傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女の失敗した結婚

 わたしの結婚はねえ、と彼女は言った。失敗だったわよ。なくてもよかったものだったのよ。仕事だってそう。わたしはちょっと美容院をやって景気のいいときに土地を転がしただけよ。かれはかれにしかできない仕事をしたから、わたしよりはましね、でもたいして変わらない。

 彼女はそのように言う。そのように言う人がもしも中年以下であれば、私は返答を検討せざるを得ないし、どうかすると不快に感じたかもしれない。けれども彼女は七十で、ひどく陽気で安定していて、だから私は、そうですかと軽く頷くことができるのだった。どのような反応をしても、それが正直なものであれば、彼女が気を悪くすることはない。隠蔽と追唱を彼女は憎み、その気配を敏感に嗅ぎつける。

 彼女は背筋の伸びた、顔の小さい元バレーボール選手で、染めていない髪をいつ会っても同じ軽くカールしたショートカットに整え、三十歳年下の私と同じだけの食事をぺろりと平らげる。容赦なく甘く風味の濃い欧州菓子を手土産にすると喜び、店の名をメモに書き留める。新幹線に乗ると満面の笑みで缶ビールをあける。そんなはずはないのにまるで苦労や苦悩と縁がないみたいに歪みのない笑いかたをする。いかにも昔の山の手の生まれの、ほの甘く切れのいい女言葉を遣う。

 彼女の「かれ」は彼女の七つ年嵩の夫で、ひところは有名な舞台俳優だった。あちらこちらの劇場をいっぱいにしてときどき映画の端役をやり、コマーシャルに出ながら自分が出ないコンテを持っていった。演出家とコピーライター兼ショートフィルム監督としての芸名のほうが知られている。

 彼女はテレビ局のヘアメイクをしていた時分に未来の夫と出会い、三ヶ月で結婚した。誰でもよかった、と彼女は言う。とにかく結婚しろという時代だったから、お見合いをして、そうしたらあんな生意気な女はいやだと三人に断られて、困ったなあと思って、そうしたらあの人がいて、だからねえ。

 ふたりは五十年ちかく、揃ってよく喋る長身の端正な夫婦であり、彼女はそれを完全な失敗だという。理由は子がいないこと、それから自分が夫なしには生きられないことがなかったためだと、そのように言う。だって、わたしたちが結婚しなければ生み出せなかったものは、この世にないのよ。それが失敗でなくてなんでしょう。

 ねえ、サヤカちゃん。わたしはたぶんかれの恋人であるべきだったのよ。子がなくてたがいに生活に困らないなら恋人でいいでしょうに。そうじゃないかしら、そうだと思うわ、理屈でいえば、そうでしょう、ねえ。わたし、ほかに好きなひとがいたこともあったのよ。かれもそうだわ、女好きだもの、ねえ、サヤカちゃんのことだって、もしもいま五十かそこいらなら口説いていたというのよ、ありゃあ話のできる、ちょいといい女じゃあないか、ってね。ほんとうよ。娘みたいな年齢だからその気にならなかったのですって。どうせ相手にされないのにねえ。

 かれは家事が下手だけど、そんなのはプロを雇えばよかったし、実際にわたしたちは一時期そうしていた。ついこないだだって、わたし、かれを置いて二週間旅行したの。ええ、イギリスにね、田舎のほう。ええ、ひとりで。今は飛行機が安いし、レンタカーもあるでしょう。わたし運転が好きなの。あら、たいしたことじゃないのよ。道なんてどの国でもたいして変わりゃしないわよ。これ、お土産。サヤカちゃんはあのあたりのウィスキーを好きでしょう。

 ねえ、サヤカちゃん。わたしたちの結婚は完全な失敗だわ。でもねえ、かれは足を折ったの。ええ、たいした事故じゃないのよ。まったく、耄碌しちゃって、だめねえ、わたしも、あの人も。歳だからすぐに治らない。わたし、介護というやつをしているの。もしかしたらわたし、今になってようやく、結婚した甲斐があったのかもしれないわね。

 恋人なら介護をしませんかと私は尋ねる。まさかあ、と彼女は笑う。波うつ白髪、寄せては返す笑い皺、骨ばった長い手足、パールグレイのアイシャドウ、正確に縁どられた薄い上唇、それを隠すように曲がる細工物めいた指たち。ご結婚はたしかに失敗ですよと私は言う。結婚という名前が、たぶんお気に召していないのでしょう。お二人の関係なのに、お二人の気にいる名前がついていないから。別の名前をつけたら大成功ですよ。なにかこう、すてきな名前をつけましょう。たとえば外国のお菓子みたいな名前を。