傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

何もかもを捨てるための具体的な方法

 なにもかもがいやになった。

 私はもとより性格が暗く、わりとしょっちゅう「ああ何もかもがいやだ」と思う。時間が経つと「やっぱり何もかもがいやなのではない」と思い返す。定期的にそれを繰りかえす。もう飽きるほど繰りかえしているので、鬱々とした気分がやってくると「また君か」と思う。人生は刺激的な冒険であると同時に、平均寿命の半分も過ぎないうちに飽きてしまうルーティンワークでもある。鏡を見れば同じ顔しか出てこない。中身も知れている。そりゃあ、ときどきは「何もかもがいやだ」という気分にもなる。ずっといやになっていないだけ立派なものである。

 そんなときには小屋のことを考える。小屋は伊豆半島の、人がたくさん来ない側にあって、海に流れ込む直前のきれいな川のほとりに建っている。山あいだけれども、人里離れているというほどではない。隣の敷地は畑で、その向こうには人が住んでいる。私はその小屋を使うことができる。小屋は友人のものである。この友人は建築の趣味があって、もうひとつ自分で建てたいから今のはやるというのだ。私はものを持つということがあまり好きではなく、ささやかな小屋といえど所有権などあるとだんだん気が滅入ってくるにちがいないので、名義は友人のままにし、税は私が支払うということで話がついている。

 小屋には毎年遊びに行っているからおおまかなことはわかっている。交通の便はよくないが、舗装道路は通っていて、原付を一台買えば暮らしは成り立つ。固定資産税は五万円程度である。 小屋には水道も電気も通っていないが、徒歩五分の湧水でおいしい水を汲めるし、敷地内にバイオトイレのテントもある。庭で芋など育てるのも良い。風呂は近所の温泉を使用する。洗濯は原付で20分の町に降りてコインランドリーを使う。町にはスーパーマーケットだってある。

 何もかもいやになった私は部屋を見渡す。よし、小屋だ、と思う。この賃貸物件をさっさと解約して出て行くんだ、と思う。キャリーケースにいくらかの衣類と洗面用具を入れる。それから電化製品を吟味する。小屋において、電気は発電器を回したぶんしか手に入らない。インターネットは一日十分とかに制限しなければならない。湯水のように電力を使うMacBook Airは売り飛ばして、書き物用にポメラを買うことにする。

 収納用の衣装箱がひとつ、空のままクローゼットに入っている。それを引っ張りだし、小屋に送るものを詰める。まずは寝袋である。小屋のある伊豆の気候は温暖で、冬も寝袋にはまっていればよく眠れる。私は東京でも暖房なしで暮らしていたことだってあるのだ(なにかにつけ「なくてもどうにかなるんじゃないかな」と無駄なチャレンジをする傾向にある)。冬までに羽布団を買うのも良い、と思う。箱に筆記具といくらかの本を入れる。お守りめいたがらくたを少し入れる。ちょっとした工具を入れる。私には大工の腕がない。けれども、今の家主が「譲ったあともたまに家族で遊びに来たい、ついてはそのときに大工仕事を引き受けよう」という。だから、どうにかなるだろう、と思う。箱は宅配便で送ることにする。

 ごみはどうしよう、と考える。居住が禁じられているわけではないから、住民税と町内会費などを支払えばごみを捨てることができるだろう。小屋周辺の治安はよいが、犯罪がないわけではない。木造小屋に火をかけられたりしたら焼け死ぬ。けれども、東京で交通事故や犯罪被害に遭う可能性とたいして変わらないと思う。どこに住んでいても他者の悪意より自分の不注意で死ぬ可能性のほうがはるかに高い。

 小屋で暮らすために必要な能力はわずかである。電化製品を使わず調理や掃除ができる、むかで程度は踏み殺せる、といった初歩的なサバイバル能力があればじゅうぶんだ。私のサバイバル能力はたいしたことがないので、生活の些事を片付けるだけで労力がかかるだろうし、工夫も必要だろうと思う。好都合だと思う。長いキャンプのような暮らしにおいては、生活の維持がすなわち娯楽である。

 よろしい、問題はない。そう思う。今の家の家具やなにかを処分する方法を検索し、便利屋さんに頼めば数万円でぜんぶ持って行ってくれることを確認する。安心する。あしたになっても何もかもいやなままだったら、仕事も人間関係も住処も捨てて小屋に行って貯金が尽きるまで暮らそう、と決める。私は安心する。それから思う。私には逃れられないものなどないし、捨てられないものなどない。小型のキャリーケースと箱ひとつより多くのものは、ほんとうはなくてもよい。だから、だいじょうぶだ。

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