傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

夫が病気になったので

 朝はテレビのニュース番組をつけっぱなしにして、見ていたり見ていなかったりする。わたしの家の朝の日常的な光景だ。夫は決まってトーストとコーヒー、わたしはそれに加えてヨーグルトかチーズを食べる。トーストを焼くのは夫、コーヒーを淹れるのはわたしである。娘が生まれる前は朝食に火を使うこともあったが、今はそんな余裕はもちろんない。娘はパンをあまり好まないので、まとめて作って冷凍しておいたいくつかの味つけのおにぎりをレンジアップして食べさせる。食べないこともあるが、わたしも夫もあまりうるさくは言っていない。

 今朝は娘が自ら保育園に行く支度をしたので少々の余裕があり、ニュースを横目で見ながら感想を述べた。さる医科大学が女性受験生の得点を割り引いたというもので、非常に差別的かつ複合的な問題を感じさせる事件だ。それを見たわたしは当然怒った。ひどい事件だ、と言った。すると夫が言った。しかたないんじゃないの、女医さんばかりじゃ困るんだから、ちゃんとした医者がいないと。

 えっ、と思う。振り返ると夫はすでにいない。ドアが閉じる音がする。夫は通常の出勤時間、わたしは娘が小さいあいだは送り迎えの「送り」ができるよう職場で調整してもらっているのだ。娘が得意げに支度のできたところを見せにくる。娘に朝食をとらせる。娘は小さなおむすびをひとつだけ食べる。娘に靴を履かせる。自分の靴を履く。先ほどの記憶がよぎる。背筋が寒くなる。けれどそれも朝のあわただしさ、娘の登園と自分の出勤を時間内に終わらせる義務感の後ろにすっと下がってしまう。

 夫と喧嘩をしたことがないのではない。結婚直後、妊娠時、出産後、生活が変わるたびに激しく言い争った。家の中でどちらが何をするか、何をどこまで許容するかというのが、その主題だった。要するに生活のための喧嘩である。わたしばかりが損をしているとわたしは思いたくなかった。喧嘩をしてでも納得のいく家庭内の負担のわけあいをしたかった。夫は喧嘩から逃げたことはなかった。ちゃんと自己主張をし、折れたり折れない理由を述べたりした。だからわたしは夫をとても信頼していた。

 あの発言はいったいなんだったのか、とわたしは思った。あれは論外だろう。夫はわたしの仕事を認めて、娘の教育についてもちゃんと考えている人だ。少なくともわたしはそのように認識している。でもあんなことを言った。わたしは帰りの電車でネットスーパーの注文ボタンを押しながら決意する。夫をきちんと問いたださなければなるまい。

 しかしその夜、夫の帰りは遅かった。翌日はわたしが残業である。わたしと夫は保育園の送り迎えの割り振りをしながらたがいの仕事時間を調整しているのだ。週に一度は近くに住むわたしの母が全面的に育児と家事をサポートしてくれている。朝のニュースが流れる。わたしはそこから目をそらす。当たり障りのないニュースでありますように、と思う。そうして気づく。わたしのトーストがない。

 夫は当たり前の顔をしてコーヒーをのんでいる。パン食べないの、と訊くと、出てこないからね、と言う。わたしは彼を見る。彼はスマートフォンを見ている。娘がぐずぐずしている。おとうさあん、と言う。夫はスマートフォンを見ている。わたしは娘に声をかける。夫はため息をつく。そしてつぶやく。まったく、この家はジョセイサマの家だな。わたしは一瞬、漢字の変換ができなかった。じょせいさま?

 わたしは週末に夫と話をしようとした。しかし夫は応じなかった。わたしは泣きそうになった。夫は変な冷笑を浮かべて、ふだんしていた掃除もしないのだった。夫に任せているからすぐにどうこう言うことはない。しかし、ふだんより明らかに何もしない。わたしが作る料理にお礼も言わない。娘のお迎え当番だけは行っていたが、娘をかまう頻度はあきらかに減っていた。

 半年を目処に、きちんと話せないなら離婚の可能性も考えなきゃいけない。そう思った。住宅ローンは共有名義で半分ずつ返している。わたしは自分だけで返すことを考えてローンの計算をしなおした。洗面所に行くと鏡にものすごい顔の女が映っていた。

 

 彼女はここで話を切る。聞いていた私はごくりと喉を鳴らし、ことばを探し、それからまた黙った。聞くだに怖いでしょ、と彼女は言った。ところが、その後、夫は元に戻ったの。暇さえあれば娘の世話を焼いて、まめに掃除をして洗濯物をたたんで、わたしの料理を賞賛して、おかしくなった時のことを話しても「ごめん、覚えていない」と言うの。まるで一過性の悪い病気になっていたみたいにね。