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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

買母の量刑

 ただいまあ、という。おかえり、と返ってくる。週に一度はあまり残業をせず、夕食といってよい時間帯に帰ることにしている。月に何度かは作りたてのごはんを出したいという母と、疲れたら作りたてのごはんを食べたいというわたしの思惑が一致して、なんとなし習慣になった。

 母は台所に立って天ぷらを揚げている。わたしもいい年だし、母はもちろん老婆だから、そんなにたくさんの油ものはいらない。今日はわかさぎをもらって、だから揚げているのだった。ついでにさつまいもを切り、余った野菜でかき揚げもやって、いくらかを半切りにして冷凍しておく。簡単に麺で済ませるときに冷凍の揚げ物があると楽なのだ。緑もほしいわね、大葉の一枚くらい食べられるでしょう。そんなふうに言いながら母は冷蔵庫を探り、天ぷらは結局結構な量になる。

 わたしは寝室で着替え、デスクとして使っているカフェテーブルを居間に持ってくる。おかずをたくさん並べるときにはこれをダイニングテーブルにするのだ。リビングで大根おろしをつくっていると、母が華やいだ笑顔で大皿を持ってくる。箸休めは白菜のゆずびたしとひじきの五目煮、味噌汁は豆腐となめこ、薬味はごく薄切りの白葱、天つゆが強いかつおだしだからか、味噌汁には珍しくいりこを使っている。煮干しの頭と腹を取るのが億劫だからという理由でしょっちゅうは使わない。

 わたしの住居は家族向けではない。友人がそう指摘した。部屋はよぶんにあるけどファミリー向けの物件ではないよね。ものが極端に少ないから一部屋余っているようなもので、そこが「あなたのお母さん」の部屋なわけね。遊びに来た友人はそう言い、そうだよとわたしはこたえた。狭いその部屋が本来は寝室なのだけれども、わたしは広めのリビングの一隅をクローゼットで区切ってベッドを据え、その足下にデスクを置いて、それだけでじゅうぶん、暮らしていかれるのだった。

 わたしの母はわたしの血のつながった母ではない。わたしが昔一緒にいた男の母で、すなわち、いま、あらゆる意味で、他人だ。なんの関係もない。なんの関係もない老婆をわたしは母としてあつかう。なんの関係もない中年女を老婆は娘としてあつかう。そのことについてあらたまって話をしたことは、ない。

 ファミリー向けではない家で余っている狭い部屋が狭く見えないほど母の荷物はすくない。寝具とちいさな古い文机しかないように見える。家具や家電を買おうかといえば、リビングにみんなあるじゃないのと言う。

 母が掃除や洗濯をし、作り置きのおかずを冷蔵庫にしまい、週に一度は食卓をともにするのは、わたしが娘だからだ。けれどもそれは嘘だ。わたしは娘じゃない。ほんとうはぜんぜん娘なんかじゃない。

 母が部屋のあらゆる溝のほこりを取り、長すぎたカーテンの裾を繕い、わたしの好みの銘柄の米をこまめに米屋でひいてもらって土鍋で炊くのは、わたしが生活費をまかなっているからだ。わたしはその金で母を買っている。わたしはわたしの日常をメンテナンスしうるさいことを言わずしかしいつも気にかけてくれている、そういう理想の母であるような女をひとり、金で買っている。

 そのことを人に言いたくない。一人暮らしではないことがわかるといやだから、誰にも家に来てほしくない。ひとりだけ、母がまぼろしでないことを知ってもらいたいような気がして呼んだ。母のいないときに。

 いいじゃん。家に呼んだ友人は実に軽薄にそのように言うのだった。お母さんと暮らしてるってなんで誰にも言わないの。大人同士がおたがいの意思で決めたんなら誰が誰と暮らそうがぜんぜんいいじゃん。どうして他の人には言わないの?なんにも悪くなんかないのに。他人をお母さんにして、それのなにがいけないの?

 友人のせりふを、わたしは頭から追い出す。それから、お母さん、と言う。なあに、と目の前の女がこたえる。音量を絞ったテレビからちょっと目をそらし、わたしを見てすこし眉と口角をあげ、それからわかさぎをひとつ食べて、また、テレビに目を向ける。木曜日から出張だから。わたしは言う。そう、気をつけて行っていらっしゃい。母は言う。適度な無関心と適度な関心がわたしを安心させる。この人が何を考えているかなんてわたしにはわからない。わかりたくもない。わたしはただこの人と暮らしていたい。そうしてそれが悪いことのような気がしている。とても悪いことで、誰かがいつかわたしを罪に問い、量刑を宣言するのだと思っている。

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