傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

それぞれの呪文

 建物の入り口に鍵をさす。エレベータを待つ。鍵は手に持ったままだ。金属がざわざわと皮膚を粟だたせるように思われる。タイツの生地がその下の皮膚に無数の非常に小さい傷をつけているように思われる。からだじゅうの皮膚に細かい細かい凹凸がつきついに人間の肌のようでなくなってしまう。そのようなまぼろしが脳裏からしみ出して事実のように彼女を覆う。エレベータに乗る。どうしてかカーペットみたいなものが貼りこまれていてそのざらついた灰色の繊維にたくさんの針が入っている気がする。数を数える。息を吸う。妙なにおいがする。彼女を閉じ込めた箱のなかの空気に薄い毒が溶けているように思われる。数を数える。ドアが開く。足を踏み出すと靴底がねばついた気がした。引きはがすように歩き持ったままの鍵を使って自室に入った。
 玄関のマットがずれている。かばんを持ったままそれを直す。靴を下駄箱におさめる。今はシューズクローゼットというんだと彼女は思う。それから、下駄箱でいいじゃん、と思う。洗面所に行く。手を洗う。鏡がある。ほほえんでみる。できたと思う。いい表情ではなかったにせよ、笑顔のようなものはたぶんできた。手を拭く。世界はひどいところだと思う。ひどいことがたくさん起きる。わけてもひどいのは自分が大事に思う誰かがひどい目に遭ったところで自分にはなんにも関係ないことだ。わかちあうとか役にたつとかそういうことができない。だいいち、わかちあうって、なんだよ、と、彼女は思う。半分受け取れるものでもないのに。勝手に自分も苦しいような気になるだけなのに。苦痛をわかちあうなんてずうずうしい幻想だ。そう思う。
 灯りをつける。ふだん夜はつけない蛍光灯を煌々とともす。部屋の中のものを移動する。ベッドはひとりでは動かせないけれども、その下の収納はぜんぶ出す。部屋の半分に積み上げる。残り半分に掃除用のワイパーをかける。丁寧にかける。次にモップをかける。丁寧にかける。モップの頭のところはマイクロファイバーでできていて簡単に取り外すことができる。洗面所へ行く。モップの頭を軽く洗う。部屋の中のものを動かす。部屋の半分に掃除用のワイパーをかける。モップをかける。とても丁寧に。
 床はつるりとして彼女の足をひんやりと受け止める。彼女は小さく息をつく。洗面所に行く。モップの頭を洗う。洗面所に落ちていた髪を拾い全体を磨く。古い歯ブラシを使って栓の鎖を磨く。排水口の金属と陶器の境目を磨く。鏡を拭く。手の痛みを感じる。帰宅して一時間が経っていた。出勤した格好のままだった。居室に戻り服を脱いでいるとスマートフォンにテキストメッセージが入った。
 どう、落ち着いた?彼女は文字をかえす。まあまあ、マキノは?文字が行き交う。私もまあまあ。何してた。大根煮てた。大根か。そう大根があった、都合のいいことに、あと冷凍の肉とか使ってカレーを煮た。煮ると落ち着くわけね。そう、煮ると落ち着く、ねえどうして私たちの友だちがあんな目に遭うんだろうね、私たちは聞くだけでなにもできないんだろうね。そうだね私たちは無力だ、私は帰って床と洗面所を磨いた。床か。床は半日でホコリが落ちるからいつ磨いてもいいんだ、掃除機を使わないから音も出ない。磨くと落ち着く?落ち着く。
 彼女の皮膚はもう凹凸だらけではない。ふだんの皮膚の感覚がある。掃除はえらいなと彼女は思う。でもテキストメッセージの相手にとってはそうじゃないんだろう。そこいらのものを切って鍋に入れて煮るほうが、落ち着くのに役に立つんだろう。たとえば友だちがおぞましい目に遭ったことを聞いた夜には。彼女はそう思う。わかちあうという言い回しを、彼女はどうしても理解できない。話を聞いて憤って苦しがって、でもそんなのは、相手の苦しみをもらったのではない。私が勝手に苦しんだだけだ。そう思う。そしてそれを、とてもいやだと思う。わかちあうということばはどうして嘘なのか。私たちはどうしてそれをできないのか。他人の苦しみを手で切ってはかりに乗せて、じゃあ二百グラムいただきますね、といって持って帰ってくることができないのか。
 自分の感情が自分の許容量を超えたとき、彼女はいつも掃除をする。いつもしていることを、いつもよりもたくさん、いつもよりも丁寧に、する。そうしたって感情の原因は(たとえば友だちがひどい目に遭ったとか、そういうことは)ちいとも変わらない。けれども部屋はきれいになる。そうすると彼女は、自分の手足を頼りになるもののように思える。掃除があってよかったなと彼女は思う。マキノにも大根とかがあってよかった。そう思う。