読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

精神的おむつ替えサービスに対する誇り

 ねえサヤカ、昨日彼のBMでデートしてたんだけど、お店がちょっと複雑な場所にあったから、彼、ちょっと迷っちゃったみたいで、だから私、コンビニ寄りたいなあって言って、店員さんにお店の場所きいたの。そしたらすぐ見つかったんだけど、そのあと彼すごく機嫌悪くって、お食事中もお話してくれなくなっちゃって、帰りはね、私じぶんで帰ってきたの、うん電車で行けるとこだし、それでね私、コンビニに行きたいって言ったタイミングとかまずかったかなあって思って、ごめんねってメール送ったんだけど、まだ返事がないの、どうしたらいいかな。
 学生時代にかかってくる彼女の電話の「相談」は、たとえばそのような内容だった。要するに彼氏が不機嫌になる原因を知るために私に想像をさせるわけだ。そして私はきまってため息をついて、たとえばこう答えるのだった。タイミングの問題じゃないよ、あなたの彼氏みたいな人ってたいてい、人に道を訊くのが極端に嫌いなの。自分が尋ねることもないし、連れの女の子が訊くなんて、まして人目のあるところで彼氏連れで道がわからないって言うなんて、すごくいやなことなの。そもそも道に迷うこと自体嫌いっていうか、みっともない、自分にあるまじき状態だと感じて苛々しているから、それを晒されるみたいに感じて爆発しちゃうわけ。
 サヤカすごうい、と彼女はいつも私を褒めるのだった。あってるかどうか知らないよ、想像だよと言っても、あってる気がする、と繰りかえす。その声音が嬉しそうなので私はある日とうとう言った。あのさ、私、何かというと自分の機嫌を取らせるようにふるまう男ってすごく嫌いなんだけど、あなたは機嫌取るのが好きみたいだね、なんで。
 彼女は笑う。私だって別に好きとかじゃないけど、でも、できる男の人ってたいていプライド高いでしょ、私できる男の人が好きだし、男の人はやっぱり立ててもらいたいわけだから、それを上手にできるのがいい女なわけでしょ、余計なお世話かもしれないけど、サヤカってときどき男の人と真っ向から同じ高さでものを言っちゃうでしょ、ちょっと損してると思うな、サヤカって人の気持ちすごくわかる子だし、そういうことしなかったらもっといい人に可愛がられるはずなのに、もったいないなっていつも思ってたの。
 私はため息をつく。いつもより大きくつく。そうしてこたえる。私は、始終機嫌をとってほしがる男なんか、いくらいい学校に行っていようがいい会社に行っていようが、幼稚な精神の愚か者だと思うし、そんなのとつきあいたくないし、だいいち、なんで他人に自分の機嫌を取るように要求ができるのかさっぱりわからない。いや、わかってる、自分が相手より、というか「女」より偉いという前提がまずあって、それから、自我が脆弱だから、いつも誰かに傅かれている実感がないと悪感情が湧いて排出先に困る、要するに「俺のおむつを替えろ」と威張ってる精神的赤ちゃんなんだよ、それも親でも保育士でもない人を相手に。大人なんだから自分のうんこくらい自分でどうにかしろと思う。
 わからないのはどうしてあなたやある種の女性たちが「男は立てるもの、威張らせてあげるもの」と私にまで要求するのかってこと。もったいないってあなたは言うけど、機嫌取って「できる男」とやらに可愛がっていただくなんて私はまっぴらごめんだね、私の思いやりは売り物じゃないんで、対価がなくてももったいなくなんかないんだよ、私がする恋愛は人間対人間のつきあいで、精神的おむつ替えの技術と引き替えに幼稚な男の社会的地位のおこぼれにあずかることじゃない。それに、ご機嫌取りを要求する連中と、男ってだけで一緒くたにされて困る男の人もいっぱいいるでしょうよ。
 電話の向こうの沈黙が彼女の怒りをよくあらわしていた。彼女はひとこと予言して電話を切った。サヤカあんた将来ぜったい後悔するよ、結婚できなくって。
 予言は部分的に当たった。私は結婚していない。後悔はしていない。そう思って、共通の知人から回ってきた、雑誌のページの片隅を写真に撮ったものを眺める。彼女はかわいい子をふたり連れ、いかにも高価ながら下品に落ちない装いをこらしていた。そして自身の「ライフスタイル」についてインタビューに答えていた。車で出かけて口を利かないままレストランを出て彼女を置き去りにした男と暮らしているのかなと私は思った。インタビューで、彼女はこのように発言していた。家庭はやすらぎの場で、それを守るのが、私の誇りなんです。所有格を忘れているなと私は思った。頭の中で校閲した。家庭は「彼の」やすらぎの場で、そのために働くのが、私の誇りなんです。