傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

イミテーションからの帰還

 顔がちがう。そう言うと彼女は可笑しそうに、化粧だよとこたえる。まじまじと見る。やせた。重ねて訊くとそうかもしれないねえと、おとぎ話を語る老婆みたいな声を出す。質問のかわりに顔を見ていたらもう一度笑って彼女は、なにもない、と言った。どちらかというとずっと起きていたことが終わった。
 生まれた町にいたのは十二までで、離れてこのかた、その町にはろくに戻っていなかった。両親がやや遠距離の通勤をやめ勤め先のある都市にマンションを買って越していたから、それに友だちもおおかたその都市か別の都市に出ていて、特段の用もないからだった。好きでも嫌いでもなかった。そんなに強い感情がなかった。
 2011年の3月11日は仕事で海外にいた。ニュースを見ると世界の終わりのようだった。東京の自宅があとかたもなく消えているのじゃないかと思ったけれども、会社からの連絡でそういう事態にはなっていないとわかった。それでも東京は遠かった。そんなにも東京が遠いことはかつてなかった。
 出張から戻ると東京は嘘のようにいつもどおりに見えた。嘘みたい、というか、嘘、と彼女は内心で繰りかえした。それらは偽物に見えた。彼女が留守にしているあいだに誰かがすり替えたのだ。本気でそう思っていたのではもちろんないけれども、ある種の物語として、それは彼女に取り憑いた。よくできたイミテーションとしての東京。
 イミテーションの生活を彼女は送った。両親は無事で、部屋の壁に皹が入ったのガスが来なくて風呂に入れないのと、しょっちゅうメールを送ってきた。休暇を取って見舞いを持って訪ねても彼らは元気で暢気だった。田舎はねえ、と父は言った。なんにもなくなっちゃったみたいだよ。おばあちゃんのうち、流されちゃった。もと近所の人から送られてきたという写真をもらったら基礎しか残っていなかった。祖母が亡くなり彼女とその両親が都市に越してからは誰もいない家だった。
 田舎はイミテーションじゃないかもしれないと思って行ってみたら、覚えているのとちがった。当たり前だ、と彼女は思った。根こそぎ流されて同じであるはずがない。田畑は黒くもと住宅街の地面も黒く、それが巻き上げられてきて残された泥の色だと知ったのはあとになってからだった。がれきはおおむねどこかに寄せられたあとで、けれども花模様の炊飯器だとか小さい机だとかがそこいらに唐突に落ちているのだった。ふるさとと言うほどのものではない、と彼女は思った。もう祖母もいないのだし、十二までの思い出がそんなにたくさんあるのでもない。これまでだってろくに戻っていなかった。私はあのとき海外にいて、ふだんは東京にいて、なにもうしなっていない。そう思った。
 と、まあわりと無感動な震災とその後だったわけよ、と彼女は話を終えた。そのわりに仕事以外のぜんぶを使っていろんなことやってたじゃない。私が指摘すると、なんでだろうねえと彼女は笑った。彼女はその町の農業を立て直すための団体の設立にかかわり、メールを送ると、流通経路の確立がどうとか経営の基礎がどうこうとか、そんな話を返してきた。
 彼女にとっては私もやっぱりイミテーションだったのだと思う。私が送信したあとにだけやってくるメッセージは遠いところに旅に出た人からの義務的な便りのように見えた。チョコレートを食べています、と彼女は書いていた。毎日毎日明治の板チョコを食べています。甘いものはふだん食べないんだけどどうしてかな。十二より前は食べていたのではないのと返すと、そうかと、驚いたような返答があった。
 彼女と直接会うのは三年ぶりで、私のほかにも何人かの友人にぽつぽつ会っているのだという。チョコレートを食べていると尋ねる。その話をして二年も経っているのに当然のように彼女はこたえる。先週から食べていない。要らなくなった。向こうの団体がそれなりに軌道に乗ってね、私はときどきしか要らなくなったので、だからだと思う。へんな話だけど、おとしまえをつけたっていうか、ほら、私、あのとき海外にいたでしょ、親も、少ない親戚も無事で、なんにもたいへんじゃなくって、かかわっていなくて、私だけ、それと関係ない世界にいて、だから、あとからでもかかわることが、なんだか必要だった、そうでないと、みんなと同じ世界に戻ってこられなかったんじゃないかなあ。
 私は彼女を見る。その姿のなかに十二歳の女の子を探す。チョコレートの好きな女の子を捜す。どうもありがとうと言う。その子のおかげで彼女は長い旅を済ませて帰ってきたのだと思う。おかえりと私は言う。ただいまと彼女は言う。