読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

屋根裏の奥の箱

 うん、今日は女子会だから、じゃあね。前を歩きながら夫と通話していた友人のせりふが私の横を過ぎ、雑踏に消えていく。私は首をかしげる。女ばかり三人で週末の夜を過ごすから女子会というのだろうけれど、そもそもどうして性別で区切るのかわからない。友だちはそれぞれ、またその組みあわせによって、話すことがちがう。そのちがいは性別より個人によるもののほうがずっと大きい。今日の三人なら口を開けば小説とマンガと映画の話、合間にふだんの生活についてのエピソード、それについての俯瞰的な意味づけ。あとは選挙が近いから、政治の話が入るだろう。
 食事のあいだの話はだいたい私の予想どおりだった。それなりに頻繁に会う友人であればなんとなし話題の分担をしているものだ。親密さの度合いが高ければなんでも話すというものではない。あまり親密でないからこそおそろしく個人的な話をするようなケースもある。
 そんなだから、友人がこう言ったときにはちょっと驚いた。その小説もそうだし、最近、毒親もの、多いよね、わたしの親もなんだけどさ。そうなんだーともうひとりが言い、私も、へえ、とかなんとか言った。予測していない話題が出たらとりあえずようすを見る。突っ込んで話したいのか、一側面だけを話したいのか、話題に出たコンテンツや何かと関係してポジションを明確にしたいのか。友人はオーブンで焼かれた子羊の骨をつかんで豪快に肉をかじり、フィンガーボールよりおしぼりが二枚あったほうがいいよね、といった。それから私たちの顔を見て話題を戻した。
 それでさ、フィクションでもノンフィクションでも、みんな、自分にとってマイナスになる親を切り離すのにすごい悩むじゃん。わたしはそれが不思議でならないの。もちろん、この親はどう考えてもダメな人だろ、っていうケースもあれば、極悪人じゃないけど相性が最悪なんだろうなっていうケースもある。でも、極悪でもそうじゃなくても、親っていうのは捨てたらだめだってみんな思ってるみたいなんだよね。捨てたらだめだし捨てたくない部分もある、とか、愛されたかったっていう未練があって思い切れない、とか。わたしそれがぜんぜんわかんないの。わたしは彼らのことをあんまり覚えていなくて、早いうちにきれいさっぱり捨てちゃったし、そのあと引きずってたのって、親に対する感情じゃなくて、「ほんとにひどい目に遭った、わたしは運が悪すぎる」とか「親がいないと人生ハードモードな日本社会つらい」みたいな恨みと怒りで、それすらわりと早く薄れちゃった。しかもわたし、おそらくなんにも悪いことしてない妹まで一緒にばっさり切り離して連絡とってないんだよ。そしてそれに対して何ら痛痒を感じないんだよ。それが不思議でさあ。わたしも本来は親きょうだいを捨てるのに葛藤しなきゃいけなかったんじゃないかなーって思うの、毒親もののコンテンツを見ると。
 もうひとりの同席者がテーブルの上の皿をずらして紙切れになにやら描いて彼女に手渡した。見ると昔のファンタジーに出てくるような古い木箱(簡単な線なのにそれとわかるのだ)があって、表面にはよろめく文字で「あいつらはひどいやつだ」と書いてあるのだった。きっと、こういう箱がある、と絵を描いた人が言う。あなたのなかの天井裏みたいなところに。箱は開かない、開かないほうが幸福だから。ただ表面の文字を見てあなたは了解する。そうか、あいつらはひどいんだな、って。それはあなたが七歳のときの字なの。それで、これが十歳のあなたが詰めた箱。これは十二歳のあなたが詰めた箱。あなたの天井裏には、こういうのがいっぱいあるの。だからあなたは彼らのことなんか考えなくてよくて、のらりくらりと幸福に暮らしていられるの。
 私は感心して口をはさんだ。そうだ、そういうことだよ、親を捨てて躊躇も未練もないのは、過去のあなたがそのための箱を残してくれたからだよ。いくつめかの箱には「妹はかまわない」とか書いてあって、その理由は、もうわからないし、わからなくていい。そして、なにも親がどうこうということはなくても、箱を置いた天井裏は誰にでもあるんだ。きっと私にも。そしてその中には、すごく美しいものも、すごく醜いものも、おそらくは入っている。でも私たちはそれを決して開かない。
 私たちの話を聞いていた彼女は、ほとんど無表情のまま、なんとなし愉快そうな気配になり、一度皿に置いた骨をもう一度つまんで、言った。それなら、箱の中には、わたしが殺したなにかの骨も、きっと残っているんだね。

広告を非表示にする