傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

悪い反射の防ぎかた

 けれども彼はそこに存在してるわけだよね。彼女は言う。そうだねと私はこたえる。彼がどんなに邪悪でも、彼のなかで女の大半が人間じゃないとしても、他人をただただ機能としてあつかうことで彼自身の人間性みたいなものが深く不可逆的にそこなわれつづけているとしても、彼はいま、人間として、すぐそこにいる。そうだよね?
 そうだねと私はこたえる。彼女は言う。あたしにはもう、彼が、うす気味の悪い、内側が空洞の「何か」にしか見えないんだけど、でも、その感覚のままに、彼を人でないもののように心のなかであつかったら、あたしは、彼のしたことの反射をそのまま受けてしまうんじゃないかって思うんだ。つまり、人を人として扱わないやつを人として扱わない、という。正当かもしれないけど、でも、ただの反射じゃないか。邪悪なおこないの反射。それってあたしの心になにかよくない影響があるような気がするんだけど、マキノはどう思う。邪悪な行為でもってみずからの人間性をそこなった愚か者だから人間として扱わなくていいんだって、あたしは、なんか、簡単に、そうは思えないんだ。
 私は笑う。あなたは善良だねと言う。悪い影響は、もちろんあるでしょう。彼らのおこないにそこまでの威力があるからこそ私たちは「うす気味悪い」というかたちで、ある種の恐怖を覚えるんでしょう。でもね、そういうのは、真っ向から受けて立つ必要はないんだ。私たちをはなから人間として扱わない連中はね、彼だけじゃなくて、けっこういる、実はかなり、いる、そこいらへんにうようよ歩いてる、でもねえ、あいつらのことなんか、まとめて忘れてしまえばいいんだよ。近くにいたって視界に入れずに「ああそんな人もいましたね」みたいな、あいまいな綿に包んで、目につかないところにある古い箪笥の引き出しみたいな部分に突っ込んで、いつかの大掃除のときに箪笥ごと処分したらいいんじゃないかな。
 彼女は私を眺めまわす。周囲に目を配る。もう一度私に視線を戻す。それから尋ねる。マキノは、今しがた自分が私にしろと言ったようなことを、していないように思うな。マキノは自分をモノのように取り扱う連中を卑しい人間だと思って「嫌な人間」として個別に記憶して蛇蝎のごとく嫌っているように思えるな。つまり彼らに対面すると、それなりの心のリソースを割いているように見える。
 私は声を出して笑う。ばれたか、と言う。ああそうだよ、私はあいつらを憎んでるよ、かなり大雑把に憎んでるよ、全員まとめて火にくべてやりたいと思ってるよ。それどころか、男であるような人間と恋人になったり友だちになったり信頼する同志になったりするくせに、そういう、個別の情愛の対象はものすごく大切に思って何かあったら心配しておろおろ歩きまわるくせに、同時に「男」というもの自体を、どうしようもなく疎んじているんだ。私のなかにはその矛盾が平気で同居してるんだ。たとえば電車や待合室なんかで知らない人が隣に座るなら無条件に男より女がいいと感じるよ。あらゆる男よりあらゆる女のほうがデフォルトでマシなんだ、私にとってはね、そうだよ、私は男というカテゴリが嫌いだ、私はそれを憎んでいる、もしかすると私たちを人間として扱わないある種の男たちが「女」を憎んでいるように。
 でも私はそれを全面的に認めて飲み込まれるわけにはいかないの。私は私の強烈で原始的で理屈の通じない「男」カテゴリ全体への憎しみを、所与の前提とするわけにはいかないの。だって私は男というカテゴリに入れられる人間は女というカテゴリに入れられる人間とたいして変わらないということも知っているし、そもそもそのカテゴリ自体があいまいで不完全なものだと知っているし、そもそも、自称も他称も男であるような何人もの個人と気持ちをわかちあって互いを理解しあうというような経験もしちゃってるんだからさ。だからね、私はあなたの指摘を、受け入れるわけにいかないの。
 彼女は私の長いせりふを最後まで聞いた。そうして、マキノはかわいそうだね、と言った。マキノはかわいそうだ、だって、マキノを人と思わない連中は、そんなこと一度だって考慮することもなく、ただカテゴリに乗っかってあなたを蔑むのに、そいつらのひとりひとりの顔を見て、いちいち憎んだり憎まなかったり区別しようとするなんて、マキノはほんとうにばかで、かわいそうだよ。