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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

アルコール依存症気味の薔薇

 華やかで大輪の感じがするので薔薇のような人だと評していたら当の彼に笑って女の子じゃないんだからと言われた。あるいは男同士のラブ的な。彼の説明がわからないのではなかったけれども、私は自分の用法にだって自信を持っていた。単独の成人男性を薔薇のようだと思うのがおかしいなんて、私には思われなかった。彼は束にされればいちばん目立つような能力と容姿を持ちそれを裏切らない言動をとっていた。十年と少し前の話だ。
 十年ぶりに会った相手が老けているのは当たり前だけれども、それよりも病的な痩せかたのほうが目についた。槙野さんか、太ったなあ、と彼は言い、太ったよと私はこたえた。いいねと彼は続けた。年をとったら脂肪を増やしたほうがいい、脂気がないと、寒い、皺っぽくなるし、うん、ちょっと太ったほうがきれいだ、太ったって言われて気を悪くしないところも良い。
 彼は人を褒めるのがとてもうまい。ものを言って人の気を惹くのがうまい。相変わらずだと私は思い、そのことを彼に伝える。彼はゆったりと話す。どうもありがとう、大学を出て以来、お褒めにあずかった軽薄な特技やなにかを生かしてそこそこ評価されてきたんだけど、業界全体が沈んでいくなかで従来どおりの成果を出し続けるってほんとうにばかみたいだと思う、まったくのところ。
 私は彼と親しくないから平気で尋ねる。だいじょうぶじゃないっぽいね。彼はうなずく。だいじょうぶじゃない、四六時中仕事して、退社しても切り替えられなくて考えごとが止まらないんだ、頭を止めるために酒を飲む、量が増える、ないと眠れなくなる、典型的なパターン、仕事以外のすべてから逃げて酒が手放せなくなる、酒が好きなんじゃなくて、頭を止めるのに使用している、だいじょうぶじゃない。
 私は適当なことを言う。そういうのは何で救われるんだろう、やっぱ愛かな。愛、と彼は発声する。そうかもしれない、最近、結婚したい、いい人いたら紹介して。私はあきれてしまう。紹介なんかされなくてももてるでしょう、あなたは薔薇なんだから。彼はこたえる。みんな薔薇なんか滅多に買わない。それぞれの花を買う、ガーベラとか、ひまわりとか、フリージアとか、そういうのを買う、たとえば槙野さんも。たしかにそのとおりだと私は思う。一緒に住んだりするならなおさら、華やかな大輪は要らないと思う。
 どういう人が好みなのと私が訊ねると、軽蔑するといいと彼は言う。可愛いけど美人すぎなくて、穏やかで、家のことしてくれて、サポートに徹してくれて、生意気じゃない人がいい。ああ、自分で言ってていやになる、でもほんとうにそう思うんだ、内心のことはいいんだ、ふりをしてくれるだけでいいんだ、稼ぎを半分あげるから。早口で吐き出してちらりと私の顔色を伺う。彼のそんな動作を私ははじめて見た。ちっぽけで卑しかった。私はそれが少しうれしかった。いつも薔薇でいようとしたらこの人はもっとたくさんアルコールを飲んで早々に死ぬだろうと思うから。
 軽蔑しないと私は言う。そんなの、しかたないよ、私だって、男に生まれて『男を立てるのがいい女の子だ、それが正しいことなんだ』って陰に陽にすり込まれてすくすく育ったらきっと女の人に自分を立ててほしいって思うもん。私も男だったらあなたが探してるみたいな人と結婚したい、私は、高給取りじゃないけど、妻のひとりくらい食べさせることはできる、それで何くれとなく機嫌をとってもらう、家事してもらって精神のケアまで要求できるなら食い扶持なんて安いもんじゃないか、私が男なら私みたいな女とはぜったいつきあわない。私のせりふの途中から彼は声を出して笑いはじめ、それから少し咳きこんだ。私はだまって笑った。私の精神は強靱でも高尚でもない。立場が変わったら平気でその上にあぐらをかくと思う。私は世界が正しくないことだけに怒ってるわけじゃなくって、正しくないうえに損する側にいるから怒ってるんだと思う。
 理想のお嫁さんをもらったらお酒は減ると私は言う。些末なことはみんなやってもらって機嫌を取ってもらって頼りにされていれば、あなたのなかの穴がふさがって、そこにお酒をどんどん入れる必要はなくなるよ。槙野さんはと彼は訊く。槙野さんは女だから理想のお嫁さんは来ない、まさか内面の飢えた空白がないわけはないよね。もちろんあると私はこたえる。あるけど、誰かや何かにそれを塞いでもらおうと思わない、痛い痛いって文句言いながらやっていく、しょっちゅうやさぐれて、あした世界が終わればいいのになーとか思いながら、やっていくの、何年か前から、そう決めてるの。