傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

パーフェクト・ウーマン最後の課題

 可愛いねえと言うとありがとうと彼女は言った。でもそれ見本のまんまなの。見本のまんまにできるなんてすごいなあと私は感心してしまう。そもそも保育園の子の持ちもののすべてを手作りして刺繍まで入れるなんてすごいし、子どもを産んでいることもすごいし、仕事の量と質もすごいし、結婚相手と二人でがんがん働いて家まで建てたし、全体に偉業を成している人というかんじがする。いつだって感じのいい服を着て、ものやわらかなようすをしている。この人は私みたいに「めんどくさい」という理由のみで化粧もせず出勤したり、大鍋でカレーを作って三日間食べ続けたりしないんだろうと思う。いつのまにかシャツにそのカレーが落ちていることもないと思う。大鍋で両手がふさがっていても足でドアを閉めないんだろうと思う。
 でも可愛くないでしょう、見本のまんまじゃあ。彼女は珍しく少しばかりバランスの崩れた表情をちらりと見せる。私は刺繍を見る。花柄だ。可愛いし色の組み合わせの趣味が良いと思う。縫い目もばっちりまっすぐだし、裏面まで丁寧に始末されている。玉結びの頭から糸が二ミリばかり出ていたりしない(私が繕ったものにはたいていそういう箇所がある。縫ったところがくっついていればまあいいやと思っている)。私には子がないから今どきの保育園の子の持ち物の善し悪しはわからないけれども、彼女の子の保育園グッズはかなり良いものなんじゃないかと思う。
 私は彼女にそれを伝える。彼女はあいまいに笑う。そうしてしばらくためらってから口をひらく。あのね、マキノ、ひとつでいいからこういうの、縫ってくれないかしら。私はびっくりして背後で子をかまっている彼女の夫を振り向き、それから彼女に向き直って諄々と諭した。よろしいか、私は裁縫ができない。ビジュアルセンスもない。それはもう、すばらしくない。自信がある。そのうえ子どもを持ったことがない。幼稚園グッズの制作にはきわめて向いていない。私が演説を終える前に彼女は口をひらく。それがいいの。彼女の夫が移動する。私と目が合う。私は目を逸らす。いやなものを見たと思った。それは嘲笑だった。
 子が隣の部屋で眠りに就き、私たちは妙な空気を払いきれないままテーブルをかこみ、私の手土産の焼き菓子を食べる。彼女の夫が口をひらく。どうも妻が無茶を言いまして。私はフランボワーズと、それからどういうわけだか花の香りが少しするマドレーヌを口に入れたばかりで、だからしばらく返答することができない。彼女の夫はどんどん話す。この人はねご存じだとは思いますけど、よくできるので、なんでもできるので、昔から要所要所でそれを可愛くないだのつまらないだのと言われてきましてね、僕に言わせればそれこそつまらない話なんですが。
 まっすぐな線でつまらない。見本のとおりでつまらない。あたたかみがない。人生のいろいろなところで、それこそおむすびの形ひとつにさえ、彼女はそのような指摘をされてきた。彼女は三角形のおむすびも俵型のおむすびも器用に結ぶことができて、でもそれは「型から取ったみたい」で誰かが好きじゃないものなのだった。似すぎている似顔絵を描いた小学生のときから、そのことばは彼女のまわりをかすめ、彼女の同じ箇所に浅い傷をつけつづけた。可愛くない。可愛くない。可愛くない。
 あのさあと私は言う。可愛いって、ある種の隙でもあって、それ自体はとってもいいもので、人工的に隙をつくってラブリーなかんじにするとか、そういうのは、まあ悪くはないけど、可愛くない、は別だよ。可愛くないというのはね、腹立たしい相手がいるのにそいつをけなす材料がなくって、でもけなしたくってしょうがない、みたいな時、あんまりものを考えてない連中が遣うせりふで、基本的に卑しいものだよ。相手がどんなふうであろうと貶すポジションに置くことができて、とくに女の子と女の人に威力を発揮する。そんな身分の低いせりふにかかわってどうするの。あなたがどれだけがんばってもある種の人々はあなたを可愛くないと言うよ、そいつらはあなたのこと可愛いって一生言ってくれないよ、ねえ、ところでどうしてそんな連中に可愛がってもらいたいの、そいつらのこと好きなの、私より好き?旦那さんより好き?
 そんなことない。小さい声で彼女は言う。どうしてか、わからない。でもずっと直さなきゃいけないって思ってる、直さなきゃいけないの、私だけじゃなくって、子どものことだから、ちゃんとしなきゃいけないでしょう、私のじゃだめ、私は可愛くないから、マキノが作ったみたいなのがいい、下手なのがいい、可愛いのがいいの。