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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

いくつかの種類の下劣な要求

 同業の会社がいくつか参加しているパーティに出る。酔っぱらいに絡まれたので適当に笑顔で交わしてその場を去る。彼女はそういう人間に慣れているけれど、愉快ではない。しばらく社交を遂行していると、また同じ人物につかまる。少し離れたところにいる仲の良い先輩が気を利かせて彼女の名を呼ぶ。彼女ははーいと返答しすみませんねとにっこり笑って背をむけかけた。上腕をつかまれた。
 無表情で振り返るとその男はわあ怖いといかにも冗談らしい声を出して彼女の腕を離さない。離してくださいと彼女は言う。男はへらへら笑って怖あい怖あいと甘えた声を出す。あのさあ、さっき、そこの若い人頼むわって言われて嬉しそうにいそいそ手伝いに行ってたじゃなぁい、そういうの痛々しいからやめたほうがいいって、これ僕からの忠告ね、若い若いって言われてそんなね、真に受けちゃって、見てらんないよお、あんた若くないでしょお、若くないでしょうよ。
 先輩が駆けつけてくるけれど、彼女はすでに脱出に成功している。心配そうに見るのでにっこり笑ってみせる。私があのひとを殴ると思って心配したのでしょうと言う。先輩も笑う。なに話したのと訊かれて簡単に説明する。先輩は鼻の頭に皺を寄せて露骨に嫌そうな顔をする。そうして大まじめな顔で言う。仲良くもない相手に自分の機嫌をとれと要求してくるやつはね、要するに自分で自分の機嫌を取ることができなくって、誰かにどうにかしてもらわなくちゃいけないから、自分が権力を持っていると思っている年下の人間、とくに女、にそれを要求する、それって大人としてあきらかにだめな状態で、「俺のおむつを取り替えろ」って威張ってるようなものなんだ、だからね、ただ軽蔑して、ふつうの人にはあげる愛想なんか1グラムもやらないで、避けて相手をしてやらなければ、いいんだよ。
 マキノさんも嫌な目に遭ったんですかと彼女は尋ねる。先輩はにやりと笑って、あの人、私には寄りつかないよ、とこたえた。何をしたのだろうと彼女は思う。それから尋ねる。ねえマキノさん、私は、年をとったら、ラクになるんだと思っていました、つまり、性別を根拠に不当なあつかいを受けるのは若いからで、三十過ぎたらラクになるし、四十になったらもっとラクになるんだと。でも、三十過ぎたのに、あんまりラクにならないです。ただいやなアプローチの種類が増えただけです。「年のくせに」っていう。
 そりゃあそうさと先輩はこたえる。私は、四捨五入して四十だけど、もうすぐラクになるなんてぜったいに思えない。なぜならあなたに絡んだ奴らみたいなのは、若い女には「若い女なんだから俺を気分よくさせろ」、若くない女には「俺をいい気分にさせる若さがないんだからそのぶん必死になれ」と思っているから。あるいは「お母さん」的な扱いね。あんたなんか産んでねえよって思う。でも彼らは、意識のベースがそうなってる。年をとれば女扱いされなくなるなんて嘘だ。ああいう連中は若さをうしないつつある相手を囃したてるという娯楽をことのほか好むし、自分を産んでもいない相手が、たとえ年下でも一定以上の年齢になれば「母性本能」とやらを発揮すると思いこんでいる。それが「女扱い」じゃなくてなんだというの。
 彼女はかなしい気持ちになる。それから尋ねる。じゃあ私たち、どうしましょうね。先輩は太平楽な顔をしてそこいらの瓶からビールを注いでのんでいる。それから言う。私たちはだいじょうぶ。私たちは誰かの貼ったレッテルにしたがう必要はないんだ。ああいう連中は徹底的に排除すればいいんだ。私たちが女であろうが男であろうが年齢がいくつであろうが、誰かが不当な要求をする理由はない。もちろん理由なしにそのような要求をされることがある。さっきみたいにね。でもそれは、相手がまちがっているの。笑ってやんわりかわすのが大人の女だなんて、そんなの、下劣な要求でしかない。今はしょうがなくそうすることもあるけど、でも、まちがった相手に愛想なんか振るわないでいい世界を、私たちがこれからつくるんだよ。彼女は失笑する。世界?
 世界、と先輩は言う。私たちはもう大人なんだから、私たちが世界の一部をつくっていないはずがないでしょう。私が世界を変える要因のひとつにならないはずがないよ。砂粒が変わらなければ砂漠は変わらない。彼女は苦笑する。いい話、と言う。でも世界はなかなか変わらないので、頭に来ますね。来るねえと先輩はこたえる。そういうときは私、あー、あした世界が終わればいいのになー、って思って、おうちでごろごろしてるよ。そうすると翌朝は、わりと元気になる。