傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

救い主が戻るまで

 うなずく。うなずく。うなずく。首をわずかに横に振る。問いかけに応える。質問の内容にそのまま答えるのではない。なぜなら私がされているのは質問ではない。私の目の前にいるのは突然姿を消してしまった友人の夫と両親と義理の両親だ。彼女がいなくなった理由を誰も知らなかった。もちろん私もだ。私はただ、スマートフォンさえ置き去りにしてどこかへ行ってしまった彼女の、最後の通話者にすぎなかった。私は言葉を選ぶ。目の前の彼らはそれとなく、ときに露骨に、私に伝える。「私はこう思いたい」「僕はこうとらえたい」「彼女はきっとそうだった、彼女はきっとこうだった」。私は、できるだけ、それにしたがう。嘘はつかない。嘘がつけるほど彼女の真実を知っているわけでもない。
 近ごろよく電話を(正確にはスマートフォンのアプリを使用した通話を)かけてきていたその友だちは、辛い辛いと言っていた。いなくなってしまいたいと言っていた。半年くらい、そんなふうだった。医師にはもうかかっていた。そのことは彼女の夫も知っていたし、両親も知っていた。
 彼女と通話した翌日、心配になってメッセージを入れた。スマートフォンにはロックがかかっていて新着メッセージとその送り手だけが浮き出すしくみになっている。端末に私のメッセージとユーザ名が表示されたとき、彼女はどこかへ行ってしまっていた。彼女の捜索に加わった彼女の妹はスマートフォンに示された簡易なユーザ名にいろいろな手がかりを組み合わせ、とうとう私のSNSアカウントを探しだしてアクセスした。彼女の妹がそんなにも苦労して見つけたのに私は彼女の重要な人物ではないのだった。彼女が姿を消す直前に一時間ほど話をしたけれども、ただ辛い気持ちを聞いてうんうんとうなずいてやくたいもない提案をいくつかしただけで、なんの役にも立っていない。
 彼女と知りあって四年、私はたしかに彼女からいろんな話を聞いていた。でもそれは私が彼女に何かできたことを意味するものではなかった。私は彼女にとって無害だっただけなのだ。仕事でも私生活でも彼女はひどく尊敬されていた。小さいころから日本でもっとも評判のよいたぐいの学校や組織に所属し、同じように過ごしてきた夫と家庭を持ち、大勢の同類の友人たちがいた。だから周囲の立派な人たちに言えないこともあるのだろうと私は思っていた。彼女はとってもきれいな顔をしているから、そのきれいな顔をみんなの前で崩すことができないのだろうと思っていた。歴史と背景と所属を共有する人には、信頼とか情愛とかに関係なく、言えることと言えないことがある。でも相手が私なら平気だ。美術展のチケット売り場の前で並んでいるうちに意気投合しただけの、共通の知人も社会的な影響力もなにひとつ持たない、私であったなら。
 彼女の妹の依頼を受けて大きいおうちを訪問する。彼女の夫と彼女の両親に質問される。受け答えをする。みんなががっかりしているのがわかる。私だってがっかりしている。どうして彼女は、もっといい人に電話をかけなかったんだろうと思う。たとえば秘密の恋人だとか、ずっと好きだった人だとか、彼女を突然帰依させる力のある宗教の教祖さまだとか、そんな人に電話をかける場面じゃないかと思う。
 でも彼女が通信端末を放り出す前にかけた相手は私だった。あんなにもたくさんの、誰もがうらやむ関係性を持っているのに、その夜の彼女の視界には、無害であるだけのゴミ箱みたいな人間しか残っていなかったのだ。そんなのってあんまりじゃないか。彼女はただ恵まれているだけの人なんかじゃなかった。無理に無理を重ねて努力した末に「恵まれている」と言われて、そうねとこたえて笑っていた。そういう人が苦しんでいるときに救い主があらわれなかったなんて思いたくなかった。
 彼女の重要人物たちが私に話をする。私はうなずく。首をわずかに横に振る。問いかけに応える。私は断片的な事実を組み合わせておはなしをしなければならない。彼らが心のどこかで望む「おはなし」を。彼女の妹とときどき視線を交わす。よく似た姉妹だと思う。私が自分の役割を踏み外しそうになったらこの人が止めてくれるだろうと思う。そう思って、少し安心する。そうして頭の裏で夢をみる。彼女はほんとうは、人知れずもう一つの通信端末を持っていて、彼女を救い出してくれた誰かとつながっていて、今はその人のところに行っているのだと。だから私はもうすぐ、彼女についてのおはなしをする役割を、彼女の救世主に返すのだと。そうして彼女が苦しんで姿をくらましたことを、ひとりの友だちとして、ただ悲しんでいいのだと。

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