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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

伝聞と嘘とほんとうの配合

 サヤカあんたさあ、嘘つくじゃん、ブログで。うん、ついてる、というか、嘘つきますって宣言して書いてるから、一般的には、嘘をつくというよりフィクションを書いてるというんじゃないかな。純粋にフィクションでもないじゃん、たまに、ほとんどそのまんまのもあるし、立場を入れ替えたり視点を変えたりしてるのもあるし、たとえば、ほらこの前さあ、昔のあたしのこと出したでしょ、三年くらい前だっけ、書いていい?って言うから、いいよお、って言ったやつ、あれっきりすっかり忘れてたわ、あれなんかさ、書かれてることはぜんぶ事実で、でもあたしにとってはいちばん肝心なことが書かれてないわけでしょ。
 私は、書く時期は、あんまりコントロールできない、とりあえず、友だちとかが何か話をして、それがその人にとってなにかしらの意味のありそうな話で、いつか書きたくなりそうなものだったら、許可は取っておく、そのまんま書かないこともある、すぐ書くこともある、何年もしてから書くこともある、どうしてかは私にもわからない、ただ、それをいま書くべきだということだけがわかる、おなかがすいたときと似てる、ただ「肉」と思うこともあれば、「おばあちゃんのレシピで作ったきんぴらごぼう」と思うこともあれば、「あのレストランのあれ」と思うこともある、そういうかんじで、あいまいなときもあればほとんど決まっているときもある、それで、書きだすとほとんど時間はかからない、ただ出てくる。
 ふうん、そういうもんなの、嘘や隠蔽の配合も、ただ出てくるの?嘘の配合もふくめてただ出てくるねえ。そうかな、嘘の配合については、あたし、露骨な意図を感じるんだけど。意図って、私の?そうサヤカの、すなわち作者の。私は、そんなつもり、ないけどな。
 そんなことはない、サヤカは何年も何年もたぶん同じことをしてる、うまくいえないけど、現実を糊塗すること、何かをごまかすようなことをしてる、現実は、もっと、ずっと、ひどい、サヤカは、ひどい話もひどくない話も書くけど、モデルになった現実を、あたしはいくつか知ってて、それはどれもこれも、結局救いがなかった、誰かと誰かの気持ちが通ったのは一瞬または錯誤で、誰かと誰かが美しく手を取りあって助けあっていた時間なんか一瞬で、誰かが誰かに救われたように見えたのはまやかしで、ねえ、サヤカ、あんたはさ、どうして、自分のブログエントリのモデルたちが、その後、ろくでもない男と離婚もしないで毎日殴られつづけてるとか、病気になって死にたい死にたいって言いつづけて実際に屋上から飛び降りたとか、そういうこと、書かないの?書けばいいじゃん、どんどん書きなよ、遠慮してマイルドにすることなんかないよ、読むほうだって派手なほうが好きだよ、本とか映画とかだってさあ、死ねば感動するじゃんか結局、あたしもあんたも。
 傷つけたなら謝る。え?なんで?どんどんやれって言ってるんですけど。いや、あなたがそう思うのは、あなたの言うところの「マイルドにする」行為があなたをどこかで傷つけたからだと思う、あなたは、エントリに書かれたできごとを経験したあと、美しいものをうしなったのに、美しいものだけを切り出されて、うしなわれたことは書かれていないから、だから、傷ついたんだと思う、だから、もっとむきだしにしろと言ってるんだと思う。
 そうかねえ。そうじゃないかな。でもあたし、怒ってはいないよ。そうか、どうもありがとう。サヤカ、これからも書いていいよ、マイルドでもいいよ。うん、ありがとう。あたしの言動が出てくる話だって、別にいやな感じしない、自分とは別物だなって思うけど。そうか、それならよかった。まあ忙しいから毎回読んでるわけじゃないけどね。
 そりゃそうでしょ、あとね、私は、何かに遠慮してものごとをマイルドに表現しているわけじゃないんだ、私は、ひどいものをただひどく書いて「ねえ、ひどいですよね、みなさん」なんて、ぜったいに言いたくないんだ、文章の嘘は、何かを救うためでなくっちゃいけないと思ってるんだ、どこかが現実よりマシな世界を、たとえただの文字の列としてだけでも、作る、私にとって、書くというのはそういうことなの、私の嘘の配合にもしも意図を感じるなら、それは私がもともとそういう動機でブログを書いてるからだと思う、ひどいものをひどいままにしておくことが、どうしようもなく理不尽でつらく感じられることがある、だから私は、嘘をつく、それは、私が私を救うための手段で、私が世界をマシなものだと、書いてる三十分のあいだだけでもいいから感じるために、していることなの。