傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしの仕事

 夫の転勤にともなって会社員を辞めたあと、大学で専攻していた分野に関連するライターを始めた。独身のころに何度か書いたことがあって、運良く継続的な原稿の依頼をもらえたのだ。ありがたいことにその後、別の媒体からも同様のお話があったけれども、子どもが小さいうちは受注量を抑えていた。家のこともしなければならないし。
 わたしが書いている分野では、昼間に会える取材対象者が多く、文献調査の比率も高く、いつも外に出ていなければいけないのではなかった。そうして書くときは家にいたから、パートよりは自由度が高い。わたしは夫にそのように説明し、夫も了承していた。そういう内職ならやってもいいと。主婦にも道楽のひとつくらいあっていいし、それが小銭になるならきみの気も晴れるだろうからと。
 わたしも夫も子どもがほしかった。結婚してすぐ、たてつづけにふたりできて、とても運が良かった。よかったけれども、ひとりで年子を育てるのはきつかった。誰もがしていることなのに、わたしは能力が低いから、いっぱいいっぱになってしまう。夫の世話もほとんどできなくなってしまった。夫はしばしば不機嫌になり、家のことがおろそかになるなら内職は辞めなさいと言った。もともと趣味みたいなものなんだから。そうねとわたしはこたえた。そのとおりね、もうやめます。
 実際、わたしは独身のころからの延長として書いていた原稿の量をぐっと減らした。それまでのあいだに、わたしの文章は内職代として全額家計に入れるにはそぐわない価格になっていた。夫は一定額を家計の足しにするように告げ、残りは「小遣い」だといっていた。だからわたしはそれを、新しい分野で書くための準備に使った。下の子が小学校に入った年、長いことつきあいのある編集者が連絡をくれた。そろそろ書きましょうか、あなたに頼みたい文章があります。わたしはそれを断った。小学校に入ったあとのほうがたいへんな部分もあることを、上の子の経験で知っていた。
 わたしは自分の責任で書く話を断り、他人の手伝いというかたちで参加した。そのような立場を保っているうちに、子どもたちはあまり手がかからなくなった。今度は、と編集者は言った。今度はあなたの名前で書いてくれますね。署名原稿も書きたいと以前、おっしゃっていたじゃありませんか。準備も下仕事も、もうじゅうぶんでしょう。
 わたしはあいまいに笑う。向かい合っていれば表情でわかってもらえるけれど、電話越しだから、あいまいな笑いに相当する声を出す。そういうことばかりを、わたしは得意だった。そういうことを少しもしなさそうな、無愛想で厳しくて毎回原稿のありとあらゆるところにコメントをつけてくる同世代の女の編集者が、言った。あなたと仕事がしたい。
 仕事、とわたしはつぶやいた。仕事です、と編集者は言った。あなたの仕事を買っているんですよ。わかりませんか。
 相手が編集でなければわたしはまたあいまいに笑って済ませたと思う。けれども、その人は、なにかをつかんでことばにする作業をわたしに発注する人なのだった。それだから、わたしはつい、いつものくせで、ことばを探した。わかりません。書くことは、わたしにとって、とても大切で、お金をいただく責任をいつも感じていて、でも、それがわたしの仕事だと言ってくれた人は誰もいなかった。わたしは書きたかった。家のことと子どものことと夫のことをきちんとすれば書いてもいいんだと思って、がんばりました。家の中では、書くことはわたしの趣味で、道楽でした。家の外では、いただく対価に見合うよう必死でやらせてもらう、わたしの命綱でした。
 編集者はだまって聞いていた。わたしの発言が終わると、ちいさく息をついた。それから、言った。そんなだったら、きっと、さみしかったですよね。
 わたしは不意を突かれた。時間がすっと止まったようだった。そうだ、と思った。わたしはさみしかった。今まで知らなかったけれども、わたしはさみしかった。趣味です道楽です楽しいなあ楽しいなあ家族から趣味を認めてもらえるなんてありがたいことだわねえ。そういう態度を繕ってにこにこ笑ってわたしはいつもさみしかった。わたしはずっと「専業」主婦だった。書くことはわたしの仕事であるはずなのに、わたし自身ですらそう思うことができなかった。いつだって全力で、いただくお金に見合うよう必死に、身を削るように、書いてきたのに。
 仕事、します。わたしはそうこたえる。編集者がふふ、と笑う。この人の笑う声をはじめて聞いた。そう思って、わたしは繰りかえした。わたしの仕事を買ってくださってありがとうございます。一緒に仕事、してください。