傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ジェントルマンの憂鬱

 新しいパターンですね、と私は言った。彼は小首をかしげ、コーヒーをのみ、それから、どういうこと、と訊いた。間を置いたのは訊かなくても勝手に解説するのを待っていたのだろう。
 大量の同期がいるわけではないので、入社時期が近いと社内での距離感も近い。さして親しくなくても、半年や一年に一度はランチでもどうかと声がかかる。彼もそのひとりだ。それを見とがめられて、別の人から「つきあってるんですか」と訊かれたのは一度や二度ではない。彼はごく一部の女性職員にものすごく人気があるのだ。
 私は彼を見る。どうということはない男だと思う。私は彼に魅力を感じない。友だちでもない。だからひいき目もなにもなく、彼が少数の女たちから熱烈に好かれる理由を推測することができる。この男のふるまいには棘がない。他人への気遣いがとてもよくできる。私たちみんなにあるはずの、他人にとって不都合な部分がないみたいに見える。どこもかしこもやわらかな布で覆われているかのようだ。若いころからそうだった。ジェントルマン、と彼を好きな女性のひとりが言っていた。
 ジェントルマンは女性を口説かない。いつも女性のほうが彼に近づく。彼はそれにこたえる。彼は恋人にとてもやさしい—もちろん。彼とつきあう女性には共通点があった。情熱的で、感情豊かで、それをはっきりとおもてに出し、他者との関わりを強く求める。そういうタイプだ。
 関係の終わりかたも共通している。彼女たちに何らかの事情が判明し、その事情の難しさがゆえに、彼は彼女のためにさんざん苦労し、彼女に尽くし、そして刀折れ矢尽きて、やむなく別れるのだ。病気、精神の不安定、実は既婚者。そういった事情は毎回彼女の側にあり、彼は悲劇の主人公に見える。あまりに同じパターンが続くので、話を聞いている私はじゃっかん飽きて、数年前にこう尋ねた。もしかして、事情があってずっと一緒にいられないような相手をわざと選んでるんじゃないですか。そういうのが趣味なんじゃないですか。つまり、「外的困難を前に挫折する愛」フェチ、みたいな。
 彼がそれにどう応えたかは覚えていない。けれども今回の話はいつものパターンから外れていた。自分から振ったというのだ。ようやく明石さんが動いた、と私は言った。正直なところ私、明石さんは一生そうやって受け身な悲劇の王子さまをやってるんだろうなーって、ちょっと軽蔑してました。すみませんでした。謝罪します。それで、今回の彼女とはどうして別れることにしたんですか。
 前の彼女が、と彼は言った。どうしても僕に助けてほしいというから。電話番号は別れた時に削除したけど、Facebookで連絡が来て、入院中なのに旦那さんは相変わらずぜんぜん助けてくれないというんだ。僕が行くしかない。そうやって前の彼女が心に引っかかっているうちは新しい彼女なんか作るべきじゃなかったんだ。
 は?と私は言った。彼はわずかに眉をひそめた。取り消します、と私は言った。さっきの謝罪、取り消します。私の明石さんに対する軽蔑は昂進しました。
 ねえ明石さん、明石さんのことジェントルマンだって言う人がいるんですよ。私はそうは思わない。明石さんはただただ受け身で、自分の感情に責任をもって行動しないだけです。自分の欲望を把握して叶えるのをさぼって、相手の欲望を先回りして叶えて必要とされて、それでいい気分になっているだけです。
 私は思うんだけど、そういうのって、自分の感情がよくわかっていない人がやることなんですよ。自分の感情をほったらかしにしてるから、感情豊かな恋人を作ってなんとなくいい気分になる。相手に向かいあって感情をやりとりすることができないから、悲劇的な理由があると好都合。今回は彼女の側に悲劇的な事情がなかったから前カノの話に乗っかったんでしょ。前カノとはある意味お似合いだから好きにすりゃあいいですけど、新しい彼女はかわいそう。
 前の彼女とやましいことは何もない、でも前の彼女を放ってはおけない、そのために今の彼女を傷つけたくない、だから身を引く。このストーリー、ほんとひどいですね。明石さんは加害者なのに被害者みたいな顔して、しかもそれがやさしさによるものだという理屈をつけている。そんなのジェントルマンじゃない。ジェントルクズです。
 一方的にことばを並べたて、それから私は、彼を見る。さすがに苛ついているようだ。そうだよ、と私は思う。むかついたらむかついたって顔をしてむかつくって言え。そう思う。でも彼は言わない。腕時計を見る。そろそろ、と言う。昼休み終わりますね、と私も言う。立ち上がると彼はすでにいつもと同じく、穏やかなほほえみを浮かべている。