいろんな子が来たけれど、みんなかわいかった。夕方になるとみんなおうちに帰った。わたしも急いで家族のごはんを作った。家族が帰ってきて、ごはんを食べて、テレビを観て。それ以上のことなんかなかったわ。

 でもね、そういう日々が引き留められないものもあるの。人はいなくなることがあるの。本人の意思かもしれないし、何か恐ろしいことが起きたのかもしれない。真実はわからない。でもいいこと、妹さんがいなくなったのはあなたのせいではないの。あなたの妹さんは、あなたがわかってあげなかったからどこかへ行ってしまったのではないの。何年も何十年も自分を責め続けてはいけないのよ。

 はい、とわたしはつぶやいた。妹はみんなから愛されていた。でもその愛は妹をこの日常に引きとめておく錨にはならなかった。わたしはそのことにずっと納得していなかった。わたしはこんな年齢になるまで、それを認めていなかった。わたしはうつむいて少しだけ泣いた。