傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

春と歌

 ぐずぐずに疲れて家路に就いた。わたしは二十三歳で、世間は不景気で、氷河期という名をつけられていて、だからとても寒くて、芯から冷えていて、世界は暗黒で、わたしのまわりには、誰もいなかった。オーロラという神話を、わたしは待っていた。こんなにも寒いのなら、その美しいものが目の前に現れてくれていいはずだと思った。マッチ売りの少女の死に際みたいに。

 わたしはアルバイトから帰るところだった。大学院生という身分はあって、学費は免除されていて、大学はわたしに少しのお金をくれたけれども、そうでなかったらいくら就職がなくったって進学なんかしなかったけれども、そのカネは、家賃を払って国家の要求する金を出して三食食べて眠るには足りなかった。そんなことは大学生のころから変わらなかったのに、高校生のころからずっとそうだったのに、わたしは、そのころみたいに愉快じゃなかった。大学生のころも高校生のころも、ただ生きているだけで楽しかったのに、二十三になったら、わたしはなんだか贅沢になって、生きているだけでは満足できないのだった。そのくせ生きているよりほかの価値を知らないのだった。生きて、生き延びることだけがわたしの目標だったから、生きたあとに憂鬱だったら、どうしていいのかわからなかった。

 わたしはさみしかった。二十三にもなって誰からも生きていていいと言われなかった。もう大人になったのに、白紙の値札をつけて企業の窓口を渡り歩いても、誰ひとり、わたしを欲しいと言わなかった。世界が悪いんだとみんなは言った。不景気が悪いのだと言った。未曾有の不景気がやってきたのだから、あなただけがつらいのではないのだから。そう言った。みんな就職先がなくて苦労しているのよ。

 わたしにはわからなかった。みんなが与えられている養育環境を一滴ももらえず、少女のころから食い扶持のことばかり考えて、たくさんのテストをパスして、いちばんいい点数を取って、それで十年経って、一人前になったと思っていたのに、住居の保証人だの就職の保証人だの緊急連絡先の親族だのを求められて、そんなのはないのだと言いながら割れるまで奥歯を噛んで、わたしは、何者でもなかった。早く一人前になりたかった。誰にも後ろ指を指されない大人になりたかった。でもなれなかった。とうとうなれなかったのだ、と思った。わたしは親だとかそういうものがなくて、誰の助けも得ないで、ろくでもない大人たちに媚びて媚びて媚びてやっと得た時間で図書館に行って勉強して、ここまで這い上がってきたのに。

 この先なんてあるはずがないと思っていた。二十三年も生きてなんにもできなかったんだと思った。そこいらのぬくぬく育って保護されている若い女と同じように観られたくて着飾って貰い物を使って顔に色を塗っていたけれども、わたしは自分が、何ひとつ成し遂げることができずに死んでいくだけの、悪臭をはなつ醜い生き物だと知っていた。プレスした古着、接着剤を使った靴、見習い美容師の切った髪、からっぽの胃袋、皮膚を覆うビニールのような無感覚、ろくに見えていない目。古いめがねが壊れて半年になる。

 家庭教師先はどれもこれも立派なおうちで、子どもたちはだいたい目が死んでいた。わたしの欲しかったものを生まれたときからぜんぶ与えられているくせに。わたしはへらへら笑って彼らの高価なテキストを開きながら絶望した。わたしがずっとうらやましかった子どもたちは少しも楽しそうじゃなかった。それならわたしはもう誰のこともうらやむことができないじゃないか。

 わたしはカネのための愛想笑いをわらい、カネをもらって帰った。歩いて歩いて繁華街に入った。眼前にスクリーンが出現した。いつもの光景だ。わたしは足首の角度を調整しサイズの合わない靴の踵を引きながらそこに向かって歩いた。

 歌が聞こえた。当たり前のコマーシャル、そのためのスクリーン。わたしはなんでもなかったふりをしてその場を離れようとした。それに失敗した。歌に殴られて失敗した。

 わたしは路地裏に避難した。歌は追いかけてきた。わたしは回収を待つゴミ袋のあいだに座りこんで泣いた。わたしは長いこと泣いたことがなかった。わたしは自分を、強い大人だと思っていた。誰にも助力を得ずひとりで生きているから立派な大人なのだと思っていた。でもそうじゃなかった。そこいらのポップソングひとつで背骨を砕かれて立てなくなるほどに、わたしは弱かった。わたしは疲れていた。しんから疲れていた。わたしは寒かった。オーロラがまぶたの裏に踊り、夜明けが来るまでわたしは泣いた。