傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

「普通」審判への異議申し立て

 マキノさんのとこは女子が優秀だよね。あー、成果出てますよね。やっぱりリーダーが女の人だとやりやすいのか。うちの会社もね、もっと増えるといいですよね、あとに続いてくれると、うん。ええ、たしかに。ねえ。あとは彼、ほら、二年目の。山田くんか。そうそう、彼、伸びますよ、あれは期待できる。
 右も左も管理職ばかりで、全員が男だ。そういう場で私はおおむね、あいまいな顔をしてだまっている。よぶんなことは言わない。管理職会議ではしょっちゅう「女の人の意見も聞かないと」と言われて、いくら少数派だからって女の代表で会議に参加してるんじゃないや、と内心で愚痴をいって、でもそれくらいは許容しよう、と思う。思って、でも、居心地がいいわけでもないから、あと少なくとも一年は基本姿勢「伏せ」でようすをみるつもりでいる。そんななかで必要な発言ができるよう、できるかぎり根回ししている。いろんな場を使って心情的な味方をつくっている。
 言いたいことを言っているずうずうしい女、でもまあ許してやろう。これが彼らの、今のところの私に対する評価だ。たぶん。彼らに苦笑とともに許容されるために、私は「いいやつ」でいなければならない。私は彼らの前に出るとき、自分の印象を細心にコントロールする。ちょっとださくて、元気で、そこそこ役に立つ、そういう人間に見えるように。私はスカートの丈を調整する。私は化粧のしかたを選択する。私は姿勢に気を配る。私は声の出し方を変える。そのようにして私は生き残ってきた。
 でも山田くんは女子枠でしょ。あはは、たしかに。だねー。彼、そいうあれなんだ、やっぱり。え、知らないけど。ねえ。あはは。
 私は彼らの前で印象をコントロールしている。表情はもちろんそのなかに含まれる。私は彼らの前にあるとき、いつもいい人に見える顔をしている。けれども今は、そこから外れた。私は笑わなかった。笑うところではない。生存率が多少下がっても、笑うところではない。もちろん少しも可笑しくない。そしてそれ以上に、同調して笑うところではない。私は怒っている。みんなが笑っていることに対して怒っている。そのことを(できれば)「いいやつ」の範囲の中で、彼らに許容される形式で、伝達しなければならない。そう思う。
 私は部下を全員「さん」づけで呼び、敬語で話す。親しい先輩や後輩には言葉を崩すけれど、部下にはそうしない。そんなわけで今、管理職たちに笑われているのは山田さんだ。山田さんは新卒二年目にして頭角をあらわしている。山田さんは物腰やわらかで、いつも礼儀正しく、声が小さく、指先にまで神経を配っているような仕草をする。山田さんはごく自然に女子社員の集団と食事に行く。山田さんはなにも悪いことをしていない。山田さんは有為な人材だ。笑われるようなことなんかなにひとつだってしていない。
 だから私は笑わない。向かいの男が笑顔で私を見る。私の二期上の、そこそこ親しい先輩だ。ほんのすこしの時間、視線を合わせる。私は笑わない。可笑しくなんかない。その感情を、もちろん口をひらくことなく、きわめて消極的に、相手に伝える。笑い声はしだいにやみ、その場の話題は次へとうつる。
 彼らに悪意はない。少なくとも自分たちに悪意があるとは思っていない。「我が社ももっと女性管理職を増やすべきだ」と彼らは言う。「マキノさんには若い女性社員たちに範を見せてもらわないと」と言う。「女性の意見を聞こう」と彼らは言う。そうして、山田くんは女子枠じゃないの、と「冗談」を交わして、笑う。悪意はない。ただ意識下で見下しているのだ。山田さんが男のくせに男みたいでないところがあるから。そうして、男みたいでない男は女子カテゴリでしょ、という「冗談」を言い交わす。テレビに出ているオネエタレントは笑っていい対象だから、そこいらの男っぽくない男もおんなじように笑いものにしていいと、彼らは思っている。いや、思ってさえいない。ただ、笑ってもいい相手と認識して、それを意識にのぼらせたこともない。自分たちは「普通」で、そこから外れる者をジャッジできる。彼らはそのような認識の上に立っている。そして私は、彼らより弱い。彼らに遠慮し、ようすをうかがっている。
 強くなりたい、と私は思う。こういうときに、大きな声で、何がおかしい、と言い放つためだけにでも、強くなりたい。あなたがた、山田の何を笑っているんですか。山田が何か笑われるべきことをしましたか。そう訊くためだけにでも、この場でいちばん、強い人間になりたい。