傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

友だちの解放奴隷の話

 三百万ほどもらってくれないか。

 友人がそう言った。言ったきり、いつもの顔して大きなカップでコーヒーをのんでいるのだった。私は少しひるんで、しかしそれを悟られないよう真顔をつくり、ジョージ・クルーニーか、と返した。それはなんだいと友人が訊くので、お金持ちの俳優が友だちに一億円ずつ配ったんだと説明してやった。

 一億円はないなあ。友人はそう言うが、奨学金の繰り上げ返済を終えたと話していたのが少し前だから、あんまり貯金はないと思う。三百万他人にやったら明日からどうするんだよ。そう尋ねると、働く、と彼女は言う。案の定、もらってほしいのは預貯金の全額らしい。私はゆっくりと彼女を諭す。よろしいか、ジョージ・クルーニーだって全財産を手放しているのではない。持っているものをぜんぶ人にやってはいけない。持っているうちのいくらかしか、誰かにやってはいけない。そもそもあんたはろくなものを持っていない。何も持っていないにひとしい。彼女はにこにこして頷く。だからさあ、と言う。だから、邪魔なんだよ、わたしは何も持っていないのがいいんだよ、そのほうが落ち着くんだよ。

 この友人はまともな養育者がなかった。大学生の時分には奨学金を親(と言いたくもない)が受け取って使っていた。それ以前の生育歴の詳細を想像すると私の具合が悪くなるから、意図的に想像力を停止している。彼女とは大学で知り合った。私と何人かの友人は、力をあわせて彼女の認識の変更を迫った。のちにできた彼女の恋人もそこに加わった。

 彼女はほんとうにばかだった。何も知らなかった。私たちがいちいち教えてやらなければいけなかった。好きなものを買って、自分のために料理をして、食べるべきであること。部屋に自分ひとりのときにも、冬は暖房をかけ、夏は冷房をつけること。自分の小さなけがや疲労をケアすること。風呂上がりには誰かが使用したバスタオルではなくて、洗濯したてのタオルを使うこと。自分の稼いだカネは自分のものであること。逃げなくていいこと。追うやつがまちがってるのだということ。そうして彼女は数年でまともになった。なおって良かったねえと私たちは喜んだ。

 なおってない。ぜんぜんなおってない。私がそのようにつぶやくと、彼女は首をごきごきと鳴らし、そうか、とこたえた。杉浦くんの言うとおりだね、やっぱりそっちが正しいのか。

 杉浦くんというのは彼女の学生時代の恋人の名で、今は恋人ではないんだけれども、なんだかときどき会ってはいるらしい。だってわたし二年くらい杉浦くんの家に住んでて家賃払ってなかったし、ごはんもいっぱい食べさせてもらったし。彼女はぶつぶつ言い訳をするが、そんなのはどう考えても後付けの理屈で、要するに彼女は世界に対して借りのようなものがあるなら返してしまいたいし、自分が勝ち取ったものをろくでもない誰かに持って行かれるくらいなら自分が好意を持っている相手に押しつけてしまえばいいと思っているのだった。持って行かれるわけないじゃないか。ぜんぜんなおってない。

 奴隷根性。私は宣言する。あんた、その奴隷根性、いつまで持ってんだよ、解放奴隷かよ。奴隷が悪いわけないじゃん、奴隷制度が悪いに決まってるじゃん、そんなのあんただってわかってるでしょうよ、頭でわかったら身につけろ、それくらいの時間は経っただろ、訓練しろ、私は奴隷の友だちになった覚えはない。

 彼女はくちびるをとがらせ、だって、と言う。寄付とかしても、ぬるい、気が済まない、杉浦くんは、寄付は、控除後の額面で一ヶ月に五千円までにしろって言う、あいつ細かくない?なぜ五千円?

 私はだまっている。彼女はため息をつく。そうして椅子にそっくりかえって、どうせわたしがまちがってるんだ、と言う。どうせね、わたしがいつまでたっても病気なんですよ、悪かったね。悪いとも、とわたしはこたえる。悪いと思ったら、へんなことしそうになったときは、私たちに言え、今みたいに。そしたら、それは間違ってるって言ってやるから。あんたは、間違った枠組みにむりやり押し込められて変な育ち方をしたんだから、間違っていて当然だ、十年やそこいらでなおらなくても、別にいいから、なんなら死ぬまで病気でも、かまわないから、その枠組みを超える努力をしつづけてよ、私たちにそれを見せてよ、病気の、まちがった、なんにも知らなかった人間が、幸福になって、幸福でいつづけるところを、私たちに見せてよ。