傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

寄付への欲望

 個人が個人にカネをやるのは精神的に負担が大きい。もらうほうにとってもあげるほうにとっても、なかなか危険なおこないだと思う。そう、あげるほうにとっても、実は負荷のあることだよ。自己評価が下がることもある。え?うん、まあね、あるよ。生きてれば人にカネをやりたくなることくらい、あるじゃん。たいしたカネじゃないけどさ。
 でも寄付ならだいじょうぶ。寄付って、人にカネをやりたい衝動をきれいに濾過する装置として整えられてるんじゃないかと思う。相手をどうこうしようという気がなくても、大人になって今日明日のごはんの心配がなくなると、世界にカネを還元したくなるんだよ。そんな桁外れに稼いでいなくても。
 考えてみればおかしなことだよね。わたし、博愛精神を持つ立派な人間じゃないのに。あなたは知ってるよね、わたしがわりとろくでもない人間だってこと。昔から、やさしい人間なんかじゃなかった。今だって、ふだんは自分と自分の家族のことしか考えてない。お金はあればあるだけいいと思ってる。無駄遣いも大好き。
 それなのに、稼ぎがぜんぶ自分のものだと思うと落ち着かない。そういうのって、へんなことじゃないと思う。寄付したい気持ちがあるのはぜんぜんおかしなことじゃないよ。わたしも夫もやってる。うん、まわりにけっこういるでしょ。わたしのまわりにも多い。日本に寄付文化がないなんて嘘だよねえ。額がすくないからかな。
 マキノの今までの寄付はだいたい単発でしょ。継続するとだいぶ気分、ちがうよ。使われ方も自分の趣味に合ったところ探せるし。わたし?わたしは海外の子どものためのやつ。夫は交通遺児のための。そういえばなんでふたりとも子ども相手なんだろう。うちの子、元気だし、子ども大好き夫婦ってわけでもないんだけど。うん、よその子にたいした思い入れはない。すくなくともわたしは。
 わたしは思うんだけど、生きてるって、なかなかすごいことだよ。わたしたち、放っておいたら、死ぬんだから。毎日まいにちごはん食べて眠って誰にも殺されずに生きてるって、びっくりするようなことだよ。しかも、自分が選んだ仕事をしたり、誰かと一緒にいたり、いろんなとこ行ったり、あれこれ楽しんで、なんなら子ども産んで育てたり、してる。もう、あきれる。自分の運の良さに。世界がわたしを甘やかしていることに。毎日びっくりしてたら疲れるから、当たり前ですよねって顔してるけど。
 だから、自分が稼いだお金でも、どこかに返したくなるんじゃないかな。わたしが生きて稼いでるのって、どう考えても「たまたま」だもん。たまたま運が良くて、死んでないだけだもん。それを当たり前だと思うなんて、どう考えても不合理でしょう。その落ち着かなさみたいなものに、寄付はよく効くよ。
 あ、いるよね、寄付やボランティアの話題になるとすぐ偽善者ーっていうやつ。たいそういろんな角度から否定してくるよね。個人のささやかな寄付なんか役に立たないとか、寄付先の団体がどう使っているかわからないとか、その団体は悪徳だとか、働いて税金払ってるのがいちばんいいことだとか。そういう連中は放っておけばいい。わたしはわたしの趣味で寄付してるだけで、他人に強制なんかしてない。それなのに、なにかのひょうしに話題になっただけで、たいして仲も良くない人間が執拗に否定してくるの、意味がわからない。わたしの偽善や不見識が許せないほど潔癖な精神を持っているのなら、わたしみたいな不潔な人間にかかわらなければいいのに。
 なるほど、他人にカネをやるほど余裕があるのはなにかずるいことをしてるからだっていう感覚があるんじゃないか、と。そうかもしれない。でも、わたしは意地悪だから、もっとひどいこと考えてる。あのね、わたしの寄付や消費に文句言うやつって、わたしが女で結婚してるから、言うの。余裕があって結構ですね、旦那さまの理解があるんですね、とか言ってくるんだから。わたしの寄付とわたしの夫になんの関係があるんだ。そいつの住んでる世界では妻になったら家計外の自分のお金もいちいち夫の許可を得てから使うのか。ろくな世界じゃないな。
 自分より格下だと思いこんでる相手がそうでないようなことしてると気に入らない、それだけなんだと思う。そんな人間、放っておけばいい。わたしたちはわたしたちの欲求に応じて寄付をすればいい。そうしていい気持ちになればいい。ぜんぜん悪いことじゃないから、安心してすればいいんだよ。

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