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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

苦労知らずと呼ばれる勝利

 そりゃね、ああやって親切にしてあげるのはいいことだ、きみがうちの小学生の娘なら褒めるさ。でも世の中、そんな、いいやつばかりじゃないんだから、騙されないように気をつけなきゃだめですよ。課長、そんなこと言うと社内になんかまずい人がいるみたいじゃないですか。いや、そういう意味ではなくて、ただ、この人、あまりに無防備に人に良くするもんだから、心配になっちゃってさあ。
 彼女はあいまいに笑って首をかしげる。彼女はちゃんと相手を選んで親切にしているつもりだ。それに、無防備ではない。彼女が信頼する特定の数名以外と対面するときにはいつも浅く椅子に腰掛け、テーブルとの隙間がじゅうぶんにあることを確認している。すなわち、鈍器で殴られそうになっても逃げられる距離感を保っている。もちろん、それが具体的に起きると思っているわけではない。ただ、そうなる可能性はいつだってあるのだと、そのように感じている。彼女にとって他者はデフォルトで自分を害する存在なのだ。
 彼女は無防備ではない。しかそそれを示さない。なぜなら、防備を万全にした人間を他人は好まないからだ。防備は他者の悪意への備えだからだ。構えられるということは悪意の可能性を認識していると、そのように示唆されることだからだ。「なお、この通話はサービスの品質向上のため録音しております」というアナウンスのようなものだ。防備を示すことによる防御力の向上と、防備を示すことによって買うであろう反感を、天秤にかけるのだ、と彼女は思う。かけた結果、理不尽な暴言の可能性のある電話はあからさまな防備を示し、個人である自分は防備を示さない。彼女はそのように考える。
 彼女は無防備ではない。ただそのように見せているだけだ。そして無防備に見える人間がどう思われるかを知っている。目の前の人の良い課長のように「子どもじゃないんだから」と、半ば心配し半ば軽んじる者がおり、偽善者とつぶやく者がおり、かわいいと愛玩する者がある。その程度のマイナスは彼女にとってたいしたことではない。なぜなら彼女はときどき、彼女を無防備であると判断した誰かによって、こんなせりふを与えられることがあるからだ。
 苦労知らず。世間知らず。
 そのようなことばが吐き出されると彼女はうれしくてぞくぞくする。彼女はずっと「苦労知らず」になりたかった。彼女の人格は、幼少期から少女期の避けがたく継続的な苦痛によって大きくゆがんでいて、まっとうに人を愛することなんか夢まぼろし、小説のなかのできごとだった。二十歳のとき、愛されずに育って愛せずに死ぬという順当さ、と彼女は思った。そんな順当さ、認めてやるものか、と思った。屈託なく人に良くし愛する人を素直に愛し大切なものはしっかりと抱えて生きてやる。そういう人間になってやる。そう思った。
 何年もかかって彼女が「無防備で親切で苦労知らず」な人として認知されるようなふるまいを身につけたのは、もちろん彼女だけの力ではない。ものすごく運が良かったのだと彼女は思っている。育て直すように愛してくれる人たちは実にいろいろなところにいて、小さなものから大きなものまでいろいろな愛をくれたので、だからうまくいったのだと、そう思う。
 そのようなことを思いながら善良なほほえみを浮かべて周囲の会話が終わるのを待っていると、ひとまわり年上の、彼女にいつもよくしてくれる女性が、その場を締めるように、こう言った。きっと、すてきなご両親に、うんと愛されて育ったのよね、だからあんなふうに惜しげもなく押しつけがましくもなく人に良くできるのよ、相手が悪い人ならちゃんと見抜くわよ、騙されたり利用されたりなんかしないわよ、まわりが余計な心配しなくたってだいじょうぶ。
 彼女はあいまいに笑った。その日、自宅に帰るまで、ひとつのことばが喉からこぼれ落ちるのを抑えていた。玄関の扉をあけ、閉じ、その内側にもたれかかって、彼女はつぶやいた。勝った。とうとう、完全に勝ったんだ。
 彼女はそこで話を終える。私は質問する。あのさあ、勝ったって、何に。彼女はものすごい軽蔑のまなざしで私を見て、言う。マキノってほんとうに鈍いし、野暮だよね。解説させないで終わるほうが話としては上等だと思うよ、でもまあ、しかたない、訊かれたから答えましょうか。あのね、ひどい育ちをした人間がその育ちに勝ったのよ、自分の生育歴と戦ってそれを圧して、自分が設計した幸福な人格を、たとえ外殻としてであれ、手に入れたのよ。それを勝利と言わずしてなんというの。