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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

考えるのは寝てからになさい

 彼女は疲れていた。どうしてと訊くと、わかんない、とこたえた。はじめてがんばってべんきょうしたからかなあ。わかんない。とにかく疲れた。私たちは高校一年生で、夏休みを控えていた。
 みんな中学とか小さいころから、なんかこう、すごい塾とか行って勉強するんでしょ、と彼女は続けた。机に頬をべったり載せている。休み時間と放課後はだいたいそのようにして話し、授業中はよく眠っていた。他の高校の知人から「槙野さんのところは放牧系なんだね」と言われたとおり、眠っている生徒を叱る教師はほとんどいなかった。私も彼女も「安くてうるさく言われない」という理由で高校を選んでいた。
 みんななんで疲れないのかなあと彼女は言った。中学から進学塾とか想像を絶する。絶するねえと私はこたえた。なんでも世の中には選ばれし者たちの集う進学塾があり、同級生たちにはそうした塾の出身者のほうが多いのだそうだ。さらに「その手の塾を経由せずに入学する生徒はきわめて少ない」という高校もこの世には、というか都内にだって、いくつもあるのだという。びっくりした。
 まわりのみんなはとても元気に見えた。勉強ばかりしているのではなくて、ファッショナブルだったり、スポーツができたり、恋愛模様を繰り広げたりしていた。みんなキラキラしてるねえと彼女は言った。そうだねえと私はこたえた。でもいいじゃん、私たちは、どんよりしてても。十六の夏なんかたいしたもんじゃないよ。
 十六の夏も、十七の夏も、春も秋も冬も、捨てていいかなあ。彼女はつぶやき、私はよくわからないまま、いいんじゃない、とこたえた。この子は学校に来なくなって、私も家に押しかけたりはしないで、永遠に会えなくなるのかもしれないと、すこし思った。実際のところ、夏休みが終わっても、彼女は学校に来なかった。
 あれ、なんだったの。尋ねると大人になった彼女はへらへら笑って、子どもなりにたいへんだったんだよ、と言った。校風が放牧系の高校はほかにもあったけど、自分なりに受験勉強をしたのは、「母子家庭でここまで行ったらお母さんも鼻が高いだろう」って言われたからだったんだよね、そのころは意識してなかったけど。
 彼女は言う。母子家庭ってね、ひとまとめにされがちなの。「かわいそう枠」っていうか。でも私のうちは母のほうが稼いでて、かわいそうになった実感なんかなかった。母が休む時間ができて「リコンしてくれてよかった」と思った。父親はすごく不安定でわがままな人だったから。母はそれが可愛かったんだろうけど、あまりに親として機能しないから男より子どもを取ったって感じ。父は私に嫉妬してたと思う。傷つくようなことばっかり言われた。母のいないところで。だからいわゆる父親というのが私にははじめからいないの。
 でもさ、世の中にはちゃんと父親に愛されて、でもたとえば親のどちらかがほかの人を好きになって別れるっていうこともあるわけよ。そういう子は「父親がいる」。離婚してても。両親が別れても両親に愛された子はやっぱりちがう。それから、経済的に困窮してる子とか、母親が荒れ果ててる子も、かなりちがう。それもこれもいっしょくたにされちゃう。「ボシの子」って。それが重かったんだと思う。自分は恵まれてるとも思うし、そうじゃないとも思う、でもそれは自分で決めたくて、選択の余地のない「かわいそう枠」自体が、重かった。
 夏休みと不登校のあわせて半年何をしていたのかと尋ねると、寝てた、と彼女はこたえた。まじで動けなかった。もうなんでもよかった。「ボシの子」でも、かわいそうでも、どうでもよかった。でもねえ、母は、平気だった。じゃあ寝てなさい、って言ってた。学校から何か言われたら娘は疲れて寝ていますって言うから、って。留年してもいいのって訊いたら、どうぞ、って。そのうち退学になるよって言ったら、ずっと寝てたらそうなるわねえ、って。いいのって訊いたら、いいかどうかはあなたが考えて決めなさい、考えるのはじゅうぶん寝てからになさい、って。
 おかあさん、えらいね。大人になった私が言うと、えらいよね、と彼女はつぶやいた。母はね、ほんとは焦ってたと思う、あの人にだって、見栄がないわけじゃない。娘が十年も二十年もひきこもる可能性だって考えたと思う。でも、おかあさんは、わかってくれた。疲れて眠ってばかりいたいのを、わかってくれた。学校に行くようになってもみんなみたいにキラキラなんかしなくって、ときどきさぼって、家で寝てた。母は、平気なふりしてくれた。そのうち、毎日起きても疲れなくなった。だから私、今でも、母に頭が上がらないんだよね。