傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お母さんと呼ばれていたころ

 わたしの兄は海外出張中に事故に遭い、現地の病院から動かせない状態になった。義理の姉の一報を受けて駆けつけたら、義姉の両親もいて、たいそう立腹していた。義姉は無表情だった。その腕のなかで生後三ヶ月の姪が眠っていた。
 義姉から電話がかかってくるようになった。わたしはいつもそれを取った。取れなければすみやかにかけ直した。死にたいと義姉は言った。週に一度言った。三日に一度言った。毎晩言った。十分間言った。三十分言った。二時間言った。私はそれを聞いた。義姉の電話はしばらくやんだ。わたしからかけると義姉はありがとうありがとうと言った。遠い声だった。その声がささやいた。
 死にたくない。
 わたしは兄夫婦のマンションを訪れ、休日ごとに姪を預かった。やがて義姉は貧血を起こし、棒切れみたいに無防備に倒れて頭を打った、と聞いた。姪は私のところにいた。義姉の両親は早口でわたしと兄を非難し、娘は引き取りますがそのうち責任を取っていただきますからと言った。姪について留守番電話に吹き込むと、どこまで図々しいんですかと吐き捨てるような返信があり、着信拒否の処理をされた。
 わたしは上司に事情を話し、介護のための規則をむりやり通してもらって定時で帰宅できる部署に移った。もちろん時限つきで、収入は下がり、以前の勤務体系に復帰しても上がることはないと思われた。田舎に引っ込んでいた母が来てくれたけれど、もともと身体の丈夫な人ではないから、勤務中の面倒を見てもらうのが限度だった。
 わたしが親になったことのない独身者であり、将来を保証する財力も社会的地位もないことを知って、でも他に選択肢がないから預けられることを了解したかのように、姪は「良い子」だった。ミルクがすこしぬるくてもよく飲んだ。ただときどき、やるせない声で長く泣いた。私はしっかり保温した姪を抱いてうろうろ歩いた。病気でないことは三度ばかりの通院でわかっていた。ぐずっているだけですよ、お母さん。看護師さんがそう言った。わたしはあいまいにほほえんでごめんなさいとこたえた。
 姪が欲しいのは適温のミルクでも清潔なおむつでも保温でもなく(それらは私にもどうにか与えることができた)、親というものなのだろう、と思った。わたしではない母、わたしではない父、わたしではない、少なくとももう少しマシな、保護者だった。
 わたしは子を産んだことがない。そうしようと思ったこともない。伴侶をほしいと思ったこともない。姪がわたしに安堵しないのは当然かもしれないと思った。乳児は「愛情」がないロボットのような存在に世話をされるとやがて死ぬ。そういう話を、読んだことがあった。わたしがロボットじゃない保証はどこにもなかった。わたしは、誰を深く愛したこともなく、誰にも深く愛されたことがないから、どちらかといえばロボットみたいなものだと思った。兄を案じて倒れるようなこともないわたしは、義姉に共感してあげられずにただ話を聞くだけだったわたしは、ミルクをつくっておむつを替えて沐浴させるロボットと同じだ。そう思った。
 やがて姪はしばしば泣くようになった。母を寝かせたくて、よく姪を連れて外を歩いた。何度か警官の職務質問を受けた。たいへんですね、お母さん。そう言われてわたしはやっぱり、あいまいにほほえみ、ごめんなさい、と言った。
 姪はいつの間にか泣いていなかった。顔を覗きこんだら、声を出して笑った。わたしはうれしかった。小さい声で名前を呼んだ。姪は、ああお、と声を出した。笑い声がした。ちがう、わたしが笑ったのだ。

 それはたいへんだったねえ。私が述べたばかみたいな感想を聞いて、彼女はちいさく笑った。いいえ、そんなにたいへんじゃなかった。わたし一人で面倒をみたわけでもないし、結局、半年だけのことだったの。兄も義姉も回復して、すごく謝られちゃった。でもねえ、ほんとに、たいしたことじゃ、なかった。子どもがいて親がいなかったらそこいらの暇のある人間が世話をするのは当たり前でしょう。それに、わたしがロボットじゃないことを、姪は教えてくれた。
 今でもときどき、うちに来るの。覚えているはずもないんだけど、兄夫婦がよく話しているんでしょうね。わたしは子どもに興味がない。でもあの子は可愛いと思う。かわいがりかたなんか知らないから、普通に話すんだけど、口をきいているのがなんだか楽しい。あの子が大きくなるのが、とてもうれしいの。