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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛がなくては住むところもない

 また拾ったの。私のその発言は質問ではない。確認だ。友人が相続した細長い建物の、その一階は元工場で、いまの季節は事務室だった空間に灯油ストーブを常時稼働させてようやく適温になる。居住性が高いとはいえない。その一階に友人が布団を出して寝泊まりしているときは、誰かが二階に住んでいる。またっていうほどじゃない、と友人はこたえる。たまにだよ、こないだから何年も経ってるよ。

 二度も三度も拾えばじゅうぶん「また」だと思う。犬や猫じゃないのだ。人を拾う人間はそんなにいない。けれども私は彼女のそのようなふるまいを嫌いではない。「よぶんな部屋があって、住むところがない人がいるから、住んでもよい」という動機の、その単純さが、なんだか好きなのだ。考えてみればどうして自宅に赤の他人を置いてはいけないのか。どうして人が人を拾ってはいけないのか。

 もちろん人は犬や猫じゃない、と彼女は言う。人のほうがここにいる時間がずっと短い。人は散歩させたりしなくていいし、そのうちお金をためたりして、よそに住処を見つける。もっといたっていいのに、半年や一年で出て行く。何か悪いことがあったらわたしの責任で、だから住まわせた相手が突然キレてわたしの後頭部を鈍器で殴ったりしてもまあしょうがないかなと思ってたんだけど、今のところ、悪いことはない。お礼をされたことはある。

 人間は意外と突然キレて鈍器で頭部を殴ったりしない、と私は言う。意外と、と彼女はこたえる。いま二階を使っているのは私たちと同世代の中年女性だという。困っていれば誰でも住まわせるわけじゃないでしょ、どういう基準で選ぶの。そう訊くと、なんとなく、と彼女はこたえる。嫌いなやつは家に入れないし、好きならいいわけじゃないし、なんとなく決める。とくに意味とかはない。

 ないけど、と彼女は言う。家、借りるの、実はこまかい条件があるよね。具体的に言うと、昔は親族の保証人が必須で、今は保証会社があるけど、緊急連絡先は親族じゃなきゃいけない。親兄弟がいない単身者、あるいは事情があって配偶者や親族から逃げている人がいたとしようか。続柄「知人」にしか助けてもらえない人。見たことない?けっこういるよ。そこいらにいる。

 そういう人は自分が借りられるレアな物件を探す気力と知恵、何よりカネがないと、住むところを手に入れることができない。わたしは親からもらった一軒家に住んで固定資産税と修繕費しか要らないし、養う子どももいないから、誰かが住んだらいいんだと思う。昔は近所の人に親戚が来てるって嘘つく必要があったけど、今はない。隣のおばあちゃんは「はやりのシャーハースでしょ」って言う。発音が良いのか入れ歯の具合が悪いのかわからない。

 わたしは、親がまだ元気だし、兄もいる。だから独身でも不自由はない。だけど、親族が早死にしたりろくでなしだったりして持ち家がなければ住むところに困る。そんなの、おかしいでしょう。法制度に乗っかった親子愛と異性愛を得ないと罰金です、みたいな話じゃん。どう考えてもまともじゃない。でもそうなってる。多くの人が意識しないのは親族のない人について想像したことがないか、「努力すればいい」と思っているから。そりゃ努力して財力と知恵をつければ住むところくらい手に入る。でもなんで特定の属性の人だけよぶんな努力やお金を投じなきゃいけないんだ。何の罰金だよ。

 わかってる。マイノリティには見えないかたちで罰金みたいなものが課されるっていうのはよくわかってる。その罰金が高すぎるから、わたしは、身近に住むところのない人がいたらわたしの家に住めばいいと思うのかもしれない。最近では法律婚が認められていないカップルをターゲットにした賃貸物件や生活保護世帯の受け入れをビジネスの一環にしている物件もある。ある人たちが困っていることが認識されれば、商売の種にもなって、不均衡なりに抜け穴ができる。でもどうして彼ら、たとえば同性カップルは賃貸マンションを探すのがたいへんだってことがあきらかになったんだと思う?そして誰がまだ「気づかれない」「努力すればいい」ゾーンにいるんだと思う?

 困っている人って、堂々とそこいらを歩いて「こういうことで困っている」と言えるようになって、それからみんなが「そうか」と認識するものなんだよ。でも、親子愛か異性愛が必須です、両方あるのが標準です、それ以外の状況は想定してません、みたいな世の中だと、堂々と歩いて声を出す前に力尽きちゃう。石を投げられるのはひどいことだけど、見えないようにされるのも、同じくらいにひどいことだよ。