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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

大人は後追いいたしません

 子どもが後を追ってくる。
 ふだんは落ち着いた子だ。うんと小さいのに人見知りもあまりせず、何度か遊んだら私の名前も覚えてくれた。ただし発音はあやしい。それがまたかわいい。そうしてぐずったり泣いたりはあんまりしない。多少のかんしゃくはあっても、すぐにおさまる。少なくとも私のようなゲストがいるときには。
 それが、今日はどうしたことか。母親である私の友人が対面式キッチンに入ると、子の安全のためにつけた境目の扉にしがみついてすごい勢いで泣く。私が気をそらそうとしてもうまくいかない。この子にこんなにモテないのははじめてでちょっとショックだ。しかも彼の母である私の友人は、単に柵の向こうにいるだけで、ちゃんと見えていて、彼のほうに顔を向けて声をかけたりもしているのだ。
 夫が出張中だからねえ、と友人は言う。毎晩かえってきて遊んでくれるか、遅くなっても朝おきたらいる人が、一週間もいないわけよ。この子、父親も大好きだから、消えたら一大事なの。いくら説明しても、まだ出張とかよくわかんないし。とにかく彼の世界から父は消えてしまって、ときどきMacの向こうから声が聞こえて顔が見える。でもいない。この部屋にいない。そりゃあもう、この子の主観的には大事件。だからしょうがないんだよねえ。サヤカさんは子どもが不安定でも気を悪くしないから予定どおり来てもらったけど。気を悪くなんかしないでしょ?
 もちろんしない、と私はこたえる。友人の夫がいかに子に愛情をそそぎ、具体的に子の世話をし、必要とされているかを想像して、理想的だな、と思う。父親が事実上不在、そこまでいかなくてもゲスト程度の家庭だって少なくないのに、友人とその夫はともにひとしく親であろうとし、職業人であろうとしている。立派なことだと思う。思って、それからふたたび仰天する。手洗いを借りに立ったら泣きながら子が追ってくるのだ。さっきまであんなに求めていた母親に目もくれず、単なる「ちょっと知ってる人」である私を。さっきまでぜんぜんかまってくれなかったくせに。
 トイレ、と私は言う。よろしいか、私は、さやかさんは、トイレに行く。すぐ戻る。このドアを閉じさせてもらう。なぜなら私ときみは他人だからだ。他人とは一緒にトイレに入らない。なぜならそこはきわめてプライベートな空間であって、よほど特別に親密でなければ一緒に入ることはないんだ。いいね?私のせりふに友人は笑い、子は真剣に泣いている。私は友人の手を借りてようようバスルームの扉を閉じることに成功する。
 戻ってしばらくすると、子は疲れて眠り、私たちは食事をしながら話す。どうして私もいないとだめなのかなあ、と私は尋ねる。だって、私なんか、最初からいない人じゃん。今日も帰るし。そりゃあ、ふだんは他人の後追いなんかしない、と友人はこたえる。それどころか私の後追いだってしばらくはなかった。でも復活したの、過激に。父親が戻ってくればそのうちもとに戻るでしょうし、それを繰り返せばそのうち安定するでしょ。帰ってくるってわかるから。
 でも今はだめなの、と友人は私の目を見て、言う。この子の世界では、大切な人が消えた。人が消えてしまうことを、この子ははじめて経験した。戻ってくるなんて、わからない。出張とか理解できないんだから、いるものがいないのは消滅でしかない。父と母と頻繁に尋ねてくる祖父母で盤石だった世界は今や蜃気楼のよう。父は消えた。母も消えるかもしれない。もう何にも消えてほしくない。だから追う。あなたの後まで追う。そういうことだと思う。
 子どもだからね、と彼女は続ける。そのうちほんとうにあの子の前から私たちは消える。順当にいけば、まずはおじいちゃんとおばあちゃんから。それから夫と私も、あの子と永遠に会えなくなる。順当にいかないこともある。わけのわからない、理不尽な理由で、奪い去られるようにいなくなってしまうこともある。そうすると、世界は脆弱になる。誰も彼も消えてしまう、それがいやで、追いかけてつかまえておかなくてはって、思う。これ、とっても自然な感情じゃない?大人だって、似たような気持ちになるでしょう。大人になって世界が脆弱になると、もっとたちのよくないかたちでの後追いがあるけどね。
 そうだねと私はこたえる。でも大人は世界を補強して、後追いなんかしないよ。なにしろ大人だから。そうねえと彼女は笑って、もう一度、私を見る。しませんよ、と私は言う。私の世界が、たとえばどれほど脆弱になっても。たとえば好きな人たちがみんな先にいなくなって、私ひとりが、最後に残されるのだとしても。